*京都・護王神社~和気公御祭神* | *わきあいママの和氣的生活 *

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さあ!
最後を飾りますのは、京都は御所西蛤御門(はまぐりごもん)前の護王神社です。



和氣家のルーツをたどって、いきついたところが、和気清麻呂公でした。

こちらの神社は、
和気清麻呂命(神号は護王大明神)と、姉上さまの、和気広虫姫命を祀られています。
神号は、江戸時代末期 孝明天皇より、その歴史的功績を称え授けられ、
後、明治天皇の勅命により、京都御所蛤御門(はまぐりごもん)前の現在地に社殿を造営し、京都右京区の神護寺境内からご遷座されたということです。

鐘     鐘      鐘

神護寺については、わたしも今回はじめて詳しく知りました。
開基が清麻呂公、和気家の菩提寺、お墓もそちらにあるそうです。
ホームページをひらくと、『高野山真言宗 弘法大師霊場遺迹本山』とあります。
清麻呂公の長男広世が、最澄をここに招請し、最澄はここで法華会(ほっけえ、法華経の講説)を行い、桓武天皇からも称えられ、後に広世のはからいで、還学生(短期留学生)として唐に学ぶこととなったということです。

驚いたことに、空海こそもゆかりの寺院。ここで最澄と親交を深めたばかりか、
空海は唐から帰ったのち、真言密教布教のため14年間暮したそうです。
最初の真言の拠点の地となり、清麻呂公の子息や最澄に灌頂(かんじょう)を受けさせたところだそうです。
東寺、高野山金剛峰寺(こんごうぶじ)とともに、真言密教の寺として知られているということでした。

テレビでみたことありました。瓦投げでも有名なところでした!

鐘     鐘      鐘

去年、釈正輪先生の高野山ツアーに、次女と三女、そして夫と参加させていただき、奥の院を歩いているとき、そういえば、うちって真言宗だったと、あらためてやっと認識したのですが。。。、ここにもつながっていたんですね。きっと。。。


神社     神社      神社

あれっ!なんか護王神社から脱線。。 仕切りなおして。。!

ここの神社は、すごくフレンドリーな感じがしました。あたたかくおもてなしをうけているような。。。

 

外壁一面に描かれた、道鏡の宇佐八幡宮神託事件の絵図。
もうここからワクワクです。

このお話しは戦前の教科書にのっていたり、清麻呂さんはお札の顔にもなっていた方なので、高齢者のかたにはお馴染み深き方なのかなぁ。。。と嬉しくなってしまいました!

 



ピッカピカに磨き上げられた境内が、とっても清々しく印象的でした!


伊勢神宮への遥拝所がありました。
ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。

     

愛子様ご誕生を記念しての御手水舎、今上陛下からの賜わりもの。。。

今の時代になっても、強くつながられているのですね。




日本はじめての孤児院をつくり83名もの子を養子にとり育てた清麻呂公の姉広虫姫


吉備・和気神社のホームページより。。。

和気清麻呂公
天平5年(733)備前国藤野郡(現和気町)に生まれる。奈良の都に武官として出仕、近衛将監となる。
神護景雲3年、僧道鏡が皇位を望むとき、宇佐八幡宮(現宇佐神宮)に勅使として詣で、神託を受け復奏、その野望を阻み国家の危機を救った。
その後、桓武天皇の信頼を得て、摂津大夫・民部卿として長岡京の造営、摂津・河内両国の治水工事に当たった。
延暦13年(794)和気清麻呂公の建言により平安京に遷都。造営大夫として新京の建設に尽力した。

また、和気清麻呂公は、備前美作両国の国造を兼ね、延暦7年、和気郡の河西に新しく磐梨郡(現赤磐市)を独立させ、農民の便宜をはかった。

日本後紀には「人と為り高直にして、匪躬の節あり」「故郷を顧念して彼の窮民を憐れみ、忘るることあたはず」と称えられている。延暦18年(799)に67歳で没した。



和気広虫姫
天平2年(730)に備前国藤野郡に生まれる。高謙上皇(後、称徳天皇)に仕え、勅を伝宣する女官を務めた。上皇に従い剃髪し、法均と号した。
天平宝字8年(764)、恵美押勝(藤原仲麻呂)の乱の逆徒の助命を懇願して死刑を流刑に改め、乱後の孤児83名を養子として育てた。これはわが国最初の孤児院の開設である。

日本後紀には「人と為り貞順にして節操に欠くる無し」「未だ嘗めて法均の、他の過を語るを聞かず」と称えられ、慈悲深く、清純で心の広い人柄であった



おふたりのお人柄でしょうか。。。 穏やかでありがたい気持ちいっぱいになりました。

長文、お読みくださってありがとうございました!

このあと、京都の友だちにあって、いっぱいいっぱいお話しできました!

心もおなかもいっぱいに満たされた、今回の旅でした。

ありがとうございました!