前回はウジ虫と桃に関して日本神話からの解釈をしましたが、そのお話の前にマッド・マックスは聖書の神話解釈を下敷きとしていると繰り返し書いてきました。
聖書圏の解釈で言うなら、ウジ虫とはまた別の意味を持ちます。
元々、ユダヤ教、そしてキリスト教が発展する前、彼の地ではバァル信仰というものがありました。
これはハエの神だとも言われています。
現代人からすると病気を媒介する不潔な印象がありますが、当時の人達からするとハエと蛆虫というのは、腐敗物を食べて無くしてくれる存在で、スカベンジャーとして衛生を象徴する存在だったそうです。
ひどい怪我を追ったとき、傷口にウジが湧くということがあるのですが、これは現代時からするとぎょっとするものの、実は死んだ細胞をウジが食べてくれることで壊死が広まるのを避けてくれて、これによって死から救われることがあると言います。
ハエとウジというのは、このように生と死を分かつ聖性も持っていたのです。
ですが、ここにキリスト教が広まりました。
彼らは「不潔が病気の原因であり、手を洗う行為で病と死を避けられる」という概念を持ち込みます。
それによって、この蛆虫信仰は追いやられてゆきました。
そして彼らはこのハエの神、バァルをバァル・ゼバブ、ベルゼバブという悪魔だということにしてゆきます。
このように、今回の三つ巴の構造には様々に重層的な神話のモチーフを見ることができます。
キャンベル教授いわく、神話が政治利用されるようになった物が宗教です。
間違いなく、イモータン・ジョーはこの俗世化をした人物です。
ディマンティスは一見神話的な要素が薄いように思えますが、しかしそうではありません。
彼がイモータンのシタデルに宣戦布告をするとき、彼は如実に自分の部下たちを神話的存在であるかのように喧伝しています。
これは田舎の暴走族が全員「友達の◯◯くんの伝説」を持っているようなもんです。
一人で十人相手に喧嘩して倒したとかヤクザの事務所に乗り込んでいったとか、馬鹿げたレジェンドをでっち上げるでしょう?
ひどく俗っぽいお話ですが、あれが心理学的な神話の活用なのです。そうやって人は、自分や自分たちの共同体の価値をでっち上げてきたのですね。それが神話の政治利用=宗教です。
儒教では、観たこともない伝説の神様を政治的指導者の利用として繰り返し語りますが、あれがまったく同じことですね。
ディマンティスがやっていたのがそういうことです。
そして、オーディンであるイモータン・ジョーにロキであるディマンティスがぶつかったとき、双方の神々の崩壊が始まります。
そこから人間の歴史が始まるからです。
このようなとき、神々を殺して人の時代を切り開く人間のことを「英雄」と呼びます。
キャンベル神話学の経糸というのは神殺しと英雄譚です。
そのような神のような力を持った英雄をインモータルというのですが、当然この物語でのインモータルはフュリオサです。
彼女は閉鎖的な鬼婆の血を引いており、ディマンティスという仮の父(しかも人食い鬼)を持っており、もう一つイモータン・ジョーという君主に仕えていました。
これを政治的に言うと、排他的過激派フェミニズムと形式主義社会と家父長制社会の3つのハイブリッドだと言うことになります。
普通に考えたら全てに染まって洗脳され尽くして最悪の権威主義者になりそうなものですが、彼女は奇跡的に自分に影響を与えた3つの政治思想から良きものだけを抽出して革命に成功します。
なぜこれが可能だったのでしょう。
それは次回にお話しましょう。
つづく