白鶴拳の五行掌が、やればやるほど発見に満ちていて面白い。
動作の解釈によっていろいろな力の出し方が出来るとは思っていたのですが、これは五行それぞれで違ってもある程度良いのかもしれないといまは思っています。
その中で、土行に関していうならこれは地の重さ、稼穡を思わせる物で、中国武術的には合と解釈して良いかもしれません。
もしそうするとしたら、これを単手で用いるときにはなんと形意拳でいうと崩拳となります。
崩拳は形意の五行拳で言うと木行に配置されています。
木と土だから相克関係になっているのが面白いところです。
通常、五行は木火土金水順番で言うことが習慣化されているのですが、陽の物を表現するときには金水木火土となることがあります。
形意拳では、五行拳の一番最初に習うのは金行の劈拳となります。
白鶴五行掌では面白いことに水行から教わる習慣があるようです。
おそらくは水行掌が一番シンプルで根幹と成るものだからなのでしょうが、これは同時に用法の順番にもなっているようなのです。
水行掌は相手の攻撃に手を合わせる橋法の手管で、水が流れるようにして攻撃を受け流し、相手の懐に流れ込んでゆく。
木はそこから相手を引き寄せてまっすぐに突き刺す物で、火行は指先が曲がって掌での内になっており間合いが詰まっています。また火のイメージの通り攻撃性が強く、これで勝負が付くことも多いと言います。
土行は拳を握って中段への攻撃なのでさらに間合いが近くなっています。
また、これは通称を「追殺の拳」だと言っているようで、すでに火行掌で十分なダメージを与えた後の留めだと解釈が可能でしょう。
金行となるとこれはカウンター技法となっていて、ちょっと別枠の応用装備とも解釈ができます。
金行自体、従革の気質と言って変化という意味を持っているので、変化法という解釈も可能です。
これら五行のそれぞれは、基本は左右の手で同時に用いられるのですが、慣れてくると左右で違った手形が用いられるということを教わりました。
水木は受け流し即つつくという意味でセットで用いられることが多いようです。
火と金も合わさるのが定番手段です。
カウンターで金を入れておいて、火行で大きいダメージを追わせるという構造なのでしょう。
さらにその後、金行掌は土行に変化して中段に死角からの一発を入れるのですが、これなどはまさに追殺ということなのだと思われます。
はじめに五行それぞれで用勁に違いがあるのではないかと書いたのですが、この流れの中でそれが見えてきます。
白鶴拳は楊柳に似たりと言ってしなるような動き、また濡れた犬が水を切るように震える動きに特色があるとされているのですが、このしなり、私はどうしてあるのだろうと思っていました。
客家拳のように、釣り鐘を衝くようにぶち抜いてしまったほうが早いのではないかと思ったりもしたのですが、いや、これは戦いのはじめ、間合いがある段階で相手に接触をしつつ攻撃を入れるような段階ではしなりが伴うようにして間合いをディフェンシブにしていた方がよいということなのではないでしょうか。
鶴法と別称される橋法のテクニックを用いるために、いきなり初手から全体重を攻撃に乗っけない。
そのようにして、発勁だけでなく戦法で間合いを調節しつつ、詰まってきたところで火行で勝敗を付ける。
抵抗があったら金行で報復しつつそこまで持ってゆく。
そして最後には土行の大きな物で追殺する、ということなのではないかと思われます。
土行掌では、他の物ほどしならない印象があるのですが、これもおそらくはトドメであるためと、強度の高い体幹を打つためでしょう。
もし遠間からいきなり胴体部を打ったとしたら、相手のほうが整勁が強い場合には排打されてしまいます。
しかし、しならせて反動が自分の方に来ないようにしつつ、顔面部を打つ分には良いイントルードとなるでしょう。
その戦い方をしていって相手がかなり崩れてから、土行掌を打ち込むのですが、これは合なので整勁が用いられると私は解釈しています。
この時にはもう、相手の状態は万全ではないので、これで撃ち抜くことも可能でしょう。
白鶴拳の要素を含んだ五祖拳では、しなる技法と重い技法が併用されています。
これもまた、同様のことではないかという感じがしてまいりました。
元々私が老師から教わっている派は白鶴派五祖拳というくらいで、白鶴拳を学ぶことでより様々な角度からこれを見ることができたきたように思います。
やはり、学問は面白い。