宋代において、仏教と儒教がアップデートされたことを前回書きました。
これが一体何によって裏打ちされていたのかと言うと、出版です。
宋は版画の技術が成立して、出版物という物が生まれた時代でした。
まず、最初にこれによって広く出回ったのは仏教の大蔵経だといいます。
そして次が、儒教の法令だそうです。
まずは心、次に政治なのですね。
では三番目は何かと言うと、これが医療となっています。
医術を書によって普及させることで、国民の衛生状態を向上させようという運動が起きました。
先に儒教は朱子学によるアップデートを受けたと書きましたが、これは道家の要素が入ったということも意味しており、五行説が広まったのはこのためです。
これによって、当然医療も影響を受けました。
医術に五行思想が取り入れられて、それが出版されて広まります。
現代に至る東洋医学における五行思想はこのときに入り込んだ物です。
当然これは身体観となりますので、中土における人体観そのものがある種の底本として広まったのがこの時代だと言うことになります。
宋の時代、中国は北方の騎馬民族、初期は金、後に代替わりして元からの侵略を受けていました。
医学は国家機密の秘伝とされていて、騎馬民族に伝わることを非常に忌避されていました。
金の猛攻に次第に国土は侵されて行き、宋は南に撤退していって南宋の時代を迎えるのですが、この状況で朝鮮半島にあった王朝の高麗がどちらに付くのかは地政学的に微妙なものとなります。
結果、南宋では医学が金に漏れることを恐れて、高麗の使者が医術書を持ち帰ることを取り締まり、没収をしていたのだからかなりの機密度だと言えましょう。
一方で、海を隔てた日本にはこれらの医術書が輸出されていました。
これは日本が政情に関係ないからなのか、あるいは当方の未開国として取り合われていなかったのかはわかりません。
当時、日本は平安時代で、日宋貿易を行っていたのは平清盛です。
彼はこのお金で勢力を高めて後に国を我が物として手に収めるので、正直ごりごりの密貿易でした。
ですので、ご禁制の医学書も容易に手に入っていたのかもしれません。
後、南宋も滅ぼされて中原は元の時代となります。
このときに、宋代の医術は本土では滅亡してしまいました。
しかし、日本が密貿易をしていた物は国内で独自進化をしてゆきます。
元の時代は元寇でおわかりのようにすでに鎌倉時代なのですが、時を経て江戸時代になって、宋代の医術を継承した古法派という医術流派が隆盛します。
つづく