私はね、平素学校に通ったり、本を読んだり映画を観たりラジオを聴いたりして学問を積んでいます。
反対にテレビはまず観ません。
そこで、新しい、現代事情の情報が入ってくるのはネットとラジオと映画の告知ということになります。
先日、映画館で「陰陽師0」という映画の告知を観てぶったまげました。
なんだこの安っぽい画面はと思いましたし、出てくる若手の俳優さんたちの顔もまったくペラペラにしか見えません。
加えてCGで書かれたタイトルの0(ゼロ)。
陰陽師物でイケメン俳優が出ていて学園モノ、加えてCGが安っぽい。
なんだこの幸福の科学映画みたいのはと思いましたし、なんか不治の病の美少女とか出てきたら笑うなあと思ったりしました。
それくらいセルアウトに見えたのですね。
ですが。
本当のぶったまげはその後でした。
この作品があの、私の大好きな夢枕獏先生原作の陰陽師の映画化だと知りました。
まさか、あんな酸いも甘いも噛み分けが渋い中年オヤジや爺さんが季節の風流を肴に縁側で酒飲んで管巻いてる作品の映像化だなんて……。
とは言え、このシリーズはその側面もあるのです。
原作小説の表紙などを観てみれば、上に書いたような野太いタッチの絵が書いてあるのですが、人気の一面には女性作家によるコミカライズ、というかほとんど独立した派生作品の存在もあるのです。
今回の映画では監督が女性の方で、コミック版ともタイアップをしているということなので、どうやらそちらの色が強いのではないか、と見立てた次第です。
そして、その上で劇場に足を運びました。
もうほとんど当たり屋感覚で、絶対にこれは原作とかけ離れたキラキラ映画になってると違いないと決め込んで見に行ったのですが、なんとこれが、驚くべき作品でした。
まず冒頭、いきなり入り方が今様です。
平安時代がどういう時代で京都というのがどういうところなのかというのを、現代人向けに解説します。
抜粋するなら「東西に45キロ、南北に50キロの都市で、中央を幅90メートルの朱雀大路が走っている」といった次第です。メートル法を使っている。
もう、そこから一々言葉で説明しないといけないお客さんを相手にしてる作品なんだよな、いやー見事に興ざめだわー、知ってたけど、などと思っていたのでしたが、すぐに驚かされることになりました。
大内裏のことを「現在で言う永田町、霞が関のような政治の中枢である」と噛み砕いて説明した上で、陰陽師の仕事を、居もしない鬼やありもしない祟りで国民の恐怖心を煽り、呪いや儀式で目をそらす政治上の存在だとして描いているのですね。
これ、あれ、これ、もしかしていまの世相切ってる?
もろに今のこの国の永田町や霞が関や現代人のポピュリズムのこと語ってない? という感じでした。
結論としてわかりやすく言うなら、これ、昨年ものすごい破壊力で現代社会を切り捨てまくった「ゲゲゲの謎」のタイプの映画でした。
物語の背景には、そういうパフォーマンス政治の中枢に食い込む天皇付きの陰陽師になろうという人々の足の引っ張りあいがあり、最終的にはこのような一部の特権階級が利を貪る政治のやり方そのものが蠱毒なのだというお話になります。この部分は原作でも語られたことがありましたが、まさかそこをメインの映画にするとは。
思っていたようなチャラチャラした映画ではありませんでした。骨太な、ちゃんとした社会批判性の高い、立派な映画でした。
私の頭が悪かった。観に行って本当に良かったです。
特に、五行説や陰陽などについて学ぶ身としても非常にしっくりくる作品でした。
また最後、パフォーマンスで忖度をして出世することだけが目的となっていた陰陽の人に対して清明が術を披露し、そんなこと実際にできるわけはない、と驚かれるも「あんたたちにはそうだろう。でも私にはできるんだ」というシーンなどは、インチキ武術家や創作武術家ばかりの中で辟易をしている私の思いを代弁しているようでもあり、偽物ばかりの世の中への思いが一層貫かれているようにも思いました。