思わぬ縁で、私はこの人生において驚くほどに沢山の中国武術について深いところまで教われることになりました。
それは言い換えれば、まったく違うと言われて来た二種類の勁について考えると言う課題と直面するということです。
両者はまったく違うと厳に戒めていた師父その人は、いまはこれは実は結局同じ物だと言う結論に至っています。
確かに、使う部品や仕組みに関しては、実はほとんど同じであるように思います。
ですが確かに違いはあります。
違いはありますが同じと言えば同じ。
そこで私はもう一歩踏み込んで、この違いとは何かということにもう一度向かい合ってみようと思いました。
ヒントとなったのは、有名な武術家のアダム・シュー先生こと徐記老師の見解です。
徐記老師の得意武術と言えば、師伝の八極拳はもちろんなのですが、同門の中でも特に劈卦掌と陳式太極拳、そして長拳であるという印象を受けています。
ことに、このグループに居た私の大好きな友人は、カリキュラムとして常に長拳は行うと言っていました。
非常にこれを大切にしているのですね。
以前に読んだ徐記老師の文章でも、長拳は完成した武術だが現在は失伝していると言うことを書かれていました。
その完成された武術の用勁は何かというと、これはつまり長勁だということです。
この場合の長勁とは何を指しているのかに関しては恐らく注釈が必要です。
これに関して、徐記老師の師兄弟である蘇昱彰老師が著述しています。
長勁とは出ている時間が長い勁である、ということです。
距離の問題ではないのですね。時間の問題です。
この分類は私の中国武術観に大きな影響を与えてくれました。
私は良く「短い力はダメだ、長い力を使うんだ」と言われてきました。
つまり長拳とは、この長い力を使う武術です。
爆薬ではなく、火炎放射器の様に、弾丸ではなく、レーザー光線のように出続けます。
つづく