ちゃんみなちゃんのルッキズム | サウス・マーシャル・アーツ・クラブ(エイシャ身体文化アカデミー)のブログ

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 以前にこちらでも紹介したことのある、大変に知的なフィメール・ラッパーのちゃんみなちゃんが、非常に興味深いことを語っていました。

 彼女は元々、人と群れない、迎合しないと言う、とても独立心の強いアーティストです。

 というか、独立心のない人間が表現なんてしなくていいとさえ私は思うのですけれど。

 そのちゃんみなちゃんがデビューしたとき、反応の多くが容姿に関する物だったと言うのですね。

 ご存知の方ならわかるかもしれませんが、彼女の容姿は非常に個性的です。

 彼女の楽曲のメッセージとも相まって、とても強く、そしてもっと言うと「恐く」感じられます。

 そしてそれが、私にとっては物凄くセクシーで、若いのに凄艶と言った感じがするところが私はとてもすてきだと思っています。

 しかし多くの反応には否定的な物が多かったようです。

 まぁ、お人形のように可愛かったり作られたようには見えません。

 本当に生きた、生の女性として見えます。

 そこがいいというのは私のような少数派の意見だったようで、彼女は一種の攻撃にさらされて、結果拒食症のようになってしまったといいます。

 すると今度は、多くの人が食べ物が摂れなくなって痩せてしまった彼女を見て「可愛くなった」「綺麗になった」と言い出したそうなんですね。

 そこで強くて賢明な彼女は、なんなんだろう、と思ったそうでした。

 病気になって弱くなってしまった自分は可愛い、綺麗だと肯定される。

 でもそれは当然、彼女にとって望ましい自分ではない。

 そこで彼女は世間に対するアンチテーゼの楽曲を発信しました。

 以前にここで彼女を紹介した時のことを思い出します。

 私はこういう人間なので、彼女の容姿に対する凡庸な態度を取った人々を、あからさまな大衆、愚かなその他大勢のバカどもと感じます。

 しかし彼女は依然こちらに書いたように、そういう人を「バカ」だと言うのは良くないと言う姿勢の人なのですね。

 私とはまったく意見が違うのです。

 だから私は彼女が大好きなのです。

 その心が発信する物をもっと知りたい、浴びたいと感じます。

 孤独でないというのは、自分と同じ人間と言うのではなく、自分とは違う種類の人間を好ましく思うことではないでしょうか。

 彼女の発信したルッキズムに関する楽曲を聴いて、まだ若い女の子からメッセージが着たのだといいます。

 その子は小さい頃からブスだブスだと言われていて、目の整形をしたそうなのですね。

 でも、その曲を聴いてそれが間違ったことだと気づいたようでした。

 ちゃんみなちゃんのルッキズムに関する楽曲というのは、他人と自分とは違う物であり、その違いこそが美しさである、という物でした。

 他人と同じことが美しさであり、違うことは醜さだと言う感受性の、なんという貧しいことでしょうか。

 こういうとちゃんみなちゃんはいい気はしないでしょうが私は彼女ではないので堂々と言います。

 そいうのはいかにも馬鹿どもの思うようなことです。

 他者と自分の違いを美しさだと感じられる者が、他人の美しさを認められる人間になるのではないでしょうか。

 それが出来ない未熟な大衆が、この世の中を生きづらい物にする。

 そして自分自身を抑圧して、心をすり減らしながら人生を浪費して衰えて行く。

 そんな人間の、自滅するだけの生き方に付き合う必要はありません。

 自分を確立した人間は、自分のゆくべき道を行けばよい。