先日の同好会活動では、蹴ることをテーマに選びました。
運動不足解消のためにミットを蹴ろうと言うのが一つのきっかけです。
ですので、格闘技時代に使っていたミットを20年くらいぶりに引っ張り出してきました。
そういう激し目な運動をするとまた、膨張を続けている私の身体につけた服はすぐに破けると思って、当時使っていた道着も引っ張り出しました。
なんと懐かしい……。
これを着ていた頃の私は、体重が三分の二しかなかった。
それでもまだ着れたのだからよかった。
そんな訳で蹴りの練習をしたのですが、いやあそれだけ久しぶりなのだから体力がついてゆくわけは無いし、技術も衰えているはずです。
何せ一人の人間が生まれて成人するほどの時間をやっていなかったのですから。
ですが、今回は単に運動不足のためにかつての格闘技式のキックをしようという企画にはしませんでした。
せっかくですので、現在やっている中国武術式の腿法でミットを蹴ってみようという物にしました。
こういうと、中国武術をやったことのない多くの人は、80年代の香港映画のような蹴りをするのではないかと想像するかもしれませんが、映画に出てきていたのは当時最先端だったテコンドーの蹴りです。
本当の中国武術の蹴りはもっとまっすぐで泥臭い。
棒立ちならぬ棒蹴りのような、愛想のないつっけんどんな物が多いように思います。
これは勁を通して本当にある意味で棒的になっているからかもしれません。
しならせたりして蹴るのではなくて、鈍器でぶん殴るみたいな不愛想な物になります。
これは足以外でも同様。
打たれると、見た目とは全く違う、非人間的な、重くて密度の高い無機物が当たって内側に質量が入ってきてしまったような「事故」的な危機感が感じられます。非常に無機質で冷たくて絶望的な感じがする。
動物が攻撃をするときも同様の不愛想さがあるように思います。
カートゥーンのように見栄を切って大きく予備動作をしてから攻撃というような感じではなくて、気が付いた時にはトン、と攻撃が終わっているような経験があります。
やられてから気が付いて見たら血が出てる、みたいな。
中国武術は身体の動物的能力を引き出して行うので、比較的そちらによる気がします。
私が行っている中国武術の蹴りは、勢いや体重をかけることではなく、立つ力そのものを主動力とします。
他の発勁と同じです。
ですので、蹴りの練習は立ち方の練習であり、他のすべての発勁の練習でもあります。
という訳での蹴りの日でした。
その時の動画はこちらになります。
見てみたら、我ながら恫喝感がすごい……。
完全にマ・ドンソク的というか……。着ていないはずのスーツが目に浮かぶ仕上がりでした。
いわゆる喧嘩キックですね。
ですが、パフォーマンスでみるような喧嘩キックとは違うのは、そのまま体重を乗せて踏みつぶすような物とは全く違うと言うことです。
立ち方の威力で打っているので、そういう体重を相手に掛けるようなことはしません。
そこが格闘技との違いでもあります。
ですので、格闘技のようにピョンピョンとスキップもしません。
じっくりとしっかり立ちます。
相手に近づくときに、小さい歩幅で少しづつ歩いているのは立っている軸を維持したままだからです。
そうすると、体重をかけて相手もろとも雪崩れ込むのではなくて、相手だけがそのまま後ろに行きます。
手で推すときと同じですね。
そうやって相手を吹っ飛ばす力で打ちます。
格闘技の蹴りだと、相手の体重と自分の体重+加速度を調和させて、だいたいこの辺りのバランスでつじつまが合うだろうな、という調節を無意識に計算した上で蹴ります。
なぜなら体重を浴びせているために、計算が出来ていないと自分がそのまま流れたり倒れたりするからです。
ですので、血気盛んな若者の喧嘩キックでは飛び蹴りをしてそのまま同体に倒れこんだりするさまがまま見られます。
訓練を積んだ格闘家はそうならないように計算して、蹴った後にバウンドして自分がまた立っている状態に戻ってこれるように体重を掛けます。
そして、蹴った後は蹴り足を着地させて少しステップして崩れたバランスを立て直します。
中国式ではこれをしません。
仏様の教えの通りに、独法独鈷で独立を維持したまま蹴り、そのまま足を安定させて戻す。軸の強さを相手に足越しに伝えているのですね。
動画の蹴りでも、腰を使っているので膝を傷めないように少し踵が上がっていますが、足裏の回転を使って遠心的に体重を投げつけると言うことはしていません。
あくまであの状態ががっちり一人で立ったままです。定力ですね。
ですから、この翌日にはそうやって地面と繋がるのに使っていたふくらはぎの筋肉にひどい筋肉痛が出ました。
このやりかたでは、ミット無しならそのまま相手の背骨を蹴り折ったり、消化器官を引きちぎるようにして利かせます。
そのままぶっ飛ばす用法もいくつかの門派で教わりました。
これを蹬腿と言います。
また、穿心腿とも言うようです。
心を穿つと言うのですが、これは必ずしも心臓という意味ではないとふんでいます。
日本で言うみぞおちの部分を心窩と言うのですが、そのためにこの名になったのではないかと思っています。
そこを足裏で蹴る。
蔡李佛でも、他の蹴りとは明白に分けて使っている物です。
動画の最後で相手を身体ごとぶっ飛ばしているのが特にその特徴が出ていますね。
しかし、実際には私はこの蹴りを実戦で使ったことはありません。
実際に蹴るときは爪先を使いました。
外では靴を履いていますからね。
こうすると鋭角に苦痛を与えられるのですぐに足を引き戻すことが出来ます。
それに、そうして蹴れば全ての威力を相手に送り込まないので、スタンさせるだけで大きなダメージを与えないで済みます。
ばんたび人の背中を折っていては、何度刑務所に入っても足りなくなる。