台湾の太極拳から | サウス・マーシャル・アーツ・クラブ(エイシャ身体文化アカデミー)のブログ

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気持ちよく生きるためのライフスタイルとしての南派拳法(カンフー)蔡李佛拳とエスクリマ(フィリピン武術)ラプンティ・アルニス・デ・アバニコを横浜、湘南、都内で練習しています。オンライン・レッスン一か月@10000で行っております。
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 前回は東北地方の太極拳について所見を書きましたが、今回は真逆の南側、台湾の太極拳について書いてみたいと思います。

 こちらもどうやら日本に正統な練習グループがあるらしく、系統名を名乗って動画を発信しています。

 そこの動画を先日目にしたのですが、これ、完全に鶴拳ではないですか。

 元々この伝の太極拳は、白鶴拳士が後から渡来してきた太極拳を学んで独立した物だと言います。

 ですので、伝承無いように白鶴拳が残っていて非常に興味深いと以前から思っていました。

 この派が公言することには、太極拳より白鶴拳の方が発勁が強いからやるのだということ。

 うーん、これは分からない。

 私の研究では、結局少林心意把経由なりで同じ勁が太極拳にも白鶴拳にも伝わったのではないかと思っているので、その差異で影響が出るかはわかりません。

 そして、太極拳も白鶴拳そのものもしっかり分かるまでやっていないので、いまの私には検討のしようがない。

 この辺り、私の「心意の勁の伝播」という研究テーマの範疇ですので、いずれ誰か専門家の意見を聞いてみたいところです。

 ただ、この派が両者の勁を同じ物だとして認識している、および活用していることは分かりました。

 この派では発勁をして相手を飛ばすときに、鶴拳の三角歩で入って行っていました。

 これは私たちは五祖拳で行う方法です。

 五祖拳は鶴拳類なので、当然この足を用います。

 そして、鶴の足と言うことなのですが、心意の拳訣では足は鶏の足と言います。

 鳥類で繋がります。

 さらにこの派では、相手を抜根して飛ばした後に、残心していたのですが、それが完全に鶴拳類の吊馬と抱牌手。

 うん。鶴拳ですね、これは。

 太極拳の理屈で白鶴拳をやっている。

 これは私のテーマそのものの要素となる部分ですね。

 この要素とならんでもう一つ、この派には面白いところがありました。

 暗勁による推手として動画で公開していた物が、私たちが言う処の借力なのですね。

 え、それ推手なの? 推手でいいの? という感じでした。

 私たち蔡李佛、本来は推手しないけど(推掌という物があるけれど、恐らくは後で入って来たものだろう)、これは普通にやるんですよ。

 で、こちらは他の太極拳では見た記憶がない。私があまり太極拳の動画をみていないので、やってるのかもしれないけど、やっていない気がする。

 というのもこれ、一般的には日本の柔術で良くみられる手法です。

 で、日本の柔術と言うのは、江戸時代に陳ゲンピンが伝えた中国武術だと言う説があります。

 少なくとも、そういう要素もあったのでしょう。

 その要素である借力、これは白鶴拳類に伝わっている物なのですね。

 ですので、これもまた、白鶴拳経由でこちらの太極拳に持ち込まれている可能性が極めて高い。

 ほとんど推手をしない、相手と接触して崩すところからやらない手法なのですけれど、これにまつわる面白い話として、少し前に師父が教えてくれたことがあります。

 師父は太極拳の先生でもあるのですが、こちらの派では推手をほとんどやらない。

 師父がやらないだけではなくて、師父の先生もやらなかったそうで、太極拳の本質としての意味をそこに見ていなかったそうです。

 ちなみにその大先生は禅宗の僧侶だったので、禅としての太極拳を追及されていました。

 一方でその薫陶を受けた師父が推手をやらない理由としては、あまりに遅すぎて使えないからだ、と言います。

 師父はまた、柔術の師範でもあります。

 その観点からすると、柔術的な意識があれば、触った瞬間にもう相手は蔡李佛で言う借力で落とせるのだから、わざわざ崩す必要が無いのだと言います。

 私個人としては、その力の流れ、崩れる場所などを体で学ぶための段階として推手があるのではないかという気がするのですが、いずれ、本質的には必要ない、ということは納得が行くような気がします。

 これらを考えると、他の太極拳とは全く違うこの白鶴派の太極拳、結果的に太極拳の根本にさかのぼって本質を掴んでいるのではないかという気もしてきます。

 ただあくまでそれは私の心意の勁の伝播に関する研究からくる仮説と見立てが正しかった場合の話です。

 もしかしたら、この派の元祖の先生は、「元々白鶴拳が出来るから、太極拳とただ混ぜただけなんだよね」と言う可能性だってあります。

 心意と太極拳と柔術、色々な方向に学問的に伝わる、非常に面白い特異点的な派なので、ここらあたりもまた非常に面白い刃です。

 

 なお、この派もまた、推手のための推手はただの頭の中で作った技で使い物にならないというようなことを明言して発信していました。

 古伝のスタイルの意見は重なり合うようです。

 余談ですが、以前にこちらで紹介したインチキ功夫先生が語る面白歴史話によれば、意拳の王向斎先生が名を上げたのは、素手での推手での試合でだそうです。 

 それまでの武術家と言えば兵器による試合が普通だったのですが、近代人である王先生は素手で行った。

 この秘密は、白鶴拳を学んでこの白鶴拳の手法と用勁を得ていたからだといいます。

 遅すぎる、使い物にならないと色々な先生が言っているこの推手の腕比べにおいて、元々白鶴拳は太極拳より強かったらしいので、それを使ってイジメていた、というのがこのインチキ先生のお話でした。

 本当かどうかは分かりませんが、この南の太極拳の派の存在からすると、そういうことがあったとしてもおかしくはないかもしれません。

 まぁ少なくとも、この派の先生のいわゆる巷間の推手に関する見解は、上述した通りとなっています。