狼よさらば | サウス・マーシャル・アーツ・クラブ(エイシャ身体文化アカデミー)のブログ

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 先日、私の理想の男性像とも言えるロバート・マッコールさんを主人公にした映画「イコライザー2」を鑑賞したのですが、いつのまにかさらりと「狼よさらば」のリメイク版が公開されていました。

 狼よさらばは70年代の映画で、チャールズ・ブロンソン主演の作品です。

 当時の映画らしい「病めるアメリカ」を描写したヴァイオレンス映画で、少年期の私に「アメリカ怖い」との印象を刷り込み、ヒップポケットに財布入れてたらOUT、公衆トイレに入ったらもう無事では出られないという印象を叩きこんでくれました。

 それと同時に、主演のチャールズ・ブロンソンの存在感に圧倒されました。

 男と言う物の在り方。

 まだ線の細い子供だった私には、自分が武骨でのっそりした本物の男ではないことにコンプレックスがあり、そして同時にそうして大人になっていくことに対してどうすればいいのかというとまどいがあったのですが、その迷いに対してある種の答えのような物を見せてくれました。

「狼よさらば」はオリジナルタイトルをデス・ウィッシュと言い、その後シリーズ化されてテレビ東京で何度も再会を繰り返してゆくのですが、それによって定期的に私に男児の在り方をアップデートしてくれるようなところがありました。

 時々やってくる親戚のおじさんのように、ブロンソンが「坊主、やってるか?」と訪れてくれては本物の男児の在り方を見せてくれているような状態です。

 問題はそのデス・ウィッシュ・シリーズの内容なのですが、これは何も考えてない町のチンピラに妻子を襲われたおとなしい中年男が、社会の悪に立ち向かう生き方に向かって行って暴力のループに陥ってゆくという物です。

 マッチョではあるもののどこかどんくさそうな体型、人の好さそうな顔立ち、ダサい髪形のブロンソンが、その穏やかな日常を現実に浸食されて、過剰にそのもう一面の現実の権化のようになってゆく様は、強いと言うことの悲しみを強く伝えてくれました。

 ケンシロウのようにひたすら人を殺してゆくのでもなく、ルパン三世のようにふざけながら活動をするのでもなく、キン肉マンやジャッキー・チェンのように明るく少年の心のまま戦うのでもない、大人の男の修羅の道がそこにはありました。

 特に、立ち居振る舞いのバタバタした感じや、悲惨な人生で苛烈な私刑を繰り返してゆくなかでもストロベリー・アイスクリームを食べるようなシーンでは「あぁ、ゴツい大人の男でもストロベリーアイスを食べてもいいんだ」という教えをくれました。

 不幸な環境に居るからと言って、典型的な不幸な役回りをしなくてもいい。

 そういう、陰陽思想的なことを男の中の男が私に教えてくれたものです。

 過酷な状況に陥ることがあったとしても、等身大の自分で在り続けるということ。そういう姿を見せてくれたように思います。

 そしてかたやで、だからこそ暴力に対して暴力で立ち向かい、どんどん自分が落ちて行くということについて考えさせてくれました。

 いまの私はね、まぁブロンソンほどではないですけれどもゴツくてどんくさそうなおっさんですよ。

 海外の陸軍の教官から格闘術の訓練を受けてそれを職業にしている人間でもありますよ。

 かつてはそういった要素を活用して人を捕まえることで生活を成り立たせていたわけでもあります。

 しかし、ブロンソンの日常に入り込んでいたような、無軌道で愚かな悪という物に対して、行きがかりにただ暴力をふるうのではなく、それはなんなんだろう、どうしてそんなことになるのだろう、というアプローチをして行き、可能な限りそれに対して対策を検討するということが、私の闘争となりました。

 これはね、私にとってはきちんとした一歩です。

 そういう意味でね、ブロンソンの教育はまだ生き続けてる訳です。