昨夜も書いた通り、ハロウィンの評判が今年は極めて悪かったようです。
あの後の報道でも、地方からヤン車で来たようなおのぼりさんが音楽を掛けて自分たちだけで輪になって踊った挙句、裸になったり火遊びをしたりしてひんしゅくを買っていたようでした。
この話に接して思ったのが「あぁ、この人たち、きっと人生で一番いいことってセックスなんだろうなあ」ということでした。
これまでも書いてきた通り、気功とは外部に働く多くの力と、自分の内に働く性の力を活用する物です。
なので、その命の力そのものであるセックスの力を、セックス以外に活用することが肝となります。
命は利己的な物であり、繁殖だけを目的としているため、その機能である性の力には競争相手を殲滅したりする意志や、未来に自分の遺伝子をつなぐために自分と言う個体を犠牲にしたりする部分が含まれています。
そのような本能の持つ強い力を誘導すれば、自らの実存すべてをかけて誇りや芸術にすべてを費やすことも出来る訳です。
すなわち、本当に自由に自分が望んだように生きることが可能であるかもしれない。ということです。
そのような力の入り口であるセックスは、それは強く人を惹きつける力があります。
生命力の多くの機能は、いかにセックスをするかという目的のために付けられています。
気功により性の力を強くすれば、髪や肌が美しくなり、女性は胸が発達し、男性は下腹や四肢が太く強そうになります。
これに伴って、以前に地母神の文で書いたように女性や保護欲が増し、男性は攻撃性が増す部分もあります。
それらの我欲に操られてしまうと人生が欲に溺れた物になってしまうので必ず気功の学習には正しいガイドが必要なのですが、つまるところあのハロウィンで暴れるだけしかできなかったようなダサい連中と言うのは、この本能の部分に流されてしまうレベル内での生き方し送れれていないのではないかと思った次第です。
そうなると、必然、そういう人の人生での喜びの最高到達点はセックスとなりえます。
それは全然いいのですけど、ですけどでも、前に書いたようにその先の喜びというものにも人間は至れる訳です。
その機会を失ってしまうのがもったいないように思います。
例えばです。
私はまぁ、例えばこないだのフィリピンフィールド・ワークの時に、二十万くらいを費やすわけですね。
そのうち五万は飛行機代。
五万円は宿泊費。
それから食費や換えのTシャツ代になります。あとはレッスンの寸志。
でね、これをただ、セックスが快楽の上限の生き方をしていれば、そのまま高級風俗に行って終わりです。
知らないことを知るとか、世界史の痕跡に触れるとか、未知の技術を体得するとか、そういう学問上の喜びには遭遇できません。
20万ていどでは車を買ったりすることも出来ないから、一回か二回高級店に行って終わりです。
ベンツに乗ってゴルフやってソープに行く。それが人生の最大の喜びだと思い込んで疑わないおっさんはいっぱいいます。
私はそういう人生が貧しいと思う。
一年に一回のたかだか二十万で、私はその額面では計り知れないくらいの人生の大きな喜びを得ています。
高級風俗に行くと人生が変わるかどうかは知りませんが、渡航して修行するたびに確実に私の人生は大きく変わっています。金額の多寡ではないのです。
セックスの壁のこちら側の喜びというのは、性行為の代替的な物や性的な本能が変化した形で発露した物が多いというのは知られた話です。
ベンツもゴルフもそのようなものではないでしょうか。
その強い吸引力のあるセックスの枠の向こう側に、本当の自分自身の生き方からくる歓びがあると私は思うところがあります。
そういう生き方をしている人を、魅力的な人というのではないでしょうか。