虚勢の迷い道 | サウス・マーシャル・アーツ・クラブ(エイシャ身体文化アカデミー)のブログ

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気持ちよく生きるためのライフスタイルとしての南派拳法(カンフー)蔡李佛拳とエスクリマ(フィリピン武術)ラプンティ・アルニス・デ・アバニコを横浜、湘南、都内で練習しています。オンライン・レッスン一か月@10000で行っております。
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 諸々の愚者に親しまないで、諸々の賢者に親しみ、尊敬すべき人々を尊敬すること、──これがこよなき幸せである。
 これは、お釈迦様のお話にある一節だそうです。
 衆生を救うお釈迦さまのエピソードの中にもこのような言葉があるくらい、実はこのことは重要であるようです。
 同じ場所に居て、同じことをしているようでも、まったく違うことになっていることがあります。
 私たちの稽古でも、着実に自分のすることを身に着けて行っている人もいれば、ただ情報を得て満足しているような人もいます。
 後者の方は何か、甘い誘惑のある物なのかもしれません。しかし、地道な積み重ねをせずに誘惑に飲まれ続けてしまっていると、中々に大変なことになります。
 実力が無い者ほど、噂話や情報の罠に飲み込まれてしまいます。
 そうなると、噂話や情報量の多さを振り回して、自分の実力のなさから目をそらすようになるようです。
 コンプレックスがこじらせるのでしょう。
 さらに幼稚な者になると、虚勢を張り続けることが自己目的化するようなことになるようです。
 実力が無いので虚勢をはり、虚勢を張ってしまったから身を低くして謙虚に稽古が出来なくなると言うサイクルにはまってしまいます。
 こうなるともう、おそらくは改善が非常に困難になるため、療養は大変に難しいことでしょう。 
 自我というのは自分を自分足らしめる物ですが、それを粉飾に働かせると、取り返しのつかないことになるようです。
 いい年をして実態のない空威張りを、女子供にしてはご満悦でニヤニヤしている50男をみたことがあります。
 あまりの異常さに唖然としましたが、本人は気づいていないようでした。
 聞けばいろいろかじっているのですが何をしてもなんの実力もなく、聞けば名誉段程度の万年初段ということでした。
 後から入ってきた20代30代の人が、どんどん自分を追い越してゆく中、そんなことばかりしているのだから、きっとそのままで60代になり、しだいに身体も動かなくなっていってしょぼい老人になってしまうのでしょう。
 せっかく物を学ぼうとして始めたはずのことなのに、心も体も貧しくさせて終わるだけという、大変に自分のためにならない選択をしてしまっているように思います。
 自分のしていること、自分のしていることで何が大切とされているのか、それに対して自分はどのように取り組んでいるのか、その結果とりこぼした物があるならそれに対してきちんと自分は誠意をもって受け入れられているか。そういうことが大切なように感じます。
 自分が良いものになれるようなことをしていなければ、せっかくの努力も甲斐が無い。
 賎しい喜びにおぼれるのではなく、目指すべき良い目標を見つけて、そちらに向かってゆくための道のりを自分できちんと見出して、一歩一歩進んでゆかないと、人はたやすく道に迷うのかもしれません。