すもうとかけっこ(昭和40年代) | 南風のブログ

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脳梗塞患者で闘病生活中です。
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2024年の年始に、

箱根駅伝を観ていて、

昭和40年代の北海道の運動会は、

足袋を履いて走っていた。

なんてことを思い出したりしました。

 

 

南風は、昭和30年代の北海道出身です。

1966(昭和41)年4月1日、木古内町立木古内小学校入学。

入学後すぐ引っ越し。

1966(昭和41)年4月6日、瀬棚町立瀬棚小学校入学です。

小学校の入学式を2回やったレアケースです。

なんか、瀬棚小学校在学中に創立90周年を迎えた記憶があるので、

調べてみたら、瀬棚小学校は、1879(明治12)年創立でした。

ということは、1969(昭和44)年に創立90周年です。

4年生の時に、創立90周年でした。

今年、2024(令和6)年には、創立145年を迎えます。

 

そういえば、当時の小学生の主な遊びは、

相撲と駆けっこでした。

何かって言うと、走って、相撲をとりました。

校庭に土俵がありましたよ。

木古内小学校のことは覚えてませんが、

父が勤務していた木古内高校には、土俵がありました。

瀬棚小学校、中学校、高校にも、土俵があったと記憶しています。

瀬棚町の郷土力士は、元大関大受ですからね。

 

 

瀬棚小学校に、その時は、まだ大関じゃなかったかもしれませんが、

大受関が来校した時は、小学生達が総出で大歓迎で、

もみくちゃにされて大変でした。

南風は、瀬棚町出身じゃないので、よく知らなかった。

でも、瀬棚町のアイドルだったのでしょうね。

 

南風は幼稚園にも保育園にも通わなかったので、

3歳から6歳を過ごした木古内町では、

近所の子どもが幼稚園から帰って来るまでは、

ひとりで遊んで、近所の子どもが幼稚園から帰ってきたら、

一緒に遊ぶというパターンでした。

 

3歳から6歳の子どもが、独りで遊ぶなんて、

現在では、とても考えられませんね。

現代の幼稚園児は、子ども同志で遊ぶ時には、

親が付き添っていますからね。

ママ同士が仲良くないと、子ども同士も遊べないし、

幼馴染にならないのが現代社会です。

 

しかし、昭和30年代末から昭和40年代は、

子どもが独りで、山や川や海や、林や草原で

遊ぶのが容認されていました。

 

そして、子ども同士も、自分たちで声をかけ合って、

一緒に遊び、仲間をつくっていました。

今から思えば、なんというコミュニケーション力だろう?

親は、全く関係ない、子ども社会が存在したのですね。

 

そして、そして、家の中で遊ぶという選択肢はなく、

 

※現在では、家の外で遊ぶという選択肢が、公園や校庭しかなくなりました。

運動したければ、〇〇教室かスポーツ少年団等に入るしかない。

 

家の中で遊ぶという選択肢がない以上、遊ぶ場所は自然の中か、

広場って呼ばれる場所でした。

あとは、道路ですね。

クルマが少ないということもありましたが、

舗装されていない「道」というモノが昭和の北海道にはありました。

あぜ道、ほそ道、さんぽ道ですね。

 

そして昭和30年代(小さかったからあまり覚えていないので多分?)から40年代の、

男の子の遊びは、すもうとかけっこでした。

 

「土俵(円)」があると、相撲をとり、

「道」があると、かけっこをしました。

体育館のバスケットゴールの手前の円形ラインは、土俵なの。

「道」があると、かけっこをしたのは、小学校5年生になると、

陸上競技が始まって終わりました。

 

しかし、円ラインがあると相撲をとるのは、

中学3年まで続きました。

北海道の中学生は、本当によく相撲をとり続けた。

高校生まで相撲とったかもしれない。

でも、それは空手部だったからで、運動部員以外の

一般生徒は、さすがに高校生になったら相撲は卒業かな?

 

男の子の遊びの「すもう」と「かけっこ」は、

安全に手っ取り早く序列を決められて、便利な遊びだったのでした。

昭和だから、子どもの時からずーと相撲をとり続けたから、

安全だったのかもしれませんね。

武器を持たないし、殴ったり蹴ったりしないしね。

 

令和の子ども達は、すもうをとったことが無いだろうから、

悪意があれば、相手を傷つけることができるし、

身を守るすべを知らずに怪我をするかもしれない。

 

勝っても負けても、色々なことを学べた、昭和の遊びは、

もう、記憶や想い出の中にしか、存在しなくなったのでしょうね。

 

昭和30年代(1955~1964)から40年代(1965~1974)は、現在と本当に違いましたね。

そんな時代、皆さんすっかり忘れてしまっているのではと思います。

すもうもかけっこも、やるものから観るものに、なってしまいました。

 

お読みいただき有難うございました。