「オペラの怪人(1925)」
(原題:The Phantom of the Opera)
1925年9月6日公開。
サイレント時代の古典ホラー作品。
興行収入:$2,000,000。
原作:ガストン・ルルー『オペラ座の怪人』
脚本:エリオット・J・クローソン
監督:ルパート・ジュリアン
キャスト:
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あらすじ:
1880年。
パリ・オペラ座には恐ろしい幽霊が現われるという評判が立ち、舞姫たちや道具方は恐怖に襲われた折も折、道具方の一人が縊死したのでこれも幽霊のしわざだとますます人々は恐れた。
オペラ座の支配人引退興行の夜のこと、プリマドンナのカルロッタが突然の病気のため無名の歌手クリスティーヌ・ダーエが「ファウスト」のマルグリットを演じ大成功を博した。
シャニーの子爵ラウールは彼女に思いを寄せ、彼女の仕度部屋を訪れると、不思議や部屋の中には何者とも知れぬ男の声がし、クリスティーヌの哀訴の声が聞えたので、ラウールは嫉妬に堪えられなかった。
実はクリスティーヌは、正体の分からぬその声に歌の指導を受けていた。
新しい支配人は幽霊なんかと冷笑し、怪人を名乗る者からカルロッタを降板せよとの脅迫状が届くが、それを無視してカルロッタを舞台に立たせる。
すると大天井のシャンデリアが墜ちて多くの人々が死傷した。
その夜、クリスティーヌの元に怪人が現れる。
その怪人こそ生来の恐ろしい顔を持つエリックであった。
エリックはクリスティーヌを愛していたが、クリスティーヌは彼の恐ろしい姿に怯え、怪人というのはオペラ座の地下の湖に棲むエリックであることをラウールに告げる。
ついにある晩の開演中、エリックはクリスティーヌを連れ去る。
ラウールは愛人を助けに、一人のペルシャ人の案内のもと地下の湖に出かける。
ラウールは果して愛人を救うことができるだろうか。
かくして戦慄すべきクライマックスがいよいよ展開される。
コメント:
ガストン・ルルーの小説『オペラ座の怪人』を基にした1925年のアメリカ合衆国のサイレント・ホラー映画。
映画の日本語タイトルは「オペラの怪人」である。
サイレント映画だが、字幕が頻繁に挿入されていて、音楽もあるので、状況や意味は理解できる。
鮮明な画像で、見やすい映画になっている。
ルパート・ジュリアンが監督し、ロン・チェイニーが愛する女性をスターにするために殺人や暴力を犯すパリ国立オペラに出没するタイトル・ロールの醜い怪人役を演じた。
映画公開まで門外不出であったチェイニーが自ら考案したメイクで、チェイニーにとってもっとも有名なホラー映画である。
1925年の米国・ユニバーサル社の超特作映画である。
各時代のリメイク作品によって、すでによく知っている物語そのものよりは、ドイツ表現派の流れを汲む光と影のコントラストが効いた画面構成になっている。
様々な仕掛けがある迷宮的地下空間や喧噪に満ちた仮面舞踏会のモブシーン、パリオペラ座の豪奢なインテリアとそれとは対をなす陰鬱なバックステージ、そして、クライマックスをスリリングに盛り上げる洗練されたカットバックなど、そんなあれやこれやに見入るクラシカルな怪異譚である。
1923年の映画『ノートルダムのせむし男』の成功後、チェイニーは怪人役として再度自身で自由にメイクアップすることになり、特殊メイクがチェイニーの主演映画の定番となっていった。
眼窩に沿って黒く塗り、骸骨のような印象を与えた。
鼻先を上げてワイヤーで留めて鼻腔を黒く塗って大きく見せ、ギザギザの付け歯で醜く恐ろしい怪人の見た目を形成した。
『オペラの怪人』公開時、クリスティーヌが怪人の仮面を外して骸骨のような顔が現れると、観客は叫び声を上げたり気絶したりしたという。
チェイニーによる怪人は原作で表現される骸骨のような顔、少ない黒髪という怪人エリックの見た目に最も忠実である。
原作同様チェイニーの怪人は先天的に醜く、他の作品であるような酸や火などによる後天的なものではないという。
主人公を演じたロン・チェイニーは、ホラー映画史上では、チェイニー死後の1930年代に活躍したベラ・ルゴシ、ボリス・カーロフと共に「戦前の三大怪奇スター」として位置づけられている。
コロラド州コロラドスプリングス生まれの米国人。
本名はレオニダス・フランク・チェイニー(Leonidas Frank Chaney)。
父親はイングランドおよびフランス系、母親はスコットランド、アイルランド、イングランドの血を引く。
両親が聾唖者だったことから、幼くしてパントマイムを覚えたといわれる。
1902年より演劇活動をはじめ、ヴォードヴィルの舞台で各地を回る。
1905年に当時16歳の歌手Cleva Creightonと結婚し、翌年息子ロン・チェイニー・ジュニアが生まれる。
1910年にはロサンゼルスに落ち着く。
しかし夫婦生活のトラブルから1913年、チェイニーがマネージングする舞台が上演されていた劇場で妻が自殺を図る事件が起きる。
妻は命は取り留めたが、その出来事がきっかけで舞台を離れて映画界入り。
細かい時期は分かっていないが1912年より1917年位までユニバーサル・スタジオと契約し端役で映画に出演する。1915年には元コーラス・ガールのHazel Hastingsと再婚。
メイクアップや扮装研究に没頭し、「千の顔を持つ男」の異名を取る個性派スターとなった。
特に『ノートルダムの傴僂男』(1923年)、『オペラの怪人』(1925年)での恐ろしいメイクと演技で、後のホラー映画に多大な影響を与えた。
チェイニーが作り出したノートルダムの鐘つき男カジモド、パリ国立オペラの怪人エリックの2人は映画史上最もグロテスクで醜い登場人物とされている。
しかし悲劇的運命の被害者としてこの醜い姿に恐怖心や嫌悪感を抱かない観客からは同情や哀愁を感じられた。
この映画は、YouTubeで全編無料視聴可能。
(英語字幕のみ)
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