人生・嵐も晴れもあり!

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「マダムと女房」

 

 

「マダムと女房」 全編

 

1931年8月1日公開。

田中絹代がヒロインの初トーキー作品。

1931年度のキネマ旬報ベストテン第1位。

 

原作・脚色:北村小松

監督:五所平之助

出演者:

渡辺篤、田中絹代、市村美津子、伊達里子、横尾泥海男

 

あらすじ:

劇作家の芝野新作(渡辺篤)は、「上演料500円」の大仕事を受け、静かな環境で集中して台本を書くため、郊外の住宅地で借家を探し歩いていた。

そのうち新作は路上で写生をしていた画家(横尾泥海男)と言い争いになり、それを銭湯帰りの「マダム」(市村美津子)が仲裁する。

その後、妻・絹代(田中絹代)や2人の子供とともに新居に越してきた新作。

だが、仕事に取りかかろうとするたびに、野良猫の鳴き声や、薬売りなどに邪魔をされ、何日も仕事がはかどらない。

ある日、隣家でパーティが開かれ、ジャズの演奏が始まった。

新作はたまらず隣家に乗り込むが、応対したのはかつての「マダム」・山川滝子だった。

マダムは、自身がジャズバンドの歌手であることを明かし、音楽家仲間を紹介した。

新作は言われるままに隣家に上がり、酒をすすめられ、ともに歌った。

その頃、絹代は窓越しに隣家の様子を見ていた。

絹代は『ブロードウェイ・メロディ』を口ずさみながら上機嫌で帰宅した新作を叱りつけ、嫉妬心からミシンの音を立て始め、果てには「洋服を買ってちょうだい」とねだる。

新作はそんな絹代に取り合おうとせず、「上演料500円。不言実行」と告げて机に向かう。

数日後。芝野家は、百貨店から自宅へ戻る道を歩いていた。

住宅の新築工事や、空を飛ぶ飛行機をながめながら談笑し、一家はささやかな幸福を噛みしめた。

そのうち「マダム」宅から『私の青空』のメロディが流れ、一家は口ずさみながら家路につくのだった。

 

 

コメント:

 

日本初の本格的トーキー作品。

どうやら、田中絹代の作品で、現在残っている映像はこれが最も古いようだ。

1時間未満の短時間の作品。

前年の1930年に松竹キネマが公開した「お嬢さん」は、現在脚本しか残っていないという。

 

本作のストーリーは極めて単純だ。

執筆のために静かな郊外に引っ越してきた、渡辺篤演じる劇作家・芝野の一家。

だが、猫の鳴き声に子どもの夜泣き、ジャズ音楽に足踏みミシンと、常に何かの音が鳴りっぱなし。

そして極め付けは、田中絹代演じる妻の「あなたぁ、あなたぁ」である。

ただ、そんな田中絹代の声は、隣のマダムに嫉妬して洋服を買ってほしいとねだる等、性格もやたらと可愛い。

その反面、子育てに関しては夫に手厳しい。

妻側と夫側、両方の思うことは現代にも通じそうな気がする。

また、雑音を振り払うべく悪戦苦闘する渡辺篤のコミカルなひとり芝居も面白い。

ラストで描かれる夫婦が仲睦まじくいシーンは微笑ましい。

 

 

田園調布が舞台の、いかにも五所監督らしい庶民喜劇。

「この映画は音も入っているんだぞ」ということをアピールする狙いもあって、色々な音の挿入にこだわっているのはもちろん、渡辺篤のやたらコミカルな演技が笑いをそそる。

特にジャズの音で創作に集中できないところとか、小道具の使い方も印象的。

特に渡辺の女房・田中絹代が自分の櫛をグイッと曲げるカットに、マダム・伊達里子に対する嫉妬心の強さが上手く表れている。

 

昭和6年に公開された記念すべき、本格的トーキー作品。

何とこの頃から、パーティが開かれ、洒落た蝶ネクタイなどの姿でジャズを演奏したり、ダンスを踊るシーンがある。

マダムたちのヘアスタイルが奇抜で、こんなファッションが好まれていたのかと思うと笑える。

歌はかっこ良くはないが、すでに西洋風の人物が多数いることに驚く。

大正ロマンの流れで、もうけっこう現代的になっていたようだ。

 

エンドで、夫と田中絹代が二人で仲良く「私の青空」を歌っているシーン。

平和で、明るい未来を感じさせる。

 

 

この年は、中国の奉天郊外の柳条湖で南満州鉄道が爆破された「満州事変」が勃発した年だが、まだ戦争の気配は一般家庭では感じられない一見平和な時代だったようだ。

 

渡辺篤は、1898年に東京・浅草で生まれた俳優。

本作後は松竹を離れたため、田中絹代とのその後の共演はないようだ。

戦後は、主に榎本健一や古川緑波らが主演したアチャラカ喜劇に出演。

1950年代からは東映時代劇で活躍し、月形龍之介主演の『水戸黄門漫遊記』シリーズや、市川右太衛門主演の『旗本退屈男』シリーズなどに常連出演した。

そのほか嵐寛寿郎主演の『右門捕物帖』シリーズではおしゃべり伝六を演じた。

一方、黒澤明監督にも重用され、『素晴らしき日曜日』から『どですかでん』までの8作に出演した。

特に『どん底』での演技は評価が高いようである。

ビートたけしが好きな俳優の一人に渡辺篤をあげており、息子の名前に篤と付けたという。

 

この映画は、今ならYouTubeで全編無料視聴可能。

 

この映画は、TSUTAYAで購入可能:

(『マダムと女房』と『春琴抄 お琴と佐助』(1935年)の2編セット)

 

 

 

 

「卑弥呼」

 

 

「卑弥呼」 全編

 

1974年3月9日公開。

夫・篠田正浩の演出で岩下志麻が演じる卑弥呼が印象的な異色作。

 

脚本:富岡多恵子、篠田正浩

監督:篠田正浩

出演者:

岩下志麻 、 草刈正雄 、 横山リエ 、 三國連太郎 、 加藤嘉 、 河原崎長一郎 、河原崎健三  、 浜村純 

 

あらすじ:

このクニは、神の祭事もクニの祭事も、ヒミコ(岩下志麻)の聴く日の神の言葉で行われていた。

そして、クニの政事は、オオキミ(加藤嘉)を長として、ミマキ(河原崎長一郎)、イクメ(河原崎健三)という二人の息子と、ナシメ老人(三國連太郎)が中心となって行われていた。

タケヒコ(草刈正雄)が遠い国から、このクニに帰って来た。

ある夜、ヒミコはナシメに、タケヒコを呼ぶように命じた。

タケヒコには国ツ神の臣の娘アダヒメ(横山リエ)が、というナシメの意見を無視するヒミコ。

逞しい若者に成長したタケヒコはヒミコにとって異母弟にあたった。

タケヒコを抱きしめるヒミコの顔が女の顔に変わる。

タケヒコは肉親の情から異性への欲情に変化するには少しのためらいがあったが、肉体の若さがそれを打ち消した。

ヒミコがタケヒコを恋い慕っているという噂がオオキミの耳に入り、彼はヒミコが聴く神の託宣に疑問を持ち始めた。

ヒミコなくしては、このクニの政事はできぬ、と思うナシメは秘かに策をめぐらした。

神殿で神を招くために琴をひきならすオオキミ。

ヒミコの口から出た神のお告げは、神の言葉を疑ったオオキミの死だった。

それを聞いて怒ったオオキミを背後からナシメが刃物で刺し殺した。

琴の上に倒れたオオキミを見て、人々は恐れおののいた。

やがて、オオキミの埋葬が行われ、ミマキが王となった。

クケヒコを追ってこのクニにやって来ていたアダヒメは、彼に恋する想いを打ち明けた。

強く抱き合う二人。

この二人のことを知ったヒミコは怒り狂い、タケヒコを逮捕して、彼の瓜を剥ぎ、入れ墨をしたうえ、このクニから追放した。

タケヒコの後をアダヒメが追った。

やがて、ヒミコはミマキとイクメに、タケヒコが国ツ神に守られて再びこのクニに現われる、というお告げを呻くように繰り返した。

ヒミコのお告げ通り、国ツ神の兵をひきいて先頭に立つタケヒコとアダヒメか襲って来た。

だが、戦いは国ツ神側の敗北に終り、タケヒコは死んだ……。

この戦さの後、ナシメとミマキはヒミコ殺害の謀議を行い、数人の国ツ神の男たちにヒミコを襲わせ殺害してしまった。

ヒミコの死後、老いさらばえたナシメは、ひとり荒れ果てた台地をさまよっていた……。

 

 

コメント:

 

映像は、すこぶるアートな雰囲気。

宮殿のつくりは、オペラや劇の舞台のようで、古代エジプトやギリシャを連想させるもの。

柱などは、白で統一されているが、色を変えればアイーダとかの舞台になってもいいくらいのものだ。

そういう意味で、新しい演出による古典劇のような雰囲気にも見える。

 

岩下志麻は、主役の卑弥呼を不可思議な厚化粧で、演じている。

神がかりになって、国の未来を占う巫女を司る卑弥呼。

この世の者とは思えないような、憑依した岩下志麻の姿が印象に残る。

だが、彼女は昔から弟の草刈正雄が好きだった。

女としてその本性を発揮するようになった卑弥呼は国の明日を占う巫女にはふさわしくなくなってしまう。

 

 

 

三國連太郎がクニの長老を演じていて、さまざまな展開の末に、卑弥呼を殺害してしまい、最後に一人路頭に迷うという孤独な姿を見せている。

こういう悪と孤独を演じさせたら三國連太郎はぴか一だ。


この作品は、篠田正浩監督が、妻の岩下志麻を卑弥呼にして、古代日本の歴史や様式美を残したかった映画だと思われる。

篠田監督作品には、歴史を映像に残したいという熱情が常に先行していた感がある。

『心中天網島』、『暗殺』、『鑓の権三』などがその典型だ。

 

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「復讐するは我にあり」

 

 

「復讐するは我にあり」 予告編

 

「復讐するは我にあり」 プレビュー

 

1979年4月21日公開。

実話に基づく連続殺人犯を描く異色作。

 

受賞歴:

1979年 第4回 報知映画賞 助演男優賞
1979年 第4回 報知映画賞 助演女優賞
1979年 第22回 ブルーリボン賞 作品賞
1980年 第3回 日本アカデミー賞 作品賞

 

原作:佐木隆三

脚本:馬場当、池端俊策

監督:今村昌平

出演者:

緒形拳、三國連太郎、ミヤコ蝶々、倍賞美津子、小川真由美、清川虹子、殿山泰司、垂水悟郎、絵沢萌子、白川和子、フランキー堺、辻萬長、北村和夫、火野正平、根岸とし江、佐木隆三、河原崎長一郎、菅井きん、加藤嘉

 

 

あらすじ:

九州の日豊本線築橋駅近くで専売公社のタバコ集金に回っていた柴田種次郎、馬場大八の惨殺死体が発見され、現金四十一万円余が奪われていた。

かつてタバコ配給に従事した運転手榎津厳(緒形拳)が容疑者として浮かんだ。

榎津は駅裏のバー「麻里」のママ千代子(絵沢萌子)を強姦、アパートに連れこんで関係を強要し続けるなど、捜査員の聞き込んだ評判も悪い。

二ヵ月前までは、ヌードダンサー上りで「金比羅食堂」をやっていた吉里幸子(白川和子)と同棲、母子家庭をガタガタにもした。

数日後、宇高連絡船甲板に幸子と両親宛ての榎津の遺書と、一足のクツが見つかり、投身自殺の形跡があった。

偽装と疑った警官が別府市・鉄論で旅館を営む榎津の実家を訪れると、老父・鎮雄(三國連太郎)、病身の母・かよ(ミヤコ蝶々)、妻・加津子(倍賞美津子)は泣きながら捜査の協力を誓う。

一家は熱心なカトリック信者だが、戦争中、厳は網元をしていた父が軍人に殴られ、無理矢理舟を軍に供出させられた屈辱の現場を目撃して、神と父への信仰を失い、預けられた神学校で盗みを働き、少年刑務所へ送られた。

その後も犯罪と服役を繰り返し、その間に加津子と結婚した。

結婚後、加津子も入信したが、榎津に愛想をつかし離婚、その後、尊敬する義父の懇望に従い再入籍。

榎津は出所する度に父と加津子との仲を疑い、父に斧を振り上げるなど、一家の地獄は続いた。

浜松に現われた榎津は貸席「あさの」に腰をすえ、大学教授と称して静岡大などに出没、警察をあざ笑うような行為を重ねる。

千葉に飛んだ榎津は裁判所、弁護士会館を舞台に老婆から息子の保釈金をだまし取り、知り合った河島老弁護士(加藤嘉)を殺して金品を奪った。

この頃になると警察史上、最大といわれる捜査網が張り張り巡らされていた。

浜松に戻った榎津の素姓に「あさの」の女主人ハル(小川真由美)やその母、ひさ乃(清川虹子)も気づき始めた。

しかし、榎津に抱かれるハルは「あんたの子を生みたい!」とその関係に溺れ、元殺人犯で競艇狂いのひさ乃も榎津を逃そうとする。

だが、そんな母娘を榎津は絞め殺し、「あさの」の家財を売り飛ばし、電話まで入質して逃亡資金を貯え、七十八日後、九州で捕まるまで詐欺と女関係を繰り返した。

絞首台に上がる直前、最後の面会に来た父に榎津は「おやじ……加津子を抱いてやれ……。人殺しをするならあんたを殺すべきだった」と毒づく。

残された一家にも重い葛藤があった。

死の床にある母は「私も女じゃけえ、お父さんを加津子に渡しとうなか」と言い続けた。

父も地獄のような家を守ってきた嫁が心底かわいく、信仰とのはざまに悩みぬく。

そんな義父を加津子は無性に好きだった。

榎津の処刑後、別府湾を望む丘に、骨壷から、榎津の骨片を空に向って投げる、鎮雄と加津子の姿があった。

 

 

コメント:

 

実際にあった事件を佐木隆三が小説化し、それを演出したのが、あの今村昌平監督だ。

九州、浜松、東京で五人を殺し、詐欺と女性関係を繰り返した主人公の生いたちから死刑執行までを辿る。


インパクトのあるタイトルに、エネルギッシュな殺人鬼の半生を緒形拳がぶっちぎりの演技で見せる。

緒形拳の悪人映画でダントツの作品になっている。

その悪人に徹し切った、凄絶なまでの演技力は映画史に残る。


三國連太郎が扮する殺人犯の父と、倍賞美津子が扮する妻との近親相姦の疑いも、表面上はまじめなキリスト教徒を装いながらも、心の奥底では闇を抱えている雰囲気を醸し出すことに成功しており、こちらも見事である。


本心をひたすら隠す天才詐欺師であり、色情狂でもある殺人鬼・榎津巌というモンスターの人物像を描くにあたって、周囲の人物の人間模様は重要で、その脇役達が適材適所で素晴らしい働きをしている。

 

 

この映画の主人公・巌をめぐるいくつかのエピソードがこちら:

 

エピソード-1:

 

映画の冒頭で印象的なシーン。

 

時は戦時中。

長崎の五島で漁師をしていた榎津一家。

軍は敬虔なクリスチャンである集落からのみ、船をむしり取るように徴用しようというのだ。

不公平を訴え軍と交渉していた鎮雄を遠目に見ていた巌は、棒切れを拾い上げると子供だてらに軍人に殴りかかった。

これは何を意味しているのだろうか。

 

エピソード‐2:

 

でたらめな生き方しかできないこの男は、何かに扮する能力に人一倍長けていた。

愛嬌のある笑顔、人たらしのする会話で人を騙し金を盗る。

すっと他人の気持ちの隙に入り込み、巌に魅入られた人間は突然殴られ、刺され、断末魔の苦しみに遭遇し、初めて今まで話していた相手が悪魔だったことに気付く。

2人殺害の容疑で手配された巌は浜松に逃げ、そこで京都大学の教授と名乗って売春宿に寝泊まりする。およそミスマッチな取り合わせだけど周囲の者はころりと騙される。

売春宿を切り盛りする浅野ハルは愛人稼業の女で北村和夫演じる旦那がいた。

同居の母は殺人で服役した過去があり、夜な夜な客の夜伽を盗み見するという悪癖があった。

そこに逃げ込んだ巌はハルと懇ろになり、やがて自分が殺人の指名手配犯であることがばれてしまう。

 

競艇狂いのひさ乃を競艇場に誘い出し掛け金を奢ってやる巌。

いつも負けばかりのひさ乃が珍しく6万勝って、その金を巌に渡し・・・

「この金をくれてやるから、どっかへ逃げてくれ」

そう言うが、巌は金を受け取らない。

 

競艇場からの帰り道、後ろからひさ乃の首を絞めようと近寄ると、ひさ乃もそれに気づく。

「あんた、人を殺して、そのあと気持ちはスッとしたかい?」

ひさ乃が尋ねると巌は答えた

「いや、スッとしたことは一度もねえな」

 

「あんた、そりゃ、本気で殺したいと思った人間を殺してないからだね。」

ひさ乃が言うのだった。

旦那に折檻されて辱められるハル。

「お母さん助けて」と請われても生きるために辛抱させるひさ乃。

「あんたの子供を産みたい」そう言ったハル。

巌が殺人犯であると知っても、ハルは巌が自分を幸せにしてくれると思っていた。

台所で白菜の漬物を漬け込んでいる最中の出来事だった。

「四日もすればおいしく食べれる」そう言ってビールを飲んでいたハルを巌は絞殺した。

ハルの哀れな死体を押し入れに隠し、留守宅で起こったことを露程も察することのなかったひさ乃も手にかける。

散々世話になった親子の持ち物一切合切を質屋に売り払う・・・

 

エピソード‐3:

映画の終盤には、巌・緒形拳と父・三國連太郎との間で、こんなやり取りがある。 

「あんたは俺を許さんか知らんが、俺もあんたを許さん。どうせ殺すならあんたを殺しゃあよかった。」

「お前に俺は殺せない。お前は親殺しのできる男じゃない。」

「それほどの男じゃぁないってことかっ!!」

「恨みも無い人しか殺せん人間なんだ お前は!!」

「ちきしょう!!あんたを殺したい!」

 

この最後のセリフこそが、榎津巌が殺人鬼となった理由なのかもしれない。

 

キャストを見ると、巌の母役はミヤコ蝶々が演じている。

あのエネルギッシュな稀代の人物が、自身の病気がちな体を憎み、夫が嫁と寝るのではないかと恐れている妻という役どころ。

父は倍賞美津子演じる嫁の加津子が、自分に思いを寄せていることを知っている。

嫁の美貌におののき、嫁に手を出さぬよう冷たい井戸水を浴びて耐えている。

神様に背かぬよう、お天道様をまっすぐに拝めるよう、必死に踏みとどまる。

 

その強さを称えるべきなんだろうけど、どうしてか父を清らかな人間とは思えない。

周囲を散々苦悩させ、苦しめておきながら、自分だけはご正道を歩いている。

巌は、父のその在り様が許せなかったのかもしれない。

許せない父に終生どうしても勝てなかった。

 

冒頭に紹介したエピソード‐1は、父が巌の子ども時代を刑事に説明するために回想したシーンだ。

『本当に殺したい相手を殺していない』巌が、唯一、本当に殴りたい相手を殴ったできごとだった。

「殴る行為はいけないが、お前の気持ちはわかるし、お前をあんな気持ちにさせてすまなかった・・・」

もし、あの時、巌少年にそう父親が話していたら、巌の人生は違っただろうか?

 

主題の背景:

 

この映画のタイトル「復讐するは我にあり」は、聖書から来ている。

副題の英文「Vengeance Is Mine 」は、ロム記(Rom: 12章19節)から引用されたもの。

神が、復讐をしたいと苦しむ人間に対して

「人間は復讐をしてはならない。

悪人に報復を与えるのは神である」

と諭す教え。

 

今村監督は、榎津のことを"空洞人間"と評している。

(キネマ旬報 No.759収録の対談「『復讐するは我にあり』の犯人像とその周辺」より)

実に言い得て妙だが、榎津という男は、結局のところ、なぜ?という問い掛けが意味をなさない、世の中にはこういう人間がいると理解するしかない存在のようにも思える。

わからないということは、理屈抜きに怖いものだが、しかし、もしこの男のことがわかってしまったとしたら、そのことの方が、よっぽど怖いことのように思えたりもする。

世の中にはわからなくてよいこと、考えない方がよいことがあって、この男が理解できないということは、かえって幸運ではないか、そんなふうに思えたりもする。

 

"愛する者よ、自ら復讐するな、ただ神の怒りに任せまつれ。録して「主いい給う。復讐するは我にあり、我これを報いん」とあり"(ロマ書十二・十九)

原作、「復讐するは我にあり」の扉のウラに、上記のような新約聖書の語句が引用されている。

この映画のタイトルが、聖書を引用したものであることは、水曜ロードショーでこの映画を初めて観たとき、確か解説の水野晴郎が語っていた。


「俺は神様はいらん。俺は罪もなか人たちば殺した。だから殺される。そいでよか。あとはなんにもなかよ」

映画の終盤、拘置所に面会に来た父親に向かって、榎津はそう嘯く。

映画の中の榎津は、その信仰心をとうに捨て去っているようで、そんな神の御業と縁を切った人物を描いた映画のタイトルが、聖書の字句そのままの意味ととるには虚しさがあり、このタイトルの"我"とは、やはり榎津自身を指しているのだろう、などの思える。、

しかし、改めて原作を読んでみて、榎津が最期まで信仰を捨てていなかったことに気づいた。

なるほど原作においては字句どおり、裁きは神に任せるという解釈の方が、むしろ相応しいと思う。

原作者の佐木隆三は、前出の今村昌平との対談で、このタイトルが、調査取材を進めるうちに、彼の中で否応なしに芽生えた、犯人に対する一種の共感から生まれたものであることを述べている。

"聖書から題名を借りることにしたのは、私は小説の主人公を、当然ながら肯定はしないが、否定もできない。ただ、こういう男がいたことを調査しましたよ、という気持ちを表すのに、"復讐するは我にあり"というのは適切な言葉ではないか、ということなんです"

また今村昌平も、同じ対談において、映画製作の過程で犯人の人物像を練り上げていくうちに、犯人に対して親近感を抱かずにはいられなくなったということを述べ、このタイトルに関するこんな感想を口にしているのだ。

"僕が神の立場に立つわけにはもちろんいかないが、「まあ、ええ加減にしておけ」という教えみたいな、そういう意味も含めて、この題名は、このストーリーにふさわしいと、最後になって思いましたね"

これら原作者と監督の犯人に対する共感には、たとえ何度この映画を観かえしてみても、とても頷く気になれないが、素材に対する思い入れなしに、人の心を動かすような作品の生まれるはずがないだろうことは、なんとなく理解できるところでもある。

 

この映画は、レンタルも購入も動画配信も可能:

 

 

 

「陽のあたる坂道」

 
 
1958年4月15日公開。
石坂洋二郎の人気作品の映画化。
配給収入:4億71万円。
 
原作:石坂洋次郎「陽のあたる坂道」
脚本:池田一朗、田坂具隆
監督:田坂具隆
出演者:
石原裕次郎 、 北原三枝 、 千田是也 、 轟夕起子 、 小高雄二 、 芦川いづみ 、 山根寿子 、 川地民夫 、 天草四郎 、 森川信
 
あらすじ:
田代玉吉(千田是也)は出版会社の社長で、大邸宅に住んでいる。
家族は妻のみどり(轟夕起子)、長男の医大生雄吉(小高雄二)、少々ひねくれ者だが自由奔放な次男・信次(石原裕次郎)、それに足のわるい娘のくみ子(芦川いづみ)。
女子大生倉本たか子(北原三枝)は、くみ子の家庭教師であり、彼女のアパートの隣室には高木トミ子(山根寿子)と一人息子の民夫(川地民夫)が住んでいた。
ある日、父の玉吉と話をしていた信次は、ふとしたことから自分が父と柳橋の芸者との間に出来た子であることを知った。
数日後くみ子はたか子を誘ってある喫茶店に行った。
彼女はくみ子の夢中になっているジャズシンガーが、民夫なのでびっくりした。
正月の元旦、信次はたか子の話からトミ子が自分の実母であると感知して、アパートをたずねた。
しかしトミ子は不在で、留守居の民夫は裕福そうな信次に反感を抱いて、彼を部屋に入れようとしなかった。
母のみどりは信次のことを心配して、やさしく彼をなぐさめた。
信次の心の中には、たか子への愛情が芽生えていたが、持前のひねくれで、率直に言えなかった。
当のたか子は雄吉とスキーにいって求婚されたが、なにか二人の間に隔りを感じ承諾できなかった。
くみ子は医師の診断をうけ、足のなおるのがわかったので、民夫に結婚したいといった。
その頃、雄吉はファッションモデルのゆり子と問題をおこし、そのいざこざを信次におっかぶせてしまった。
しかし、信次が悪いのではないことを知ったたか子は、彼の情熱的な青年らしさに好感を持った。
くみ子とたか子の計らいで、信次は民夫と会い、大喧嘩をしたがいつしか二人は兄弟愛に結ばれていった。
その帰途、信次はたか子を踊りに誘い、強引に接吻した。
一度は怒ったたか子も、彼の胸に抱かれるのだった。
くみ子と民夫の明るい顔にも、田代家の前の坂道にも、暖かい春の陽ざしが、彼らを祝福するかのようにふりそそいでいた。
 
 
コメント:
 
石坂洋二郎の人気作品の映画化。
上映時間209分という長尺もの。
 
この映画は原作のイメージに忠実。
思ったことをずばずば言う登場人物たちは、石坂文学の特徴だ。
芦川いずみが少女のようにかわいい。
北原三枝がこの映画のなかで実物の裕次郎にも恋をしていることが如実に伝わる。
また兄と弟との三角関係ということでなんとなく「エデンの東」を連想してしまう。
この時代の日活の勢い、石原裕次郎という不世出のスターの存在が際立つ作品だ。
 
 
私生児として生まれた田代信次(石原裕次郎)が養母(轟夕起子)、養父(千田是也)、異母兄弟・くみ子、雄吉(芦川いづみ、小高雄二)との関係の中で、実の母(山根寿子)と異父兄弟・高木民夫(川地民夫)、そして田代家の家庭教師倉本たか子(北原三枝)などを巡る物語。
一人の人間に異母兄弟と異父兄弟が存在するというあり得ない設定は驚きだ。

さらに、そんな複雑な人間関係なのに、この家族達は底抜けに前向きの人間ばかり。
だから見ていても安心してみていられるのだが。
そして義母は何でも知っていて、実の息子よりも信次のことを理解している。
これを令和の現在の連ドラにしたら、けっこうおもしろいのではないか。
 

セリフが早口で、感情表現が薄く、下手な三文芝居になっている場面が多々あるが、やはり裕次郎という圧倒的な存在があるおかげで、映画として成立している。
 
この映画は、今ならYouTubeで全編無料視聴可能。
 
 
 

 

 

 

3月にメーガン妃と出演した暴露インタビューが放送されたヘンリー王子。

 

先日は米俳優がホストを務めるポッドキャストという番組で、王子自身が王室時代の苦悩を赤裸々に語り、大きな反響を呼んでいる。

 

だが公開直後から、王子に対して早くも批判の声が。

“反メーガン妃”の急先鋒である英有名司会者は、王子の告白を「愚痴」と一蹴し、厳しい言葉で真っ向から非難した。

さらに、有名王室作家も王子の発言に疑問を呈している。 

 

米俳優ダックス・シェパードがホストを務めるポッドキャスト番組「アームチェア・エキスパート」は13日、ヘンリー王子の出演回を公開。

 

王子は王室時代の生活を振り返り、「『トゥルーマン・ショー』と『動物園』を足したようなもの」と例えた。  

 

ジム・キャリー主演の『トゥルーマン・ショー』(1998)は一般市民として平凡に暮らすトゥルーマンが主人公。

 

自分の人生がリアリティ番組として撮影されていたことを知り、大脱出を決意するヒューマンコメディだ。

 

動物園との共通点は、“大衆からの視線が常に注がれている”という状況だろう。  

 

ポッドキャストでの王子はそれらと自身の境遇を重ね合わせ、メディアの監視にさらされた生活は「妻や家族と定着できるものではない」と語り、“王室引退”に至った大きな理由とした。  

 

また、20代の頃に感じていた苦しみについても告白。

「ここ(王室)にはいたくない。こんなことはやりたくない。王室での暮らしが私の母にどんなことをしたのか見てください」と述べ、その当時から王族としての責務を望んでいなかったと明かした。  

 

だが一方で、そんな王室生活でも耐え忍ぶことを決意し、結果的に自身のメンタルヘルス問題につながったという。

そうしてメーガン妃に勧められたセラピーを受け、「これまでの幻想が壊され、現実を直視するようになった」と、精神状態が改善された状況を振り返った。

 

ポッドキャストが公開されると、英公共放送BBCをはじめとする各社が一斉に報道。

また“反メーガン妃”派として知られるジャーナリストでテレビ司会者のピアーズ・モーガン氏は、ツイッター上で批判を展開した。  

同氏は「プライバシーを切望しながら、またも私生活の愚痴を言っている」と綴った他、「あと何度、甘やかされた子どもが銀行振込を続けてくれた父親を公にコケにするのか」と手厳しい意見をあらわにしている。  

 

さらに英メディアの報道によると、王室作家のアンジェラ・レヴィン氏は、モーガン氏が3月に降板した英民放ITVの朝番組「グッド・モーニング・ブリテン」に出演。

「彼(ヘンリー王子)はまたしても信じられないほど失礼だ」と非難し、妃にセラピーを勧められたとする王子の主張についても嘘であることを示唆した。  

同氏によると、2017年に王子のインタビューを行った際、セラピーを受ける決定の背後に妃の存在はあったかと質問。

王子は「いいえ、(受けるよう促したのは)ウイリアム(王子)でした」と返答したという。

このため「彼は私に事実ではないことを述べたか、事実ではないことを現在述べているかのどちらかです」と、発言の真偽に疑問を呈している。

 

いずれにしても、ヘンリー王子が幼い頃から、母のダイアナ妃と共に暮らせず、その為にさまざまな苦難があったであろうことは容易に想像できる。

 

王室という伝統を最重要とする特殊な環境下で、どれだけ苦しい思いをしたであろうか。

 

今後ヘンリー王子のような不幸を繰り返さない為には、抜本的な制度改正が必須だ。

 

英国は、もう王室を廃止すべきだ。

 

先日、エリザベス女王が国会で仕事をした。

 

といっても、決められた原稿を読むだけの全く無意味な行為だ。

 

21世紀になっても、まだ英国はこんな意味のない形式的な事をやっているのだ。

 

それと同じなのが、日本だ。

 

国民の象徴とされている天皇は、最近皇后と共に、ネットで地方の人民と会話を交わしたという。

 

だが、その内容は、全て事前に取り決められた問題が起こらない教科書通りの内容だったであろう。

 

もうこんな事は必要ない!

 

日本も天皇制を早く廃止すべきだ。

 

眞子さまの結婚問題も、我々がどうこうする話ではない。

 

本人同士と、それぞれの父母が関与するだけで良いはず。

 

マスコミももう手を出すな!

 

英国も日本も、過去の不要な遺産によって、当事者が苦しんでいるのだ。

 

 

 

 

「ミスティック・リバー」

(原題: Mystic River

 

 

「ミスティック・リバー」 予告編

 

2004年1月10日日本公開。

ミステリアスな殺人事件を巡るサスペンスドラマ。

イーストウッド監督作品として各賞受賞。

興行収入:$156,822,020。

 

受賞歴:

  • 第56回カンヌ国際映画祭
    • コンペティション部門正式出品
  • 第76回アカデミー賞
    • 受賞 - 主演男優賞(ショーン・ペン)、助演男優賞(ティム・ロビンス)
    • 候補 - 作品賞(ロバート・ロレンツ、ジュディ・G・ホイト、クリント・イーストウッド)、監督賞(クリント・イーストウッド)、助演女優賞(マーシャ・ゲイ・ハーデン)、脚色賞(ブライアン・ヘルゲランド)
  • 第61回ゴールデングローブ賞
    • 受賞 - 主演男優賞映画ドラマ部門(ショーン・ペン)、助演男優賞映画部門(ティム・ロビンス)
    • 候補 - 作品賞/ドラマ映画部門、監督賞/映画部門(クリント・イーストウッド)、脚本賞/映画部門(ブライアン・ヘルゲランド)
  • 第38回全米映画批評家協会賞
    • 監督賞(クリント・イーストウッド)
  • 第77回キネマ旬報賞
    • 委員選出外国語映画第1位/監督賞、読者選出外国語映画第1位/監督賞

 

脚本: ブライアン・ヘルゲランド

監督: クリント・イーストウッド

出演者:

ショーン・ペン、ティム・ロビンス、ケヴィン・ベーコン、ローレンス・フィッシュバーン、マーシャ・ゲイ・ハーデン

 

 

 

あらすじ:

一度は犯罪社会に身を置きながら今は雑貨店を経営しているジミー(ショーン・ペン)、平凡な家庭人であるデイヴ(ティム・ロビンス)、刑事のショーン(ケヴィン・ベーコン)の3人は、ボストンのイーストバッキンガム地区で少年時代を共に過ごした幼なじみ。

しかし彼らが11歳の時、ある男にデイヴだけが誘拐されて性的な凌辱を受け、その日を境に3人は離れ離れになった。

それから25年後の現在、ジミーの娘が何者かに殺される殺人事件が勃発。

捜査にあたることになったのはショーンと、相棒のホワイティー(ローレンス・フィッシュバーン)であり、容疑者として浮かび上がってきたのは、なんとデイヴだった。

今も少年時代のトラウマに悩まされているデイヴ。

そして、事件当夜に血まみれで帰宅した夫のデイヴに、妻のセレステ(マーシャ・ゲイ・ハーデン)は不安を隠しきれず、ジミーに夫が犯人だと思うと心中を告白した。

ジミーは自らの手で娘の復讐を果たすべく、デイヴを呼び出す。

少年に悪戯をしていた男を殴り殺して血まみれになったと主張するデイヴに圧力をかけたジミーは、娘を殺したと言わせてしまう。

ジミーはデイヴを殺害し、川に沈める。

しかし一方、ショーンは真犯人を逮捕していた。

それは殺された娘のボーイフレンドの弟と、その友人だった。

まもなく、デイヴが殴り殺した男の死体も発見される。

事の真相をショーンから聞いたジミーは、激しい悔恨の念に打ち震えるのだった。

 

 

コメント:

 

イーストウッド監督による重厚なサスペンス・ドラマ。

ショーン・ペン(ジミー役)、ティム・ロビンス(デイブ役)、ケヴィン・ベーコン(ショーン役)が、過去に傷持つ幼馴染を演じる。

隠そうと努めていた傷が、ジミーの娘の死を切っ掛けにじわっと表面に滲み出てくる。

果たして、その薄赤い液体が3人に何をもたらしたか。


これほどの共演は滅多に観れないだろう。

ショーン・ペンは期待に違わず、前科者の役で、今は大人しく生活しているが、娘の死を切っ掛けにマフィア顔になる。

ティム・ロビンスは、過去に性被害を受け、そのトラウマを引きずっているデイブという人物をリアルに演じている。

ケヴィン・ベーコンは一番まともに見える警官役だが、妻が精神を病んでしまい家を飛び出しているという設定。

 


ストーリーは、デイブが犯人かもしれないと匂わせながら進んでいく。

観ている方としては、「真犯人は別にいた」という展開と、「デイブが犯人で、それがバレた瞬間の彼および周囲の反応や如何に?」という展開のどっちだろうと探りながら、展開を追う。

犯人か明かされた後でも何故か映画は終わらない。


人は皆何かを背負っている。

あまりに重過ぎると、逃げたくなり、「真正面から立ち向かえ」という正論が全然気持ちに入ってこない時がある。

そんな3名の心の軌跡を描いた作品になっている。


本作では、イーストウッドは出演せず、監督に徹している。
上手く練られたストーリーに、3名の役者を信じ切ったイーストウッドの演出が光った傑作と言って良い。

静かな川のシーンが印象的な佳作である。

 

 

原題も「Mystic River」。

これは、実際にボストンの中心を流れる川の名前。

「mystic」には、「秘密の、神秘的な、秘教の、秘伝の、不可解な」のような意味がある。

劇中、ショーン・ペンがティム・ロビンスに、「この川に罪を埋め、洗い流す」うんぬんという下りがある。

この川に宗教的なシンボルと意味合いを持たせているのかもしれない。

 

ショーン・ペンは、マドンナとの結婚を筆頭に、数々のスキャンダルから「映画界の悪童」の異名を取る俳優。

本作でのオスカー受賞以外にも多くの映画賞で受賞またはノミネートされてきた名優。

 

 

 

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「鬼畜」

 

鬼畜 予告編

 

1978年10月7日公開。

松本清張の同名小説の映画化。

興行収入:4.9億円。

 

 

受賞歴:

  • 1978年度「キネマ旬報ベストテン」第6位、同主演男優賞(緒形拳)
  • 第2回日本アカデミー賞主演男優賞(緒形拳)、監督賞(野村芳太郎)
  • 第21回ブルーリボン賞主演男優賞(緒形拳)、監督賞(野村芳太郎)
  • 第33回毎日映画コンクール主演男優賞(緒形拳)
  • 第3回報知映画賞主演男優賞(緒形拳)、美術賞(森田郷平)、撮影賞(川又昂)

 

 

脚本:井手雅人

監督:野村芳太郎

出演者:

岩下志麻、緒形拳、蟹江敬三、穂積隆信、大滝秀治、加藤嘉、田中邦衛、三谷昇、大竹しのぶ、小川真由美、浜村純

 

 

あらすじ:

竹下宗吉と妻、お梅は川越市で印刷屋を開いていた。

宗吉は小金が貯ったところで、鳥料理屋の菊代を囲い七年間に三人の隠し子を作った。

おりあしく、火事と大印刷店攻勢で商売は凋落した。

手当を貰えなくなった菊代は、利一(六歳)良子(四歳〉庄二(一歳半)を連れて宗吉の家に怒鳴り込んだ。

菊代はお梅と口論した挙句、三人を宗吉に押しつけて蒸発した。

お梅は子供達と宗吉に当り散らし、地獄の日々が始まった。

そして、末の庄二が栄養失調で衰弱した。

ある日、寝ている庄二の顔の上にシートが故意か偶然か、被さって死んだ。

シートのあった位置からお梅の仕業と思いながら宗吉は口に出せない。

「あんたも一つ気が楽になったね」お梅の言葉にゾーッとする宗吉だが、心中、ひそかな安らぎをも覚えるのだ。

その夜、二人は久しぶりに燃え、共通の罪悪感に余計、昂ぶった。

その後、宗吉は良子を東京タワーへ連れて行き、置き去りにして逃げ帰った。

長男の利一には「よそで預かって貰った」といい訳した。

お梅は利一を一番嫌っている。

兄弟思いで利口な利一の白目がちな目が、お梅夫婦のたくらみを見抜いているようだ。

何日か後、宗吉は、こだま号に喜ぶ利一をのせ、北陸海岸に連れて行った。

断崖上の草原で蝶採りに遊び疲れ眠りこけた利一を宗吉は崖下に放り出した。

翌朝、沖の船が絶壁の途中に引掛っている利一を発見し、かすり傷程度で助けだした。

警察の調べに利一は父親と遊びにきて、眠っているうちに落ちたと云い張った。

名前、住所、親のことや身許の手がかりになることは一切いわなかった。

しかし警察は利一の服のメーカーのマークが全部切りとられていたことから、事故ではなく、利一は突き落とした誰かをかばっていると判断した。

利一の黙秘に警察はお手上げになった時、偶然、入ってきた名刺屋が、利一の持っていた小石に注目した。

利一が“いしけりの石”と話すそれは、石版用の石で、インキをこすれば、消えた版が再現できるかもしれない。

警察の捜査が開始された。

移送されてきた宗吉が警察で親子の対面をした。

「坊やのお父さんだね?」警官の問いに利一が激しく拒否した。

「よその人だよ、知らないよ、父ちゃんじゃないよッ」

手錠がかかった手を合掌するように上げて、涙を流して絶叫する宗吉の声が部屋いっぱいに響いた。

「利一ッ……かんべんしてくれ!」 。

 

 

 

コメント:

 

原作者の松本清張が実話を元に執筆したという、ミステリー仕立てになっている原作。

それを、ホラー・サスペンス風のファミリードラマにした名匠・野村芳太郎監督の演出が光るヒット作だ。

夫が妾に産ませた三人の子供たちを徹底的に冷遇する血の凍るような鬼嫁。

この女を演じる岩下志麻のゾッとするような視線が怖い。

この不幸の元凶であるはずの夫を演じる緒形拳の情けなくも薄情なダメっぷりが際立つ。

 

「鬼畜」とは、人を人とも思わない残酷で非道な行為をする人間を指すという。

確かにこの映画で描かれている内容は鬼畜と呼ぶに相応しいかもしれない。

ただ緒形拳演じる宗吉の心の弱さと、他にどうすることもできない絶望的な状況に、同情の余地はないのかもしれないが、ただただやりきれない気持ちになる。

特に長女を買い物に連れていきその場に置き去りにしていくシーン。

長女は父親の名前も住所も知らないから警察に保護されても自分のところに戻ってくることはないと考えるシーンが恐ろしくもあり、悲しい。

岩下志麻演じる宗吉の妻が子供たちに行うDVのシーンは鬼気迫っていて本当に怖い。

長男の利一を演じた子役の真っ直ぐな目が印象に残る。

 

ある検事が、静岡県沼津地検に勤務中警察署から急な連絡を受け、伊豆西海岸の松崎に行って、断崖から自分の子供を投げた犯人を捕まえたという事件を担当したというのだ。

昔からDVや育児放棄や子殺しがあったということだ。

こういう事件を映画化するのは勇気がいると思うが、名匠・野村芳太郎監督ならではの映像化により作品として成功している。

 

子供を持つ親として他人事ではない心理描写の的確さで、最後まで凄まじい強度を持って進んでいくDVホラーの傑作。

緒形拳の情けない父親の弱々しさ、岩下志麻の狂気のような恐ろしいDVと育児放棄。

下手な役者であればオーバーアクト、ステレオタイプになりがちな役柄に実在感や共感を加えた演技はすばらしい。

 

緒形拳は、このだらしないダメダメな親父を演じて、多くの映画賞で主演男優賞を受賞している。

殺人鬼などの演技で注目されることが多い緒形拳だが、この作品では、鬼のような怖い嫁や子供たちを平気でおいて行く自分ファーストの妾と鬼嫁の間で、子供を守れない最低の男を演じている。

「砂の器」では、かわいそうな男の子を親に代わって育て上げる健気な警察官を演じているのだが、本作はその真逆だ。

どちらの作品でも徹底的にその配役になりきっている姿は感動的である。

 

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田中絹代

 

 

田中絹代という女優がいます。

 

日本映画界を黎明期から支えた大スターであり、日本映画史を代表する大女優の一人です。

 

この人の出自と経歴をたどります。

 

 

田中絹代は、小津安二郎、五所平之助、溝口健二、成瀬巳喜男、木下惠介といった大物監督に重用され、約260本の作品に出演しました。

 

14歳で松竹に入社し、清純派スターとして人気を得て、松竹の看板女優となりました。

 

戦後は年齢を経るに従って演技派として成長し、脇役を演じることが多くなるも、円熟した演技を見せました。

 

そして、晩年は『サンダカン八番娼館 望郷』の演技でベルリン国際映画祭銀熊賞(最優秀主演女優賞)を受賞しています。

 

本名 田中 絹代
別名義 田中 錦華(たなか きんか)
生年月日 1909年11月29日
没年月日 1977年3月21日(67歳没)
出生地 日本の旗 日本・山口県下関市関後地村(現在の同県同市丸山町)
死没地 日本の旗 日本・東京都文京区本郷
身長 152cm
職業 女優、映画監督

 

田中絹代は、1909年(明治42年)11月29日、山口県下関市関後地村(現在の下関市丸山町)に父・久米吉と母・ヤスの四男四女の末娘として生まれる。

 

母の実家・小林家は下関の大地主で、廻船問屋を営んでいた。

久米吉はそこの大番頭であったが、絹代が生まれた頃には呉服商を営み、貸し家を20軒も持っていた。

1912年(明治45年)1月に久米吉は病死し、その後母は藤表製造業を営んでいたが、使用人に有り金を持ち逃げされるなどの災難に遭い、一家の生活は徐々に暗転していった。

6歳の頃、母が共同出資していた実家の兄・小林保太郎の造船事業が次々と失敗したため両家とも倒産した。

1916年(大正5年)4月、下関市立王江尋常小学校に入学する。

20歳の長兄・慶介が兵役忌避をして失踪したことで一家は後ろ指を指されることになり、更に経済事情が悪化。

 

ついに一家の生活も行き詰まってしまい、同年9月に保太郎を後見人に、母と兄3人、姉1人とともに大阪市天王寺村(現在の天王寺区)へ移住した。

ところが、絹代は肺炎に罹り学校へも通えず1年半、療養生活を送った。

この間に華厳滝で投身自殺を図った次兄が肺炎で死亡した。

1918年(大正7年)4月、保太郎が家庭教師になって猛勉強したおかげで、天王寺尋常小学校3年に編入される。

幼い頃から琵琶を習っていた絹代は筑前琵琶の宮崎錦城に弟子入りし、1919年(大正8年)に免許を受けて田中錦華の名を貰うが、授業中に琵琶の教本を読んでいたのが見つかり罰で校庭に立たされた恥ずかしさと口惜しさから学校をやめてしまう。

 

翌1920年(大正9年)、錦城が組織した琵琶少女歌劇に加わり、楽天地の舞台に立つ。

楽天地とは、大阪の新名所として大火の跡地に建設されたレジャー施設。

1912年(明治45年)1月、「ミナミの大火」で大阪の難波新地から西高津新地、生国魂神社あたりまでが焼失した。

ミナミの壊滅的な被害で繁華街の灯が消えることを危惧した南海鉄道の社長は、近代的なレジャーセンターを作って復興したいと考えた。

焼け跡整理にあたり、現在の千日前通にあたる東西の通りが拡幅され電車通りとなる。

同時に、電車通りにできた新しい千日前交差点の南西隅に、一大娯楽センター「楽天地」を建設、一躍市内のハイカラな名所となった。

地上3階建てで多くの尖塔を持ち、中央には円形ドームを載せ、夜はイルミネーションで彩られていた。

館内は大劇場と二つの小劇場で芝居・演劇・映画を公演した。

大劇場では主に外国の映画を上映、小劇場「朝陽殿」は男性向けの漫才などの演芸場、小劇場「月宮殿」は琵琶少女歌劇で、悲恋物など若い女性向けの泣ける芝居を上映していた。

この中の少女スターが後の名優・田中絹代である。

 

そのうち楽天地にある映画館に出入りするうちに映画女優を志すようになる。

絹代を琵琶の師匠にと考えていた母に猛反対されるが、1923年(大正12年)に歌劇団が解散したこともあり、保女優になることを許可された。

1924年(大正13年)7月、兄が松竹大阪支社で働いていた関係で面接を行い、8月に松竹下加茂撮影所へ入社、母と二人で京都に移住した。

10月に野村芳亭監督の時代劇『元禄女』で映画デビュー。

野村芳亭監督は、日本映画草創期に活躍した映画監督で、日本映画の基礎を作った功労者の一人。

野村芳太郎監督の父でもある。

絹代は、同作で腰元役を演じたが、主演の柳さく子と姿恰好が似ていたため、同時に彼女の後姿の代役もこなした。

続いて同年公開の清水宏監督『村の牧場』では早くも主役に抜擢された。

 

1925年(大正14年)は清水監督作品2作に助演後、6月の撮影所閉鎖によって松竹蒲田撮影所に移籍。

島津保次郎監督の喜活劇『勇敢なる恋』で中浜一三の妹役に抜擢され、以来島津監督の『自然は裁く』『お坊ちゃん』、清水監督の『妖刀』、野村監督の『カラボタン』などに下町娘、村娘、お嬢さん、芸者など、うぶな娘役で出演、時に準主演級の役もついた。

 

1927年(昭和2年)、五所平之助監督の『恥しい夢』で芸者役で主演し、出世作となる。

同年7月には、準幹部に昇格。

翌1928年(昭和3年)からは牛原虚彦監督・鈴木傳明主演の『彼と田園』『陸の王者』などの青春映画で鈴木の相手役として出演。

この年だけでも16本もの作品に出演し、早くも蒲田の大スター・栗島すみ子に迫る人気スターとなり、1929年(昭和4年)1月には幹部に昇進した。

この年も牛原・伝明とのトリオで『彼と人生』『大都会 労働篇』に出演したほか、小津安二郎監督の『大学は出たけれど』では可憐な娘を好演。

「明るくあたたかく未来をみつめる」という蒲田映画のシンボル的イメージを確立し、栗島を抜いて松竹蒲田の看板スターとなった。

また、以前から恋愛関係にあった清水監督とは、1927年に城戸四郎の提案で「試験結婚」という形で結婚したが、1929年に離婚した。

 

 

1931年(昭和6年)、五所監督による日本初の本格的トーキー映画『マダムと女房』に主演。

この作品は光喜三子主演で撮影が進んでいたが、彼女が恋愛事件で降板したため五所監督に口説かれ、下関訛りを理由に渋るも五所の窮地に同情して出演 し、その甘ったるい声で全国の映画ファンを魅了した。

1932年(昭和7年)、野村監督の『金色夜叉』で下加茂の大スター林長二郎と共演、二人による貫一・お宮で評判を呼び、どこの劇場も満員札止めの大盛況となるほどの人気作となった。

そのほかにも、五所監督『伊豆の踊子』『人生のお荷物』、島津監督『春琴抄 お琴と佐助』などに主演して、トーキー時代も蒲田の看板スターとして在り続けた。

1933年(昭和8年)1月に大幹部待遇1935年(昭和10年)に大幹部となった。

 

1936年(昭和11年)1月15日に撮影所が蒲田から大船に移転してからも、松竹三羽烏の上原謙、佐野周二、佐分利信らを相手役として、次々と出演作品でヒロインを演じた。

特に、1938年(昭和13年)に上原と共演した野村浩将監督のメロドラマ『愛染かつら』は空前の大ヒットを記録し、その後4本の続編が製作された。

 

 

1940年(昭和15年)には溝口健二監督の『浪花女』に主演し、溝口監督の厳しい注文に応え、自らも演技に自信を深めた。

 

戦後も引き続き、松竹の看板女優として主役の座を守り続け、溝口監督の『夜の女たち』や小津監督の『風の中の牝鶏』では汚れ役も演じた。1947年(昭和22年)と1948年(昭和23年)に毎日映画コンクール女優演技賞を受賞。

 

1949年(昭和24年)10月、日米親善使節として渡米。

当時米国の人気俳優だったベティ・デイヴィス、シルヴィア・シドニーらと会い、ジョーン・クロフォードの撮影などを見学して、翌1950年(昭和25年)1月19日に帰国した。

ここで、人気絶頂の田中絹代にとって初めての大きなスランプが訪れるきっかけとなった事件が起こる。

出発時は豪華な古代ものを使った小袖姿だったが、帰国時は茶と白のアフタヌーンドレスと毛皮のハーフコート、緑のサングラスにハワイ土産のレイをまとって登場。

報道陣らには「ハロー」と一声発し、銀座のパレードで投げキッスを連発。

この姿と行為で、渡米を後援した毎日新聞社を除く多くのメディアから「アメリカかぶれ」と叩かれることになった。

一部のメディアからは「アメション女優」(アメリカで小便をしてきただけで (短い滞在期間の意味) 、安易にアメリカ文化に感化された)などと形容された。

「銃後を守る気丈な日本女性」 のイメージを確立していた国民的女優の突然の変身に、敗戦に打ちひしがれ貧困の状態にあった国民は戸惑い、同時に憤りをかきたてることになり、それ以降本人は自殺を考えるほどのスランプに陥った。

 

渡米を機に松竹を退社していたが、帰国してまず最初に新東宝で小津監督の『宗方姉妹』に出演することになり、同時に木下惠介監督の『婚約指環』を撮影。

しかし、両作とも不評で、とくに後者は三船敏郎と恋人役を演じたが、それが「老醜」とまで酷評された。

1951年(昭和26年)には映画雑誌『近代映画』のスター人気投票の女優部門で10位以内にも入らずトップスターの地位を失った。

ファンレターが1通も来なくなったと漏らしていたという。

1952年(昭和27年)、田中と同じくスランプに遭っていた溝口監督による『西鶴一代女』に主演、御殿女中から様々な運命をたどり、ついには街娼となって老醜をさらけ出すという女の一生を演じる。

この作品はヴェネツィア国際映画祭で国際賞を受賞し、田中は一世一代の名演を披露、女優として完全復活を果たした。

同時に溝口もスランプから脱することに成功し、翌1953年(昭和28年)には同じコンビで『雨月物語』を製作、作品はヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞を受賞した。

 

同年2月、丹羽文雄原作の『恋文』で映画監督業へ進出することを発表。

相談相手の成瀬巳喜男監督の『あにいもうと』に監督見習いとして加わり、成瀬監督自身から手ほどきを受けた。

そして12月に『恋文』を公開、日本で二人目の女性監督の誕生となった。

1954年(昭和29年)に溝口の『山椒大夫』と『噂の女』に出演したが、同年7月に監督2作目の『月は上りぬ』の製作を小津安二郎から推薦される。

しかし、当時は五社協定に加盟していない日活での製作のため、日本映画監督協会理事長である溝口に反対される。

田中は小津の協力で映画を完成させたが、これが原因で溝口との関係を疎遠なものにしてしまう。

 

その後は主演作こそ少なくなるものの、成瀬監督の『流れる』、家城巳代治監督の『異母兄弟』などに重要な役で出演、1958年(昭和33年)公開の木下監督『楢山節考』では自分の差し歯4本を抜いて老婆を演じ、キネマ旬報賞女優賞を受賞。

それ以降は脇役に回り、小津監督の『彼岸花』や市川崑監督の『おとうと』などで母親役を好演。一方、映画監督としては京マチ子主演の『流転の王妃』など5本発表している。

 

 

1965年(昭和40年)、黒澤明監督の『赤ひげ』に出演した後、パーキンソン病に罹った兄の看護に専念し、仕事を断るようになった。

1970年(昭和45年)、紫綬褒章を受章。

同年にNHK大河ドラマの『樅ノ木は残った』に出演、以降はテレビドラマにも活躍の場を広げ、『前略おふくろ様』の主人公の母親役や連続テレビ小説『雲のじゅうたん』のナレーションなどで親しまれた。

 

1974年(昭和49年)、熊井啓監督の『サンダカン八番娼館 望郷』で元からゆきさんの老婆を演じ、ベルリン国際映画祭最優秀女優賞や芸術選奨文部大臣賞などを受賞した。

 

1977年(昭和52年)1月12日、脳腫瘍で順天堂病院に入院するが、3月21日午後2時15分に死去。

67歳没。

遺作はテレビドラマ『前略おふくろ様』。

同年3月31日に築地本願寺で映画放送人葬が行われ、絹代の又従弟に当たる監督・小林正樹が喪主、城戸四郎が葬儀委員長を務めた。約2千人ものファンが参列した。

 

 

 

主要作品:

 

  • お嬢さん(1930年、松竹キネマ) - キヌ子
  • 愛よ人類と共にあれ(1931年、松竹キネマ) - 真弓
  • マダムと女房(1931年、松竹キネマ) - 女房
  • 金色夜叉(1932年、松竹キネマ) - 鴨沢宮
  • 銀座の柳(1932年、松竹キネマ)
  • 青春の夢いまいづこ(1932年、松竹キネマ) - ベーカリーの娘お繁
  • 忠臣蔵(1932年、松竹キネマ) - 八重
  • 伊豆の踊子(1933年、松竹キネマ) - 薫
  • 東京の女(1933年、松竹キネマ) - 娘春江
  • 非常線の女(1933年、松竹キネマ) - 時子
  • 婦系図(1934年、松竹キネマ) - お蔦
  • その夜の女(1934年、松竹キネマ)
  • 春琴抄 お琴と佐助(1935年、松竹キネマ) - 春琴
  • 箱入娘(1935年、松竹キネマ) - おしげ
  • 人生のお荷物(1935年、松竹キネマ) - 次女逸子
  • お夏清十郎(1936年、松竹キネマ)
  • 母と子(1938年、松竹) - 知栄子
  • 愛染かつら前後篇(1938年、松竹) - 高石かつ枝
  • 浪花女(1940年、特作プロ) - 千賀子
  • 歌麿をめぐる五人の女(1946年、松竹) - 難波屋おきた
  • 結婚(1947年、松竹) - 松川文江
  • 女優須磨子の恋(1947年、松竹) - 松井須磨子
  • 不死鳥(1947年、松竹) - 相原小夜子
  • 夜の女たち(1948年、松竹) - 大和田房子
  • 風の中の牝雞(1948年、松竹) - 時子
  • 新釈四谷怪談(1949年、松竹) - お岩
  • 宗方姉妹(1950年、新東宝) - 宗方節子
  • 婚約指環(1950年、松竹) - 妻典子
  • おぼろ駕籠(1951年、松竹) - お仲
  • 銀座化粧(1951年、新東宝) - 津路雪子
  • 武蔵野夫人(1951年、東宝) - 秋山道子
  • 西鶴一代女(1952年、新東宝) - お春
  • おかあさん(1952年、新東宝) - 福原正子
  • 安宅家の人々(1952年、大映) - 安宅國子
  • 雨月物語(1953年、大映) - 宮木
  • 煙突の見える場所(1953年、新東宝) - 緒方弘子
  • 恋文(1953年、新東宝) - 下宿のおばさん
  • 山椒大夫(1954年、大映) - 玉木
  • 女の暦(1954年、新東宝) - 佐伯ミチ
  • 王将一代(1955年、新東宝) - 小春
  • 嵐(1956年、東宝) - お徳
  • 流れる(1956年、東宝) - 梨香
  • 異母兄弟(1957年、独立映画) - 利江
  • 楢山節考(1958年、松竹) - おりん
  • 彼岸花 (1958年、松竹) - 清子
  • この天の虹(1958年、松竹) - フミ
  • 浪花の恋の物語(1959年、東映) - 妙閑
  • 日本誕生(1959年、東宝) - 倭姫
  • おとうと(1960年、大映) - 母
  • 放浪記(1962年、宝塚映画) - 母きし
  • 殺陣師段平(1962年、大映) - お春
  • 死闘の伝説(1963年、松竹) - 園部静子
  • 太平洋ひとりぼっち(1963年、石原プロ) - 母
  • 香華(1964年、松竹) - つな
  • 赤ひげ(1965年、東宝) - 登の母
  • 男はつらいよ 寅次郎夢枕(1972年、松竹) - 旧家の奥様
  • 三婆(1974年、東宝) - 武市タキ
  • サンダカン八番娼館 望郷(1974年、東宝) - 晩年の北川サキ
  • ある映画監督の生涯 溝口健二の記録(1975年、近代映画協会)
  • 北の岬(1976年、東宝) - 老年の修道女
  • 大地の子守歌(1976年、松竹) - 農婦

 

これから、彼女の作品をひとつずつレビューして行きます。

 

お楽しみに。

 

 

 

写真・図版

シンガポールでは昨年末に8人までの集まりが許されるようになり、屋台街もにぎわいを取り戻していた

=1月28日

 

写真・図版

 

半年にわたって新型コロナウイルスの国内感染を低水準に抑え込んできたシンガポールが、次の流行を防げるかどうかの瀬戸際に立たされている。

 

空港や病院などで集団感染が発覚。

 

政府は14日「マスクをしないまま、屋内でともに過ごす状況で感染のリスクが高い」として、外食を約1カ月間にわたって禁止すると発表した。

 

個人の集まりも2人までとし、不要不急の外出を控えるよう求める。

 

シンガポールでは13日、1日24人の国内での新規感染が確認され、さらに検疫中の入国者で10人の感染が確認された。

 

これを受けて政府は14日、16日から6月13日まで外食を禁止すると発表した。

 

外食産業に対しては、2300シンガポールドル(約18万4千円)を上限として、シンガポール国民の従業員の給与の50%を支援するといった支援策をとる。

 

小売店は閉鎖されず、レストランなども持ち帰りの営業はできる。

 

この期間は企業にも在宅勤務を求め、政府の窓口などは閉鎖する。

 

外出は禁止されないが、個人的な集まりは2人以下に制限される。

 

やはりシンガポールは、やる事が早い。

 

アジアトップはシンガポール、最低は日本だ。

 

日本人である事が恥ずかしくなる。

 

ペテン師が、いよいよ近いうちに、動くでしょう!

 

これは、予言です!

 

ペテン師とは、誰あろう、都知事の小池百合子。

 

コロナ対東京五輪。

 

これは、首相の椅子を狙っている小池百合子にとって、千載一遇のチャンスなのだ!

 

自分ファーストのこの女にとって、五輪開催は絶対の使命ではないのだ。

 

あるタイミングで小池百合子が五輪の中止を国民の為に実現できたという実績が認知されるならば、五輪はもう彼女にとって不要なのだ。

 

もう何人かの評論家たちも、小池百合子が近々動くだろうと予測している。

 

おそらく、あと1ヶ月以内に、小池百合子は、五輪開催による都民のコロナ感染のリスクを大々的にアピールして、開催中止を叫ぶだろう。

 

そして、その運動を国民レベルにまで引き上げて、IOCをも納得させようと動くだろう。

 

これが功を奏する事で、菅政権が出来なかった五輪中止を実現するだろう。

 

しかもIOCの同意も得て。

 

そうなったら、彼女が率いる都民ファーストの党は、今年の都議選で圧勝だ。

 

そして、その直後に、彼女は都知事を辞任して、総選挙に打って出るだろう。

 

元々、都知事は、ただの腰掛けだ。

 

これはもう、二階幹事長とも相談済みだろう。

 

新内閣は、小池百合子が首相で、二階幹事長が、副総理だろう。

 

場合によっては、小泉純一郎が内閣に入るかも知れない。

 

来年の今頃は、全く様変わりした日本の政権が誕生しているのだ。

 

こんな事が起きても、都民の皆さんはこの女を許せますか?