「M★A★S★H マッシュ」
(原題:M*A*S*H)
1970年1月25日公開。
朝鮮戦争を舞台にしたブラック・コメディ。
興行収入:$81,600,000。
受賞歴:
カンヌ国際映画祭パルム・ドール
アカデミー脚色賞
原作:リチャード・フッカー
脚本:リング・ラードナー・ジュニア
監督:ロバート・アルトマン
キャスト:
ホークアイ:ドナルド・サザーランド
デューク:トム・スケリット
トラッパー:エリオット・グールド
ワルドウスキー大尉:J・シャック)
婦長ディッシュ:ジョー・アン・プフルーク
オリーリー伍長:ゲイリー・バーゴフ
ホーリハン少佐:サリー・ケラーマン
バーンズ少佐:ロバート・デュヴァル
ホー・ジョン:K・アトウッド
あらすじ:
朝鮮戦争たけなわのころ。ここ第4077M★A★S★Hに、ある日、ホークアイ(ドナルド・サザーランド)、デューク(トム・スケリット)、トラッパー(エリオット・グールド)たち3人の軍医が着任。彼らは3人とも名医だったが、揃いも揃って、常軌を逸した横紙破りであった。
M★A★S★Hには、隊長のブレイク大佐(ロジャー・ボーウェン)のほかに、歯科医ワルドウスキー大尉(J・シャック)、美人婦長ディッシュ(ジョー・アン・プフルーク)、“レーダー”と呼ばれるオリーリー伍長(ゲイリー・バーゴフ)がいた。
デュークはさっそくディッシュ婦長の尻を追いかけ始めたが、亭主もちの彼女は、彼をたくみにいなしていた。
セックスの猛者と評判のワルドウスキー大尉は、ある日、自分は潜在性のホモだと3人組に告げ、自殺したいと言い出した。
そこで3人は、彼のために最後の晩餐会を開き、自殺できる薬といつわり、睡眠薬をのませた。
そしてディッシュ中尉に彼を看病させるのだった。
翌朝、転任地に向かう彼女の頬には、満足気な微笑が浮かび、ワルドウスキーは憂うつから開放されていた。
ディッシュの後任には、グラマーなホーリハン少佐(サリー・ケラーマン)が着任。
そうしたある日、トラッパーはバーンズ少佐(ロバート・デュヴァル)の卑劣な行為に怒り、彼を殴ってしまったが、居合わせたホーリハンは、バーンズを助け、自分のテントにつれて行った。
そこで2人の仲は急速に深まり、かたぶつを装っていた2人は、濃厚な抱擁をくりかえした。
しかし、この様子は“レーダー”の隠しマイクを通じ部隊中に公開。
その日以来、ホーリハンは“熱い唇”とあだ名されてしまった。
翌朝、ホークアイとトラッパーは、手術執刀のため九州小倉に出かけたが、そこでも2人は勝手気ままに振舞った。
再び2人がM★A★S★Hに戻ると、そこは負傷兵の洪水で、眼のまわる忙しさ。
ボーイとして可愛がっていた韓国人ホー・ジョン(K・アトウッド)の手術もしてやった。
眼のまわるような忙しさも一段落すると、ホークアイ、トラッパー、デュークの3人組は、またまた悪戯を考え始めた。
“熱い唇”が生粋のブロンドか否かを賭けた彼らは、彼女がシャワーを浴びている最中、テントを捲きあげてしまった。
カンカンになった“熱い唇”は、本部の将軍に直訴。
しかし、この将軍が大のフットボール気狂いだと知った3人は、試合をえさに彼の機嫌をとりむすんだ。
感謝祭の日に行われたこの試合は、奇妙キテレツな乱戦になったが、結局あっと驚くような手を使った、M★A★S★H側の勝利となった。
その後、マッシュの中に、いろいろな変化が起きたが、やがて、ホークアイとデュークは復員となり、帰国することになった。
コメント:
ブラック・ユーモアとエロティシズムにあふれた反戦映画。
タイトルの「MASH」とは、陸軍移動外科病院 (Mobile Army Surgical Hospital) のことを指す。
鬼才ロバート・アルトマン監督が朝鮮戦争を題材にして「人間の本性」を描きあげた大傑作。
野戦病院に、派遣された二人のはちゃめちゃな医師トラッパー(エリオット・グールド)とホークアイ(ドナルド・サザーランド)が次から次へと引き起こす奇想天外な事件に軍規なんてあったもんじゃない。
仲間を集めて、シャワーを浴びてる最中の女性上官(サリー・ケラーマン)のテントを壊して全裸姿を見て大喜び。
それがこのシーン:
その女性上官と気に入らない少佐(ロバート・デュヴァル)が密会して何をいたす模様を盗聴マイクでひろってキャンプ内に流して大笑い。
とにかくやることなすこと半端じゃないお遊び。
さて、この作品は、よく言われているように「朝鮮戦争を題材に、戦争批判のブラック・コメディー」なんて感じで政治的に見ちゃうと面白さの半分もわからない。
それではこの作品の良さ・本質がぼやけてしまうのだ。
ずーっと、ほとんど、おちゃらけし通しなのだが、リアルなオペ場面は真逆だ。
オペの手際よさに驚く。
繰り返されるおちゃらけ場面と、緊迫した場面の交錯。
あの対称性はどこから来るのだろう?
それはまさに人間だから。
戦争に限らず、現実社会には少なからず狂気が存在する。
そんなシリアスな状況をおちゃらけで巧みに表現する。
すべての出来事を徹底的にジョーク・笑いで茶化すことによって、逆に人間の中に潜む非人間性を万人にさらけ出す。まさに、そこが鬼才アルトマンのアルトマンたる所以だろう。
冒頭ヘリが旋回する中、流れるジョニー・マンデルの音楽も最高。
「自殺のすすめ」の気怠い旋律には快感さえ覚える。
最初は気楽にコメディーを見る感覚で、次に徹底的にまじめに、この作品を見てみよう。
見えなかった何かが見えてくる。
ドナルド・サザーランドにとって初の主演作であり、大ヒットしたおかげで一世風靡した記念作である。
のちのサザーランドのイメージとは異なり、徹底的にコメディアン的なイメージで熱演している。
監督を務めたロバート・アルトマンは、ミズーリ州カンザスシティ生まれのアメリカ合衆国の映画監督。世界三大映画祭のすべてで、最高賞を受賞している監督である。
1970年公開の朝鮮戦争を扱った本作『M★A★S★H マッシュ』で監督としての地位を確立することに成功する。
戦争モノでありながらも従来のイメージを覆すブラック・コメディ仕立てで撮られた本作は公開されるや否、観客と批評家に大きな衝撃を与え、大ヒットを記録した上にカンヌ国際映画祭では最高賞に当たるグランプリを受賞。
同作は後にテレビシリーズ化がなされ、現在でもアメリカン・ニューシネマの傑作としてカルト的影響を誇る作品となった。
この『M★A★S★H マッシュ』での成功を糧とし、1970年代には多様なジャンルの映画を監督するようになる。
1971年に公開された『ギャンブラー』では西部劇に初挑戦するが、ここでもアルトマンらしく「アンチ西部劇」的な演出を行い、高い評価を獲得。
1973年にはレイモンド・チャンドラーのハードボイルド小説『長いお別れ』を映画化した『ロング・グッドバイ』を発表し、興行的成功には至らなかったが、時間が経つに連れて評価が高まり、カルト的な人気を博すことになる。
総勢24人の登場人物を描いた群像劇『ナッシュビル』(1975年)では、カントリー・ミュージックを通してアメリカの本質を描き、再びアカデミー賞の作品賞と監督賞にノミネートされ、1976年の西部劇『ビッグ・アメリカン』ではベルリン国際映画祭金熊賞を受賞する等、監督した作品が連続で高い評価を獲得していく。また、Lion’s Gate Films社を設立し、自作の合間に才能ある人々の作品をプロデュースした(最初にプロデュースしたのは『ロング・グッドバイ』の第2助監督だったアラン・ルドルフの1976年公開映画『ロサンゼルス・それぞれの愛』)。
しかし、70年代終わりから失速し始め、ロビン・ウィリアムズを主演に製作した『ポパイ』(1980年)が興行的にも批評的にも完全に失敗したためにハリウッドから干されてしまい、80年代にはオフ・ブロードウェイで舞台の演出を手掛けたり、ミシガン大学で教鞭をとって活動していた。
大学教授時代には生徒をスタッフに起用して密室一人芝居劇『名誉ある撤退~ニクソンの夜~』(1984年)を制作し、高い評価を獲得する。
1990年代に入るとハリウッドに戻り、1992年にハリウッドの舞台裏を描いた群像劇『ザ・プレイヤー』が第45回カンヌ国際映画祭で監督賞を受賞、更にはアカデミー監督賞にもノミネートされて復活を果たす。
1993年にはレイモンド・カーヴァーの短編を元にした群像劇『ショート・カッツ』が第50回ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞し、アンリ=ジョルジュ・クルーゾー、ミケランジェロ・アントニオーニと並び、世界三大映画祭の最高賞をすべて制覇した史上3人目の監督となり、更には2年連続でアカデミー監督賞候補となった。
1994年にパリコレを舞台にした『プレタポルテ』にはマルチェロ・マストロヤンニやソフィア・ローレン、ローレン・バコールなどが出演したほか、ジャン=ポール・ゴルチエやカーラ・ブルーニなどが本人役で登場した。
1996年にはヴェネツィア国際映画祭栄誉金獅子賞を受賞。
1999年にはアメリカ芸術科学アカデミー会員に選出された。
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