「他人の顔」
1966年7月15日公開。
阿部公房の代表作を映画化。
人がある日から「他人の顔」を持つ異色作。
1966年度キネマ旬報ベストテン第5位。
原作:安倍公房
脚本:安部公房
監督:勅使河原宏
キャスト:
- 男:仲代達矢
- 妻:京マチ子
- 医者:平幹二朗
- 看護婦:岸田今日子
- 専務:岡田英次
- 専務の秘書:村松英子
- アパート管理人:千秋実
- ヨーヨーの娘:市原悦子
- 老嬢:南美江
- 男の患者:観世栄夫
- 女の患者:安双三枝
- 精神病の男A:矢野宣
- 精神病の男B:田中邦衛
- ほくろの男:井川比佐志
- ビヤホールの歌手:前田美波里
- 刺される女:糸見偲
- ケロイドの女:入江美樹
- ケロイドの娘の兄:佐伯赫哉
- 医者の妻:阿部百合子
あらすじ:
奥山常務(仲代達矢)は新設工場を点検中、手違いから顔に大火傷を負い、頭と顔を繃帯ですっかり覆われた。
彼は顔を失うと同時に、妻や共同経営者の専務や秘書らの対人関係をも失ったと考えた。
彼は妻にまで拒絶され、人間関係に失望し異常なほど疑い深くなった。
そこで彼は顔を全く変え、他人の顔になって自分の妻(京マチ子)を誘惑しようと考えた。
病院を訪ねると、精神科医(平幹二朗)は仮面に実験的興味を感じ、彼に以後の全行動の報告を誓わせて仮面作成を引受けた。
彼は頭のレントゲンを受けながら、ふと以前見た映画中の旧軍人精神病院で働く美しい顔に、ケロイドのある娘(入江美樹)、ある夜戦争の恐怖におびえてか、兄に接吻を求めた娘、そして夜明けの海へ白鳥のように消えていった娘の姿を思い出すのだった。
そして彼は或る日医者がホクロの男の顔型を借りて精巧に仕上げた仮面、その他人の顔をした仮面をつけて街へ出た。
ビヤホールでは女給の脚に目を奪われた。
医者はそれを「仮面の正体の現われ」と評した。
彼はアパートに二部屋をとり他人の顔になりきろうとしたが、管理人の精神薄弱の娘に繃帯の男だと見破られた。
しかし会社の秘書が気付かないと分ると、彼は妻を誘惑し姦通した。
妻を嫉妬し激しくなじると、彼女は初めから夫であることを知っていたと告げ、立ち去った。
彼は夜更けの通りを歩きながら、「自分は誰でもない純粋な他人だ」と咳き、衝動的に女を襲った。
巡査は診察券を持つ彼を気違いと思って医者を呼んだ。
医者は仮面の返還をせまった。
彼がこばむと「君だけが狐独じゃない。自由というものはいつだって狐独なんだ。剥げる仮面、剥げない仮面があるだけさ」と彼を避けるように歩き出した。
更に医者が「君は自由なんだ。自由にし給え」と彼をふりきるように言うと、彼はいきなり医者からナイフを奪うと刺し殺した。
彼等の背後を同じ顔をした群衆が流れてゆく。
コメント:
安倍工房の「失踪三部作」の2作目の映画化である。
「失踪三部作」とは、『砂の女』 (読売文学賞受賞)、『他人の顔』、『燃えつきた地図』の3作だ。
新たな「他人の顔」をつけることにより、自我と社会、顔と社会、他人との関係性が考察されている。
顔の持つ意味は何なのかということから始まり、顔には、自分のアイデンティティという認識と、他者からの識別の役目がある。この顔を失うことは、即ち社会の中での自我の喪失に繋がり、主人公の男は自分が社会との接点を失ったと考えるに至る。
この顔の喪失とは、社会の中での存在が否定されるがゆえに、極めて自由な存在になる一方で、非常に孤独な存在ともなる。
いわば社会から切り離された存在である。
顔を失った人間は社会と繋がらないから何をしてもいい。
一方で、この社会ではこのような仮面が大量生産されており、人はますます孤独になる。
もっと抽象的で難しいと思っていたら、観念的だけど「自己」を考えさせる、見応えある1本。
精神科の医師がなぜ整形外科まがいのことをするのか最初は違和感がありながら、四肢の欠損を含め外観が損なわれることが人間の心理に与える影響を治療している、と分かると妙に納得。
井川比佐志の顔の型をとると仲代達矢になる不思議。
声は人間の大きな特徴だと思うので、そこを頭から否定するのは謎だが。
自分と向き合わないことで妻の京マチ子を責める男は、結局は自分と向き合っておらず、仮面の向こうに逃げるのか。
人がある日から、突然別人となるべくして「他人の顔」を持ったら、その人の人生がどのように変わるのか、人格も変わるのか、を追求した傑作である。
冒頭、仲代達矢の顔を巡るレントゲン撮影的シーンは素晴らしく、この映画の主題を見事に映像化した名場面といえよう。
また、終盤、顔のない群衆の顔・顔・顔…の場面は、シュールでゾッとするシーンであり、これまた名場面。
この映画、心に突き刺さる映像が多々あり、こうした映画を撮れる監督はザラに居ないのではないだろうか。
日本映画の傑作の一本。
人間にとって「顔」とは何かをとことん追求してゆくと最後はどうなるのかという命題に向かって阿部公房自身が悩み続けるという感じになっている。
こういう事を考えて、それを小説にしてしまう阿部公房という人間の頭脳に敬服するしかない。
また、それを映画化できた勅使河原宏の手腕も素晴らしい。
出演者の中に、「砂の女」で一世風靡した岸田今日子が看護婦で出演していて、この不可思議な作品を盛り上げている。
やはり、この女優は不思議な雰囲気を持っていて、そこにいるだけでホラー性をアップできる。
主人公の妻を演じる京マチ子も素晴らしい。
夫婦でありながら、夫が妻を他人のふりをして誘惑するという設定だが、京マチ子が相手だったらこういう立場になった男は皆誘惑してみたいと思うだろう。
それだけ女の色香をしっかり見せられる女優は数少ない。
この映画は、原作、脚本、演出、キャストが全て最高となった名作と言って良い。
今なら、YouTubeで全編視聴可能: