永井荷風の映画 「夢の女」 吉永小百合主演! | 人生・嵐も晴れもあり!

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「夢の女」

 

「夢の女」

 

夢の女

 

1993年5月29日公開。

第43回ベルリン国際映画祭コンペティション部門出品。
 
原作:永井荷風「夢の女」
脚本:吉村元希、桜井妙子、斎藤雅文
監督:五代目 坂東玉三郎
 
キャスト:
  • 吉永小百合 - お浪(花魁楓)
  • 片岡京子 - 二代目楓
  • 樹木希林 - お松
  • 永島敏行 - 小田部
  • 長門裕之 - 桟橋の客
  • 佐々木すみ江 - おさわ
  • 戸浦六宏 - 番頭
  • 綿引勝彦 - 楼主
  • 安井昌二 - 上郷
 
夢の女」 (c)1992松竹/セゾングループ - 色街や花街が舞台の文芸映画など17本、特集上映「女たちの街」開催 [画像ギャラリー 3/6] - 映画 ナタリー
 
あらすじ:
明治も終わりの頃。
奉公先の旦那の手がついて妾となったものの、旦那の死により縁を切られ、生まれたばかりの娘・お種も里子に出し故郷に戻ってきたお浪(吉永小百合)は、士族であった父の病気と多大な借金のため、深川州崎遊郭の大店『大八幡』に身を売り、楓という花魁となっていた。
三年ぶりに故郷に戻ってきたお浪は、お種が里子先でひどい仕打ちを受けていると婆やのおさわから聞かされ、店のお松の知恵を借り、年期を延ばして借金を重ねてお種を引き取ることにした。
お浪には小田部という薬問屋の贔屓の客がいたが、お浪に入れこむ余りまだ一緒になれないことが分かると首を縊って死んでしまう。
『男を破滅させる毒婦』と新聞に書きたてられたお浪はすさみ、酒に溺れ、人気もなくしていった。
だがある日、上郷という相場師が全てを承知した上でお浪を身請けした。
七、八年後。洲崎の海を見晴らす土手の上でお松が二代目の楓にそんなお浪の思い出話をしていたところへ、侍合の女将となったお浪が現れる。
二人は涙ながらに再会を喜んだ。
お浪は二代目・楓に、そして自分自身に言い聞かせるように、夢のように過ぎていった日々を語り、洲崎を離れていくのだった。
 
夢の女 作品詳細 | シネマNAVI
 
コメント:
 
原作は、永井荷風の若かりし頃の小説。
1903(明治36)年、荷風23歳にして米仏渡航直前の作品
 
永井荷風の「夢の女」を読み終えた - 透明タペストリー
 
坂東玉三郎監督の、「外科室」に次ぐ第2作。
深川・洲崎の遊郭のおいらん・楓(吉永小百合)との結婚ができなくなった大店の息子(永島敏行)が首つり自殺をしてしまった。
楓が、惚れた男と一緒になることを辞退し、子どもの養育費のために苦界に身を置く決意をしたためである。
そのことから、楓には”毒婦”の噂が立ち、客も遠のく。
自暴自棄になる楓であったが、子どもを育ててくれる婆や(佐々木すみ江)の一声「あなたは若い。これからが人生ですよ」で目覚める。
老年の客(安井昌二)に引き取られ、幸せになるが、8年後、たまたま訪れた洲崎の遊郭は以前のままで、2代目楓が出迎えるのであった・・・。
 
ベルリン国際映画祭に出品されたが、受賞せず。
まぁ、ゆったりしたペースで、外人にはちょっとムリかも。
 
吉永が上手い。樹木希林もさすが。
上質の映画ではある。
遊郭の太鼓と三味線の音色は、不思議に懐かしさがある。
 
生活苦から未だ十代の半ばで妾になり、子供を産んで間も無く旦那が死ぬ。
旦那の店から呼び出されて出かける間際に、簡単に判を押してはいけない、と婆やに言われていたのに、番頭に言われるままに、手を添えられて拇印を押したら、手切れ金と養育費を幾ばくかもらって放り出されてしまう。
親元に帰っても、親きょうだいは貧苦に喘いでいる。
娼婦に身を落として、金の工面をしていかねばならない。
今の時代なら、福祉がどれほどこの境遇を支えてくれるだろう。
十分ではないにしても、まだ救われるかも。

この娼婦に男(永島敏行)が入れ上げて身代を潰し、それでも彼女を身請けして世帯を持とうと実を見せるのに、女は自分の生活だけではなく親きょうだいの生活や子供の養育を思うと、身請けされる訳にはいかず、もっと目先の金を稼がなくてはならない。
だから折角の身請け話を断る。
結局、男は裏切られた想いで首を括る。

そんなどん底から掬い上げる新たな男(安井昌二)が現れる。
その男は女の過去を問わず、身請けして、待合を営ませて生活を安定させてくれる。
薄倖の女がどん底から救われて。
何はともあれ観ていてホッとする。
でも、よく考えると、女が幸せになれるのは出会う男次第ということだ。
船に乗り込んで帰路につくラストシーンで見せる女の風情は、安定を得た今の幸せがいつまで続くのか、夢か現(うつつ)か、浮き草のようにはかなげに見える。
 
明治の時代ならこんな不幸な女性は、掃いて捨てるほどいただろう。
今見るとなんて気の弱い女なのかと思ってしまうが、時代の違いは大きい。
 
こういう女性を演じ切るのは、小百合様ではちょっと辛いかも。
美しさだけを演じ続けている人には無理だ。
 
こういう役どころは、もっと自分をとことん落ち目にした演技をみせてくれる女優に演じてほしかった。
たとえば、田中絹代、山田五十鈴。