「サイコ」
(原題:Psycho)
1960年6月16日公開。
ヒッチコック監督のハリウッド作品
全米監督協会賞長編映画監督賞受賞。
ゴールデングローブ賞 助演女優賞(ジャネット・リー)受賞。
興行収入:$50,000,000。
原作:ロバート・ブロック「サイコ」
脚本:ジョセフ・ステファノ
監督:アルフレッド・ヒッチコック
キャスト:
アンソニー・パーキンス:ノーマン・ベイツ
ヴェラ・マイルズ:ライラ
ジョン・ギャヴィン:サム・ルーミス
マーティン・バルサム:アーポガスト
ジョン・マッキンタイア:シェリフ・チェンバース
ジャネット・リー:マリオン・クレーン
あらすじ:
アリゾナ州の小さな町ファーベル。
そこの不動産会社に勤めているマリオン・クレーン(ジャネット・リー)は隣町で雑貨屋をひらいているサム・ルーミス(ジョン・ギャビン)と婚約していたが、サムが別れた妻に多額の慰謝料を支払っているために結婚できないでいた。
土曜の午後、銀行に会社の現金4万ドルを収めに行ったマリオンは、この金があればサムと結婚できるという考えに負けて、現金を持って隣町へ車で逃げた。
夜になって雨が降って来たので郊外の旧街道にあるモーテルに宿を求めたマリオンは、モーテルを経営するノーマン・ベイツ(アンソニー・パーキンス)に食事を誘われた。
ノーマンは多少神経質なところはあるが頭が良く、モーテルに隣接している古めかしい邸宅に母親とふたりで住んでいたが、高圧的な母の影響を強く受けていた。
ノーマンが1号室にマリオンを訪れた時、彼女は浴槽の中で血まみれになって死んでいた。
ノーマンは殺人狂の母親の仕業と見て、マリオンの死体を4万ドルともどもに車に乗せて裏の沼に沈めた。
会社では、月曜になって銀行に4万ドルが入ってないのを知り、私立探偵アーポガスト(マーティン・バルサム)にマリオンの足取りを洗わせていた。
マリオンの妹ライラ(ヴェラ・マイルズ)は姉がサムの家に行ったと思いサムを尋ねてきた。
そこへ探偵のアーボガストもやってきた。
2人ともサムの家にマリオンがやってきていないことを知った。
アーポガストはファーベル町とサムの家の間にモーテルがあることを知り、それを調べに行く。
そこでマリオンが確かにモーテルに寄ったということを知った。
アーボガストは、これからノーマンの母親に会うと電話でライラに伝えたまま消息を絶った。
サムとライラは、保安官のシェリフ・チェンバース(ジョン・マッキンタイア)を訪れると、そこで意外なことを聞かされた。
ノーマンの母親は10年前に死んでこの世にはいないというのだ。
ではマリオンが窓越しに見た母親、アーポガストが電話で伝えた母親は、いったい誰なのか?
サムとライラは真相を探るためモーテルに馳けつけた。
サムがノーマンをひきつけている隙に、ライラは屋敷へと忍び込んだ。
そして彼女が地下室で見たものは、女の服を着たミイラであった。
叫び声を上げる彼女に後ろから襲いかかった老婆は――。
コメント:
これぞ、ヒッチコックの世界だ。
英国で数多くの作品を制作したのちに米国に移り、ハリウッド映画の代表的な監督となったヒッチコックのハリウッドでの作品の一つである。
前半のジャネット・リーの現金持ち逃げのくだりからどんどんスリル満点の展開となり、衝撃のシャワーシーン。
血だらけの場面はモノクロだから観られる衝撃的な映像だ。
そこからの後半では、彼女を探す探偵と姉のくだり。
それぞれが単独の面白い一本の作品ほどの完成度である。
警官の職質や中古車屋のサスペンスフルな描写と後半のホラーなスリラーテイストは最高だ。
有名なシャワーシーンのカットの積み重ね以外にも、屋敷を見上げる独特の構図の不気味さ。
どこもセンス良くスリリングな描写は演出・撮影・音楽・編集のすべての分野で、お手本として以降の作品に大きな影響を与えたと感じさせる。
二枚目のアンソニー・パーキンスもよくこんな役を引き受けたなと思うが、繊細な役柄を上手く演じている。
ヒッチコックは、原作の映画化権をわずか9,000ドルで匿名で買い取った。また事前に内容が知られるのを防ぐため、スタッフは市場に出回っていた原作を可能な限り買い占めた。
ヒッチコックが原作に惹かれた個所は、「シャワー中の美女がナイフで斬殺される唐突さ」の1点のみであったという。
事件の現場となるベイツ・モーテルのデザインモデルは、カリフォルニア・ゴシック様式で建てられた個人住宅で、21世紀の現在でも現存している。
シャワー・シーンで流れたのは、赤くないチョコレートソースだったという。
寝室のジャネット・リーを覗くアンソニー・パーキンスの目の大写しでは、眼の検診で使用する医学用ライトが用いられた。
殺された人間が頭から階段を転がり落ちるカットでは、俳優と階段を別に撮影し合成した。
ヒッチコックは、マリオンが事務所に出勤した際、事務所の外でウェスタンハットをかぶっている通行人としてカメオ出演している。
映画の前半では、マリオンの犯した横領をめぐる心理的葛藤を描くクライム・サスペンスの様相を呈し、「車を購入する際の不自然な挙動」や「それを不審に思う警官」など、不安定な心理状態と緊迫感が丁寧に演出される。
ところが、彼女は何の前ぶれもなく刺殺される。
モノクロでも凄惨なこのシャワー・シーンの映像と音楽は、後に多くの他の映画作品において模倣やパロディーが繰り返された。
後半では、マリオンの妹と探偵らによるマリオン探しが主眼になり、謎とサスペンスは次第にベイツ・モーテルへと集中していく。
探偵殺害シーンでは“カメラが人物の背後からはるか頭上へ1カットで急速に移動する”など、多くの映像テクニックが駆使されている。
最後にマザーコンプレックスのノーマンがかばう母親の正体が明らかになり、物語は「この世にいないはずの人物によるモノローグ」という大胆かつ実験的な終結を迎える。
数多くのスリラー映画に必要な要素がしっかりと採用され、映像化された結果、本作はAFIのスリルを感じさせる映画100作の中で、堂々第1位を獲得したのであった。
この映画のスリラーシーンは、YouTubeにMOVIE CLIPとして12の映像がアップされている:
ヒッチコックは当初、電信ケーブル会社で技術者や広告デザイナーとして働き、1919年にサイレント映画の字幕デザイナーとして映画業界入りし、美術監督や助監督などを経て、1925年に『快楽の園』で監督デビューした。
最初の成功した映画『下宿人』(1927年)で初めてサスペンス映画を手がけ、『恐喝』(1929年)からトーキーに移行した。1930年代は『暗殺者の家』(1934年)、『三十九夜』(1935年)、『バルカン超特急』(1938年)などで高い成功を収めta.
1939年には映画プロデューサーのデヴィッド・O・セルズニックと契約を結んで渡米し、その1本目となる『レベッカ』(1940年)はアカデミー賞作品賞に選ばれた。
1940年代はセルズニックや他社で『疑惑の影』(1943年)や『汚名』(1946年)などを撮り、さらには独立プロダクションを設立して『ロープ』(1948年)などを発表した。
1950年代以後はワーナー・ブラザース、パラマウント・ピクチャーズ、ユニバーサル・ピクチャーズなどの大手映画スタジオと契約を結び、プロデューサーを兼任して『見知らぬ乗客』(1951年)、『裏窓』(1954年)、『めまい』(1958年)、『北北西に進路を取れ』(1959年)、『サイコ』(1960年)、『鳥』(1963年)などを発表し、高い評価と興行的成功を収めた。
その間の1955年にはアメリカ市民権を取得した。
ヒッチコックは映像で観客の感情を操作し、サスペンスの不安や恐怖を盛り上げる演出や手法を追求した。
「ヒッチコック・タッチ」と呼ばれる独自のスタイルやテーマは、登場人物の視線で描くことで観客をのぞき行為をする役割にしたことや、犯人に間違えられた男性と洗練された金髪美女が主人公のプロット、サスペンスとユーモアの組合せ、マクガフィンの設定、二重性のテーマなどを特徴とする。
独自のスタイルを持つ映画作家としてのヒッチコックの評価は、1950年代にフランスの映画誌『カイエ・デュ・シネマ』の若手批評家により確立されたが、それまでは単なる娯楽映画を作る職人監督と見なされていた。
ヒッチコックは生前にさまざまな栄誉を受けており、1968年に映画芸術科学アカデミーからアービング・G・タルバーグ賞を受賞し、亡くなる4か月前の1979年12月には大英帝国勲章を授与された。
今日までヒッチコックの作品は、さまざまな学術的研究や批評の対象となっている。
この映画は、Amazon Primeで動画配信可能: