宮尾登美子の映画 「藏」 越後の酒造りの一家を支えた女性の苦悩を描く名作を映画化! | 人生・嵐も晴れもあり!

人生・嵐も晴れもあり!

人生はドラマ!
映画、音楽、文学、歴史、毎日の暮らしなどさまざまな分野についての情報やコメントをアップしています。

「藏」

藏 [DVD]

 

「藏」 プレビュー

 

1995年10月10日公開。

新潟の酒蔵を舞台にした大ヒット作。

浅野ゆう子が日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を獲得。

配給収入:10億円

 

原作のあらすじ:

大正8年(1919年)、新潟県(越後)亀田町(現在の新潟市江南区)の大地主で酒蔵『冬麗』の蔵元でもある田乃内家の当主・意造と妻・賀穂の間に女の子が産まれる。

夫妻の間で過去8回妊娠した子を全て失い、9人目にしてようやく授かった健康な女子に意造はあえて「烈(れつ)」という力強い名を付ける。

出産で健康を害した賀穂に代わり、烈は賀穂の未婚の妹で叔母に当たる佐穂に育てられ、周囲の期待通り賢く美しく成長するが、小学校入学を前に網膜色素変性症でやがて失明すると宣告される。

ショックを受けた烈は心を閉ざし、小学校にも行かず、自邸に引きこもるようになってしまう。

母・賀穂は自分の生命に換えても烈の眼を治したいと思うあまり、病身も省みず越後三十三ヶ所観音札所巡礼の旅に出て途中で倒れ、「自分が死んだら佐穂を意造の後妻とし、烈の母親として欲しい」と言い残して息を引き取ってしまう。

烈と佐穂は実の母娘同然の絆で結ばれており、佐穂自身義兄の意造にずっと密かに想いをよせており、誰もが佐穂が意造の後妻となるのが最良だと信じて疑わなかった。

しかし度重なる家中の不幸に疲れた意造は、それをわかっていながら若い芸妓・せきに心を奪われ、後妻に迎えてしまう。

烈を実の娘のように養育してきた佐穂は、いたたまれずに黙って実家に逃げ帰るが、烈の懇願と意造の誠意に「生涯をかけて烈を守る」と誓い、田乃内家に戻る。

間もなくせきは田乃内家の跡取りたるべき男子を産むが、その子は思わぬ事故で死んでしまい、意造との夫婦仲も破綻する。

意造自身も病に倒れ、半身不随となり、烈も14歳の時に完全に失明してしまう。

全てに絶望し酒蔵を手放す決意をする意造。

しかし烈は、全盲のハンディをも超えて、自分が田乃内家と『冬麗』の蔵を継ぐと宣言する。酒蔵は女人禁制とされた時代、意造は烈の障害はともかく、いくら賢い娘でも蔵元を継がせる事など考えられなかったが、ついには烈の熱意に押し切られ酒造りを再開する。蔵を受け継ぎ守り抜くことが自分の生き方だと信じる烈。意造は娘を将来の蔵元にふさわしく教育することに生き甲斐を見出すのだった。

年頃の美しい娘に成長した烈は、若い蔵人・涼太に許されぬ恋心を募らせていく。

田乃内家の生活に馴染めずこの家を出て自分らしく生きたいと望む後妻のせき。

意造への想いを押し殺し、生娘のまま事実上田乃内家の女主人となっても、自分は意造の妻ではなく、烈の本当の母でもないと苦しむ佐穂。

家父長制的価値観に縛られ、せきと仮面夫婦を演じ続け、本当に大切な女性である佐穂に何も出来ず、烈の恋を許す事も出来ない意造。

それぞれの想いが交錯する中、烈は涼太に想いを伝えるべく家を抜け出し、親族を心配させるが、烈と涼太は晴れて結婚するのであった。

 

映画のあらすじ:

大正8年、吹雪の荒れ狂う一月の夜更け、新潟県亀田町の地主で、清酒“冬麗”の蔵元二代目・田乃内意造の長女として烈は生まれた。

母の賀穂(黒木瞳)が病弱であったため、烈の養育は賀穂の妹・佐穂(浅野ゆう子)に委ねられた。

佐穂の親身な世話で烈はすくすくと成長したが、小学校入学の直前、烈の目が夜盲症といういずれ失明に至る不治の病におかされていることが発覚した。

意造はあらゆる治療を試みたが効果はなかった。

賀穂は、神にすがろうと越後三十三カ所の巡礼に旅立ち、その先で病に倒れ息をひきとってしまう。

烈は母の妹・佐穂を親代わりに頼りにし、成長していった。

そんな折、意造は二十歳以上も年の若い芸妓のせき(夏川結衣)を後添えにした。

烈は佐穂が後添えになるものとばかり思っていたので反発する。

居場所のなくなった佐穂は、黙って田乃内家を出るのだが、烈が反抗して連れ帰す。

その後、意造とせきの間には待望の男子が生まれたが、不幸にも事故に巻き込まれて死んでしまう。

意造はあまりの衝撃に脳卒中で倒れ、寝たきりになってしまった。

生きる意欲をなくし、弱気になった意造は“冬麗”の蔵を閉めると言い出す。

しかし、烈(一色紗英)は意造に「あの蔵を烈に下さい。烈がお酒造りをしてみせます」と申し出るのだった。

意造は酒造りは女の仕事ではないと反対したが、烈は聞き入れなかった。

念願かなって蔵開きを迎えることが出来た烈は、蔵人の中に昔馴染みの釜屋の涼太(西島秀俊)を見つける。

しばらく会わないうちに立派な風格を漂わせている涼太に、酒造りのやりとりの中で、烈は自分の中の隠し難い思いを意識するのだった。

その年の酒造りが終わり、何も言わず帰って行った涼太を、烈は意造の反対を押し切って訪ねて行った。

烈から涼太への思いを打ち明けられた佐穂は、意造に烈と涼太の結婚を許してやるように説得する。

意造と烈を思いやる佐穂の言葉を聞いて、意造は改めて佐穂の存在の大切さに気づき、共に生きることを決心するのだった。

 

映画パンフレット専門店 - 46番館

 

スタッフ:

  • 監督:降旗康男
  • 脚本:高田宏治
  • 原作:宮尾登美子
  • 製作総指揮:松方弘樹
  • 企画:日下部五朗

 

キャスト:

  • 佐野佐穂:浅野ゆう子
  • 田乃内烈:一色紗英(幼少期: 小井紗陽)
  • 山中せき:夏川結衣
  • 竹田涼太:西島秀俊
  • 文吉:江藤潤
  • 八助:小木茂光
  • お半:川島なお美
  • 神官:石立鉄男
  • 眼科部長:神山繁
  • 佐野武郎:船越栄一郎
  • 田乃内賀穂:黒木瞳
  • 田乃内正博:長谷川初範
  • 平山晋:蟹江敬三
  • 谷村昌枝:朝丘雪路
  • 田乃内むら:加藤治子
  • 田乃内意造:松方弘樹

 

懐かしいCM 映画特別企画 「蔵」

 

コメント:

 

原作は、宮尾登美子による日本の長編小説。

宮尾登美子にとっては初めての新聞連載小説となった。

1992年3月から1993年4月まで『毎日新聞』朝刊に連載され、1993年9月に毎日新聞社より単行本が上下巻で刊行された。

1995年7月に中央公論社から中公文庫版が刊行され、初版30万部、直ちに再販となった。

のち、角川書店から角川文庫版が刊行されている。

 

蔵 / 宮尾登美子 - ねこやま

 

大正から昭和にかけての20年にも及ぶ変転を、多彩な人間模様を通して描いた文芸ドラマ。

失明に近い重度の目の病いを抱える美少女の成長物語だが、幼くして母を亡くし、その妹に育てられるも、父親が若い芸妓を後妻に迎えてしまい、ヒロインの少女と家政婦のような立場になってしまった女性の忍耐の日々が続くストーリーになっている。

 

モデルになっている人物はいないと、宮尾登美子はあとがきに記しているが、実際には、原作にある新潟県亀田町に実在する酒蔵がヒントになっているようだ。

 

当時の酒作りと言えば、女人禁制が当時の常識だった。
男尊女卑が広く浸透したとされるのは江戸時代~明治時代初期と言われている。
老舗と言われる酒蔵は、この時期に創業を行っており、その時代背景より女人禁制となった、あるいはその重労働から、けがをさせないないためにも女人禁制としたなど様々な理由が挙げられる。
しかし明治政府は、女性蔑視をしないことや、過剰な女人禁制を禁止することで、次第に酒造りの場に女性が参加していった。
後に市島家では、このような時代でも先鋭的な取り組みを行い、酒造りに女性を活用していく。

そして、市島酒造では、1975年に全国で女性杜氏第1号となる技能士が誕生したのだ。

それがこのサイトに記載されている:

 

 

 

だが、ストーリーは全く宮尾登美子の創作のようだ。

宮尾は、一度は目の悪い人の小説を書いてみたいと思っていたという。

この小説が新聞に登場すると、大人気になり、新聞社への投書が山のように届いたらしい。

 

原作を読んでみると、新潟弁の会話が最初から最後まで続き、解読がめんどうなのが気になるが、ストーリーそのものは、『櫂』や『鬼龍院花子の生涯』と同様、ひたすら運命に耐える女を描いている。

男尊女卑を地で行く自分勝手な父親と、何もできない遊女上がりの後妻に振り回される盲目のヒロイン「烈」と、育ての親の「佐穂」の苦難がいくつもの不幸と共に描かれている面白い作品になっていて、さすがは宮尾登美子だ。

 

新しいところは、ヒロイン「烈」が、目が不自由でありながら、その名の通り、あっと驚く気性の激しさで常に周りを巻き込むというシーンだ。

めくらの方が世の中が見えるということなのかも知れない。

 

映画は、東映の宮尾映画路線の中で、名匠・降旗康男が監督をつとめており、松方弘樹、浅野ゆう子が実に趣の深い演技をみせている。

主人公・烈は、新人の一色紗英が熱演し、新人賞を獲得している。

 

蔵 | スタッフ・キャスト・作品情報 - 映画ナタリー

 

この作品は、映画公開まで紆余曲折があり、公開前から注目を浴びたようだ。

企画は日下部五朗プロデューサーだが、1992年に本作の毎日新聞連載が始まると、東映全体でこれは当たると声が上がり、東映全体で映画化を熱望した。

しかし岡田茂東映社長(当時)が一人映画化に猛反対し、映画は舞台・テレビに後れを取った。

 

東映は1982年の『鬼龍院花子の生涯』の映画化で宮尾を売れっ子作家に押し上げ、以降、1983年『陽暉楼』、1984年『序の舞』、1985年『櫂』と宮尾作品を次々ヒットさせた。

だが、それ以外は映画化するには帯に短し襷に長しで映画化しずづらく、日下部は、岡田社長から「宮尾作品で勝負しろ」と言い続けられたため、仕方なくそれぞれ15分くらいで読める『夜汽車』(1987年)と『寒椿』(1992年)を、タイトルだけ使い、宮尾の様々な作品を寄せ集める形で映画化した。

この2本は興行が振るわず、映画化に耐える骨格がないという問題点があった。話をでっち上げる格好になったため、東映と宮尾は一時険悪になった。

東映の宮尾作品は、ヤクザや女衒が柱を務め、人気女優のヌードや濡れ場が大きなウリで、これらは東映カラーとも適合し成功を収めていたが、本作にはそれらは一切なく、本作映画化に際して、東映全体では映画化を熱望したものの岡田会長が例によって「ヒロインが盲の話、誰が見に来るんじゃ!」と言い、一人猛反対したという。

一連の宮尾作品は凄い敵が前途に立ちはだかることで鮮烈のドラマが成立していたが、本作は家族のドラマで敵がいないことに岡田は不安を持った。

日下部が何度も岡田を説得したが、「諄い!撮ること罷りならん!」と頑なに拒否された。

日下部が岡田の説得に難航しているを聞いた松方弘樹が途中から助太刀し、松方の松プロが製作費の折半を提案。

当時の松方はテレビで活躍するタレントイメージが強く、意造役は、それまでの松方のイメージとは全く違う地味な役でもあり、50歳を過ぎた松方としても役者の幅の広さを示したいという想いがあった。

日下部が重ねて「会長、運命が敵じゃないですか」「逆境の中で女が戦って、自分の宿命と斗って果敢に生き抜いて見せた。これに勝る敵はないですよ」などと岡田の説得を繰り返し、岡田が根負けして「そこまでこだわるんならやれや」とようやくGOが出た。

岡田は『朝日新聞』のインタビューで、「アメリカのアクション大作が年に三、四本、日本で大ヒットし、少々の日本映画では太刀打ちできない。アクションものはしばらくやめよう。代わりに日本古来の文化を描いたものをやろうと思った。『藏』のような女性路線には、将来に望みをかけています。外国映画がやらない任侠ものは若い世代には人気がありません。テーマがつかまえにくい。テレビのトレンディードラマにしても、とらえどころがないから、僕は『風船ドラマ』と呼んでいる。これはテレビの方がうまい。映画の素材を確立するのが難しい時代だ。映画館だけで稼がなくてもいいが、今はテレビやビデオ向けに売り込めるから、映画の質が『中級専門』になる。そんな映画は飽きられてしまう。日本独自のものを作ることです。そのためには若い世代から大物プロデューサーが出なきゃいかん」などと話した。

先行した舞台・テレビ放映の人気の高まりと、降板騒動で、映画化の認知度は公開3ヶ月に68%と高かった。

高岩淡東映社長は本作を"母物映画"と評している。

 

松方が初めてプロデューサーとして参加し、監督には東映出身で当時はフリーの降旗康男に依頼。

原作をそのまま映画にすると7~8時間となるため、脚色の高田宏治が2時間少しに凝集した。

 

烈の役は宮沢りえに決定し、マスメディアを通じて発表もされていたが、クランクイン直前に突如宮沢が降板し、世間を賑わせた。

これが地下鉄サリン事件の前で、マスメディアも大きく報道し、「藏」映画化のニュースは一気に世間に浸透し、りえ効果は映画のプロモーションに絶大なものがあった。

1995年1月28日に東映京都撮影所での衣装合わせの際、宮沢は初めて浅野ゆう子の出演を知り、キャストの序列も、浅野、宮沢の順で自分が主演でないと知った。

すると、同年2月6日に宮沢は出演辞退を表明し、マスメディアが一斉に飛びつき大騒ぎとなった。

マスメディアは「一生に一回あるかないかのいい役を降りるなんて、ミステイクも甚だしい」と報道した。

脚本家高田宏治によると、元々2番手だった浅野ゆう子が「トップじゃないとイヤだ」と言い出し、宮沢側が「話が違う」と怒っての降板だったという。

この騒ぎの中行われた制作発表の席上で、浅野は「クレジットはあいうえお順かと思った」ととぼけた。

宮沢の烈役は作品の要で、降旗監督は荷物をまとめて東京に帰る支度を始め、松方も「止めよう」と言い、製作中止になりかけたが、2月14日に代役に新人の一色紗英を立てて、製作を強行した。

なお、宮沢演じる豪姫がタイトル・ロールになっている映画『豪姫』では仲代達矢演じる古田織部がトップクレジットとなっているが、このときは問題は発生していない。

1997年の『失楽園』映画化にあたり、ヒロイン争いをしていると当時のマスメディアに盛んに取り上げられた黒木瞳と川島なお美が短時間出演しているが、劇中、黒木の役が死んだ直後に川島の役が登場するため、ニアミスで競演シーンはない。

 

1995年2月21日、ホテルニューオータニで製作発表記者会見があり、先の降板騒動に対して宮尾が、「今時、配役序列が問題だとして役を降りるなんて、何と映画界、旧い体質なんでしょうね。若い人にはそんな因習めいた考えから脱却して欲しいと思います。口約束にしてもそんなに軽く一方的に踏みにじっていいものでしょうか」と、宮沢を辛辣に批判した。

浅野はこの会見では、その話題を避け、「生涯最高の役が回って来たと気持ちが昂ぶっている。相手役の一色紗英を先輩として及ばずながら支えていい芝居を見せたい」と眦を決する気力充実の挨拶を見せ、迫力のある会見となった。

 

監督の降旗は田乃内烈のキャラクターは、宮沢りえより一色紗英の方が良いのではないかと秘かに思っていたため、ベテランの浅野ゆう子や松方弘樹に伍して一色が立派に主人公を演じてくれて嬉しかったという。

 

Takaタカ on X: "宮尾登美子原作の映画『蔵』が放送されていたので懐かしく見ていたら… 主人公・烈役の一色紗英が迪麗熱巴(ディリラバ)に見えてきた…  #蔵 #一色紗英 #迪麗熱巴 https://t.co/ReQx5iqWlI" / X

 

主舞台となる田乃内家は、美術の西岡善信らによる力作で、東映京都撮影所に無垢の木材を持ち運んで、土台石の上に据えるなど、人件費が通常のセット建設の7~8倍かかった。

当時の酒蔵もリアルにセットで再現し、米麹が発酵するダイナミックな酒造りのシーンもそこで撮影された。

テレビで主に活躍する浅野や一色が「これが映画の世界?」とど肝を抜かれていたという。

 

1995年は「映画百年」でもあったが、神戸の震災や地下鉄サリン事件の連日の報道で、映画興行は大きな打撃を受けた。

1995年7月4日に丸の内東映で完成披露試写会、同日夜、東京銀座並木通りの三笠会館で宮尾登美子主催による「藏」映画化謝恩パーティが関係者を招いて開催された。

映画関係者や東映首脳は勿論、中江利忠朝日新聞社長、小池唯夫毎日新聞社長、嶋中行雄中央公論社長、田中健五文藝春秋社長、平山征夫新潟県知事ら、日頃から宮尾文学を愛好する支持者が顔を揃えた。

岡田会長は製作に終始反対していたため、「パーティには出んぞ」と言っていたが、初号試写を観て豹変し「『藏』の出来はええよ」と吹聴に回り、パーティの席上、「一色君は非常に素晴らしかった。皆さんは演技が良かったと思いでしょうが、上手いのではなくむしろ芝居を知らなかったから良かった。一生懸命に地で演っているから烈になり切れた。あの役、臭い芝居されたら見れたもんじゃない」などとぶった。

作品の舞台でロケも行われた新潟の新潟東映では、同年7月18日に地元披露試写会が行われ、同年9月30日より新潟県下3劇場で先行ロードショー。9月14日には京都東映太秦映画村で「大ヒットさせる会」が、第8回東京国際映画祭で9月27日に上映が行われた。

 

映画は、無事ヒットし、配給収入は10億円(興行収入としては20億円前後か)となった。

『AVジャーナル』は「クランク・イン直前にビリング問題で宮沢りえが降りた主役交代劇にはじまり、精力的なプロモーションが行われ、大人の女性観客をつかんだ。家のしがらみ、家族の絆と愛憎、当時を再現するダイナミックなセット、雪国の四季を捉えたカメラなど、映画の色々な分野のプロの仕事が凝縮されている」と評した。

 

受賞歴:

第19回日本アカデミー賞
  • 優秀作品賞
  • 優秀監督賞:降旗康男
  • 優秀脚本賞:高田宏治
  • 優秀主演男優賞:松方弘樹
  • 最優秀主演女優賞:浅野ゆう子
  • 優秀助演女優賞・新人俳優賞:一色紗英
  • 優秀音楽賞:さだまさし・服部隆之
  • 優秀撮影賞:森田富士郎
  • 優秀照明賞:増田悦章
  • 優秀美術賞:西岡善信
  • 優秀録音賞:伊藤宏一
  • 優秀編集賞:玉木濬夫
第69回キネマ旬報ベスト・テン
  • 読者選出日本映画ベスト・テン第9位
  • 新人女優賞:一色紗英
第50回毎日映画コンクール
  • 日本映画優秀賞
  • 男優助演賞:松方弘樹
  • スポニチグランプリ新人賞:一色紗英
  • 宣伝賞最優秀賞
第20回報知映画賞
  • 新人賞:一色紗英

 

この映画は、Amazon Primeで動画配信可能:

https://www.amazon.co.jp/%E8%97%8F-%E6%B5%85%E9%87%8E%E3%82%86%E3%81%86%E5%AD%90/dp/B088CKF2FD