「フィラデルフィア物語」
(原題:The Philadelphia Story)
1940年12月1日公開。
離婚した二人の復縁ストーリーを描くコメディ。
キャサリン・ヘプバーンの出世作。
ハリウッドの名監督・ジョージ・キューカーの名作。
興行収入:$3,259,000。
脚本:ドナルド・オグデン・スチュワート
監督:ジョージ・キューカー
キャスト:
- C・K・デクスター・ヘイヴン:ケーリー・グラント
- トレイシー・サマンサ・ロード:キャサリン・ヘプバーン
- マコーレイ・コナー:ジェームズ・スチュワート
- エリザベス・イムブリー:ルース・ハッセイ
- ジョージ・キットリッジ:ジョン・ハワード
- ウィリアム・Q・トレイシー(ウィリー叔父さん):ローランド・ヤング
- セス・ロード:ジョン・ハリディ
- マーガレット・ロード:マリー・ナッシュ
- ダイアナ・"ダイナ"・ロード:ヴァージニア・ウェイダー
- シドニー・キッド:ヘンリー・ダニエル
あらすじ:
フィアデルフィアの大富豪ロード家の長女トレイシー(キャサリン・ヘプバーン)は、同じく上流のG・K・デクスター・ヘイヴン(ケーリー・グラント)と恋愛におちて結婚したが、たちまち破局の嘆きを見た。
それはトレイシーが世間知らずで、人の欠点を許容することが出来ず、完全な人格を相手に求めるところに原因しているが、デクスターがやけ酒を飲みすぎたのが直接の動機だった。
しかしデクスターは今なお彼女を愛している。
そのトレイシーが貧困から身を起こして出世したジョージ・キットリッジ(ジョン・ハワード)と結婚することとなる。
スパイという黄表紙雑誌の記者となり、南米へ行っていたデクスターは、トレイシーの間違った結婚から助けようと帰ってくる。
彼はスパイ記者をしているマコーレイ・コナー(ジェームズ・スチュワート)と、その恋人で写真班のエリザベス・イムブリー(ルース・ハッセイ)を、南米にいるトレイシーの弟の親友だといって連れて来る。
コナーは小説家であるが、パンのためにいやいやスパイの記者をしている男で、フィラデルフィア名門の結婚式の模様などをすっぱ抜き記事にしたくなかったのである。
さてデクスターをいまだに怒っているトレイシーは、彼のお節介に腹を立てたが、断ると父があるダンサーと起こした醜聞をスパイに発表するというので、しかたなく彼らを表向き客として泊めることになる。
父のセスが別居しているのも、トレイシーが完全人格を望むくせで、母に無理矢理に追い出させたのである。
花婿たるキットリッジは、トレイシーを理解しておらず、お金と名声を得るための縁組なのだが、トレイシーはそれに気づかず、立派な人格者として見ている。
ところがデクスターとコナーのあけっぴろげの愛すべき性格は、トレイシーの目を少しばかり開けさせたようであった。そして結婚式前夜のパーティーで、トレイシーとコナーはシャンパンを飲みすぎ、2人は酔った勢いで暁近く恋を語り、二度ほどキスをしてしまった。
その後、酔いつぶれたトレイシーを抱いてコナーが戻ってくるところに、デクスターとキットリッジが来合わせた。
コナーの話をデクスターは信じたが、キットリッジは信じようとしなかった。
翌日、トレイシーは自分の身の潔白を信じてくれなかったキットリッジとの婚約を破棄した。
今では人間には欠点ありと悟った彼女は、デクスターがどんなに彼女に適した男であるかが分かり、改めて彼と結婚式を挙げるのだった。
コメント:
フィリップ・バリーが手掛けた同名のブロードウェイ作品を原作としたコメディ映画。
再婚話のある富豪令嬢と、その元夫や彼女に一目惚れする記者が巻き起こす恋のドタバタを描いたロマンチックコメディ。その三人をキャサリン・ヘプバーン、ケイリー・グラント、ジェームズ・スチュアートが軽妙洒脱に演じており、優雅なムードも相まって魅力的なドラマとなった。
速射砲のような台詞の応酬が面白い。
キャサリン・へプバーン演じる令嬢は、フィラデルフィアの社交界で浮名を流し、後に原作者バリーの友人と結婚したヘレン・ホープ・モントゴメリー・スコットをモデルにしている。
映画のタイトルもそこから来ているのだ。
へプバーンは本作の大ヒットによりスター女優となり、それまで映画興行主から着せられていた「ボックス・オフィス・ポイズン(金にならないスター)」の汚名を返上した。
1940年(第13回)アカデミー賞で主演男優賞(ジェームズ・スチュワート)、脚色賞を受賞した。
キャサリン・ヘプバーンが可愛らしさを発散させている。
ケーリー・グラントが余裕の演技である。
また、ジェームズ・スチュワートが抜群で、アカデミー賞主演男優賞を受賞している。
実にゴージャスな配役である。
妹ダイナ(ヴァージニア・ウェイドラー)が実に面白い。
子役だが芸達者である。
原作の戯曲が優れているのだろうが、ロマンチック・シチュエーション・コメディとして完璧である。
結婚式に元夫が出席する展開は普通だが、そこにスチュワートの作家・記者と、別居している父親を絡ませた所が絶妙である。
この父親が良い台詞を言う。
「なぜ浮気をするのか?」と問われ、こう答える:
「浮気は遊びと分かってる。若さを保つために。娘は若くしてくれる。老いて行く男の支えは娘だけだ。ある種の娘、慈悲深い娘は男を若くしてくれる。外へ捜しに行くしかない。優しさと献身的な愛を捧げてくれる娘を。お前には優しさがない。他は何でも持っているが。自惚れ屋、嫉妬深い。自分では女神と思ってるだろ。芝居は終わりだ」
トレイシーと妹ダイナがコナーと女カメラマン・エリザベスに初対面の場面が傑作である。
最初に出て来たダイナがフランス語で話し、バレエのドレスとシューズで踊る。
ピアノを弾き「リディアの歌」を歌う。
続いて登場したトレイシーもフランス語で満面の笑みで応対する。
金持ち争わずを地で行く。
庭でカメラマンが写真を撮る。
トレイシーはカメラマンに酒を薦める。
カメラをテーブルに載せる。
トレイシーがわざとテーブルを倒してカメラを壊す。
とにかく、会話が面白い。
たとえば、
祖父が建てた図書館のトレイシー。
コナーが来るとトレイシーはコナーの本を読んでいる。
コナー「私の本買ったら」
トレイシー「まるで詩だわ。言うことはガサツでも書くのは繊細ね」「2年で印税600ドルだ」「うちの別荘を誰かに使って貰えると」「金持ちのパトロンに頼ると、芸術の質が落ちる」
デクスター「君は僕のことなど理解しようとしない。完璧な人間にしか・・・」「君が自分より劣る人間と結婚するなんて。人間の弱さを知ることだ。女神でいたいから、弱さを認めない」
結婚のお祝いに「トゥルー・ラヴ号」の模型を贈る。
ジョージ「女王、誰のものにもならないのが魅力だ。崇拝してる」
トレイシー「崇拝されるより愛されたい」「お金持ちとの付き合いは忍耐よ」
コナー「その瞳、その声、その立ち姿、君の心は燃えてるんだ。君は血の通った人間だ」
2人キス。
トレイシー「これが愛ね。体が震えてるの。脚がとろけそうよ」
コナーが、トレイシーを抱いて「オーバー・ザレインボー」を歌いながら来る。
デクスターとジョージを見つけて歌い止む。
「マイキー、続けて」
コナー、トレイシーを寝室に運ぶ。
妹が見ている。
式当日。
トレイシー「私の部屋にあったわ。誰の時計?」
コナーの腕時計だ。
トレイシー「昨日は素敵な夜だったわ。特に最後が」
コナー「下から這い上がることは出来ないらしい。昨日は後悔しないかい?」
トレイシー「今何時?」
コナー「時計はどこだ?」ト「テーブルの上よ。時間だけ教えて」
トレイシー「あなたにひどい事をしてきたわ」
デクスター「僕には関係ないことだ」
トレイシー「私は尻軽な女だわ。一生忘れないわ。今日のあなたが優しかったこと。素敵な船だったわ。今どこに?」
デクスター「売る。一人で乗る船じゃない。君とはいつまでも友人だ」
コナー「僕と結婚してくれ」
トレイシー「嬉しいけど。リズがいるから」「客は花婿の顔を知らない」
デクスター「君なら乗り越えられる」
ト「自分で言うわ。もう逃げない」
デ「予定通り式を行います」
ト「本気なの?」
デクスター、母親の指輪を借りる。
ト「私の顔を立てるためじゃない?」「とても人間らしい気分よ。最高の女になるわ」
女神の人間宣言だ。
エリザベスが花嫁の付添人、トレイシーが父親と入場する。
妹「やったわ。とうとうやったわ I did.I did.」と狂喜する。
監督をつとめたジョージ・キューカーは、キャサリン・ヘプバーンの育ての親ともいえる存在だ。
だが、数々の名作を生みだしたハリウッドを代表する名監督でもある。
この人は、1899年にニューヨークでハンガリー系ユダヤ人の家庭に生まれる。
子供の頃から舞台や映画に興味を持ち、高校を卒業後、シカゴの演劇界で舞台助監督として働く。
21歳の時にはブロードウェイで舞台俳優兼監督として活躍し、エセル・バリモアやエミール・ヤニングス主演の舞台を手掛ける。
しかし映画がトーキー時代に入り、役者の台詞の喋り方を指導しなければならなくなると、ブロードウェイの若手演出家として注目を浴びていたキューカーに白羽の矢が立ち、1929年にハリウッドへ招かれ、1930年の『西部戦線異状なし』をはじめ、パラマウント映画のトーキー映画のダイアローグ監督を務めて実力を認められる。翌1931年には『雷親父』の共同監督を務め、翌1932年の『心を汚されし女』で映画監督として本格的にデビューした。
その後、大物製作者のデヴィッド・O・セルズニックと出会ったことがきっかけで、1931年にパラマウントからRKO社に移ったセルズニックと共に、キューカーも移籍する。まずキューカーはブロードウェイの人気女優だったキャサリン・ヘプバーンをハリウッドに呼び寄せて、彼女のハリウッド・デビュー作『愛の嗚咽』をはじめ、『若草物語』、『男装』などのヘプバーン主演映画を次々と手掛ける。
1933年、セルズニックがMGMに移るとキューカーもMGMに移籍し、グランドホテル形式映画『晩餐八時』、チャールズ・ディケンズ原作の『孤児ダビド物語』、ノーマ・シアラー主演『ロミオとジュリエット』、グレタ・ガルボ主演『椿姫』など話題作を手掛け、1938年にはコロムビア映画に貸し出されてヘプバーンとケーリー・グラントを起用した『素晴らしき休日』を監督した。
個性的な演出スタイルを持たなかったが、媚のない誠実な姿勢で格調の高い作品を世に送り出し、また舞台出身者だけに俳優の魅力を最大限に引き出す演技指導の名人として手腕は長けており、特に女優の魅力を引き出すことに関しては右に出るものがおらず、出演者のヘプバーンやガルボをはじめとする多くのスター女優たちに支持されていただけではなく、スタジオ上層部も女性映画ならキューカーに任せろとまでいわれるようになった。
1939年の『オズの魔法使』にリチャード・ソープの後を引き継いで監督として指導にあたる。しかし、超大作『風と共に去りぬ』でセルズニックに監督として引き抜かれてしまう。その間でも彼はジュディ・ガーランドに適切なアドバイス(例:赤毛のカツラをつけること)を行ったという。
また『風と共に去りぬ』でもセルズニックと監督方針や脚本面で折り合いが付かず、特に出演女優のヴィヴィアン・リーやオリヴィア・デ・ハヴィランドばかりに気を使っていたキューカーにクラーク・ゲーブルが不満を漏らしたのがきっかけとなり、1ヶ月ほどで別の作品に移ってしまうが、女優の指導は密かに彼が行ったという。結局『オズの魔法使』でも『風と共に去りぬ』でも、監督としてクレジットされたのはヴィクター・フレミングであった。
1940年代に入っても女性を主役に据えたドラマやコメディを作り続け、ガルボの引退作となった『奥様は顔が二つ』、ノーマ・シアラーとジョーン・クロフォード主演の『女性たち』、ヘプバーン、グラント、ジェームズ・ステュアート主演の本作『フィラデルフィア物語』、イングリッド・バーグマン主演のサスペンス『ガス燈』、ヘプバーンとスペンサー・トレイシー共演の『アダム氏とマダム』など発表、女性映画の巨匠として確固たる地位を築く。
1947年のグリア・ガーソン主演の『Desire Me』では、作品の出来に満足できず、クレジットから名前を外すようスタジオに要求し、映画は監督クレジットなしの公開となった。1950年にスクリューボール・コメディ『ボーン・イエスタデイ』、1954年にウィリアム・A・ウェルマン監督作品のリメイク『スタア誕生』で当時落ち目だったジュディ・ガーランドに再び脚光を浴びさせる。
60代になってもその才能は衰えを知らず、1960年にマリリン・モンローとイヴ・モンタン共演の『恋をしましょう』、そして1964年にはブロードウェイのヒット・ミュージカル『マイ・フェア・レディ』を映画化、主演にオードリー・ヘプバーンを起用して大ヒット、そしてキューカー自身も唯一のアカデミー監督賞を獲得する。
1975年には米・ソ初の合作映画『青い鳥』をエヴァ・ガードナーとエリザベス・テイラーの共演で手掛け、1981年にはジャクリーン・ビセットの依頼で女性映画の佳作『ベストフレンズ』を演出、82歳という老齢にもかかわらず往年の優雅な手腕を披露して話題を集めた。
またキューカーは、アルフレッド・ヒッチコック、ジョン・フォード、ルイス・ブニュエル、ジョージ・スティーヴンスなどの名匠の映画製作を陰ながら支えていたといわれる。
俳優の持ち味を最大限に引き出す監督として有名である。
彼の作品で高い評価を得た俳優としてキャサリン・ヘプバーン(10本のキューカー作品に出演)、ジェームズ・ステュアート(『フィラデルフィア物語』でアカデミー賞受賞)、ロナルド・コールマン(『二重生活』でオスカー受賞)、イングリッド・バーグマン(『ガス燈』でオスカー受賞)、ジュディ・ホリデイ(『ボーン・イエスタディ』でオスカー受賞)、ジュディ・ガーランド、オードリー・ヘプバーンなどがいる。監督作で俳優がアカデミー賞にノミネートされたのは21名に及ぶ。
キューカー本人は『若草物語』、『フィラデルフィア物語』、『二重生活』、『ボーン・イエスタデイ』、『マイ・フェア・レディ』で5回ノミネートされ、最後のノミネート作でついにアカデミー監督賞を受賞。
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