「赤ちゃん教育」
(原題:Bringing Up Baby)
1938年2月18日公開。
ハワード・ホークス監督のコメディ作品。
当時ヒットしなかったスクリューボール・コメディ。
興行収入:1.1百万米ドル。
脚本:ダドリー・ニコルズ、ヘイジャー・ワイルド
監督:ハワード・ホークス
キャスト:
スーザン・ヴァンス:キャサリン・ヘプバーン
デビッド・ハクスリー博士(別名ミスター・ボーン):ケーリー・グラント
エリザベス・カールトン・ランダム:メイ・ロブソン
ホレス・アップルゲイト少佐: チャールズ・ラグルズ:
スローカム巡査:ウォルター・キャトレット
アロイシャス・ゴガーティ(ランダム夫人の庭師): バリー・フィッツジェラルド
裕福な精神科医・フリッツ・リーマン博士:フリッツ・フェルド
デイヴィッドの婚約者アリス・スワロウ: ヴァージニア・ウォーカー
弁護士・アレクサンダー・ピーボディ:ジョージ・アーヴィング
ランダム夫人の使用人・ハンナ・ゴガーティ:レオナ・ロバーツ
リーマン夫人(リーマン博士の妻): タラ・ビレル:
スローカム巡査の助手・エルマー:ジョン・ケリー
あらすじ:
若き動物学者デイヴィッド・ハックスリー(ケーリー・グラント)は3年を費やして雷龍の骨格を組立て、残るは肋間鎖骨1本で完成というところに到った。
折しもコロラドにおける発掘隊から「肋間鎖骨発見、直ぐ送る」と電報が来た。
彼は博物館での助手アリス・スワロウ(ヴァージニア・ウォーカー)と、雷龍が完成した暁には結婚すると約束をしていたので、晴れて明日結婚することとなる。
その日は、彼が勤める博物館に百万ドル寄付してもよいと言っている未亡人の法律顧問ビーボディ(ジョージ・アーヴィング)とゴルフをする約束があったので、デイヴィッドはアリスに促されて出掛けた。
ところが、ゴルフ場では横着なわがまま娘に邪魔されて彼はろくにゴルフも出来なかったが、晩にはレストランでビーボディと会食することになった。
しかしそこにかの令嬢が現れ、さっそくひと悶着起きて、ビーボディ氏が来た時には、デイヴィッドは上着を、彼女はスカートを裂いてしまって食事どころではなくなってしまった。
彼女はスーザン・ヴァンス(キャサリン・ヘプバーン)という娘で、ビーボディなら子供の時からの知り合いだから、その家へ連れていくという。
ところが、訪ねたのが夜半過ぎでビーボディには会えなかった。
翌日デイヴィッドのところへは例の肋間鎖骨が届いた。
喜んで博物館へ行こうとするところへ、スーザンから「家に豹がいるから助けて」と電話が入った。
それは大変と駆けつけると、豹というのはペットとして慣らされた豹で、名前は「赤ちゃん」という。
スーザンはお人好しの動物学者に一目ぼれしたので、彼を博物館の助手と結婚させないため、「赤ちゃん」を使って、デイヴィッドをコネチカットの寒村にある伯母の別荘へ連れていく。
デイヴィッドは直ぐ引き返そうとするが、入浴中にスーザンが服を洗濯してしまったため、ニューヨークへ帰れなくなってしまった。
様々な行き違いのため挙動不審となるデイヴィッドを見て、伯母(メイ・ロブソンは)彼を気違いか知的障害者だと思い込んだ。
実はこの伯母こそ百万ドル寄付の未亡人だったのだ。
デイヴィッドは寄付を逃すまいと、ボーンという偽名を使う。
一方、彼の大切な肋間鎖骨を犬のジョージがどこかへ隠してしまった。
デイヴィッドは広い庭をスーザンと探しまわるが、夜になると今度はジョージも「赤ちゃん」までも失踪してしまった。徹夜して探し回る二人だったが、その夜、サーカスから逃げ出した凶暴な豹を、スーザンが「赤ちゃん」と間違えたことから大騒ぎとなり、二人は留置場に放り込まれてしまった。
ビーボディとアリスの発言で放免されたが、デイヴィッドはアリスから結婚は無期延期と宣告されてしまう。
しょげるデイヴィッドの元へ、無くなった肋間鎖骨を持ってスーザンが訪ねて来た。
雷龍完成と喜んだのも束の間、スーザンが梯子からころげて雷龍はバラバラになってしまった。
しかし、スーザンはデイヴィッドの腕にしっかりと抱かれていたのだった。
コメント:
キャサリン・ヘップバーンとケーリー・グラントが主演するスクリューボール・コメディ。
戦前の映画だが、全く古さを感じさせない傑作コメディである。
"Baby"(「赤ちゃん」)という名のヒョウを飼うわがままな令嬢と、彼女に振り回される真面目な古生物学者を描く。
原題の「Bringing Up Baby」とは、「赤ちゃんを育てる」という意味。
ケイリー・グラントが博物館の寄付金交渉の為に訪れたゴルフ場で、グラントのボールを打ち、グラントの車をぶつけまくる所から、キャサリン・ヘプバーンのしなやかな美しさに悩殺されつつ、その並外れたキャラクターの壊れぶりに圧倒される。
スクリューボール・コメディを「変人・狂人がお話を掻き回す映画」のことだと定義するなら、「赤ちゃん教育」でのキャサリン・ヘプバーンほどその定義に相応しい人物像はまたとないほどだ。
哀れケイリー・グラントが彼女の犠牲となって悪夢のような体験を強いられるのを、観客は文字通り抱腹絶倒で楽しむばかりなのだ。
ヘプバーンがケイリー・グラントに電話してきて“豹がいるから助けて”というので、慌ててグラントがヘプバーンの家に駆け付けると、それは伯母の家に連れてゆくという豹の“ベイビー”のことで、その豹が好きな歌だというのでヘプバーンがケイリー・グラントと一緒に“I Can't Give You Anything But Love,Baby”を歌うという、ホークス映画史上最も素っ頓狂なジャムセッションもある。
このペット用の豹“ベイビー”が、ちょうど時を同じくしてサーカス団を追われた凶暴な豹と混同され、狂人・変人たちが捕えられてしまった警察の留置場に、凶暴なほうの豹を“ベイビー”と間違えてキャサリン・ヘプバーンが引いてくるという可笑しさ。
「赤ちゃん教育」のキャサリン・ヘプバーンは、映画史上に燦然と輝く最高に狂ったキャラクターだが、そのキュートな可愛らしさの面でも映画史上に燦然と輝いている。
とにかく非常にアクロバティックで、台詞も膨大なマシンガン・トークを駆使し、さらにはアドリブも満載で、名シーンも数多い。
これらは後年になり、非常に高い再評価を受けるに至っている。
AFIによってハリウッド名女優25人の中でもトップに選出されているキャサリン・ヘプバーンだが、本作は彼女が一世風靡される前の作品である。
この人は、女優としてスクリーンで頭角を現し、その後オスカー女優となったが、1930年代中期より『フィラデルフィア物語』(1940年)が大ヒットする頃までは、ハリウッドの「ボックス・オフィス・ポイズン」(金にならないスター)として興行主からは特に嫌われていたという。
キャサリン・ヘプバーン演じるスーザンは、ホークス的女性像の典型と評されている。
ホークス的女性像(英語: Hawksian woman)とは、ハワード・ホークスの映画にヒロインとして登場するような、機知とカリスマを持った強気な物言いをする女性キャラクターを指す映画理論用語である。
ハワード・ホークス監督がキャサリン・ヘプバーン、ロザリンド・ラッセル、バーバラ・スタンウィック、アンジー・ディキンソンなどの女優を使って普及させた。
最もよく知られているホークス的女性像はローレン・バコールが演じた役柄であり、バコールが『脱出』や『三つ数えろ』でハンフリー・ボガートを相手に演じたスリムやヴィヴィアンは映画史上の象徴的な役柄として極めて高い評価を得ている。
ハワード・ホークスは、ハリウッドを代表する監督の一人である。
1922年にパラマウントに脚本家として入社、ほとんどクレジットされなかったものの頭角を現し、2年間で60本近い映画の脚本を手掛ける。
1924年にはアーヴィング・タルバーグから監督にならないかと誘われてMGM映画に移籍するが、翌年にフォックス映画(20世紀フォックスの前身)と監督の契約を交わして、1926年に自らシナリオを書き原案・脚本を兼ね『栄光の道』で長編映画の監督としてデビュー。
以後はサイレント映画をいくつか監督し、1930年にはファースト・ナショナル(ワーナー・ブラザースの子会社)で初のトーキー『暁の偵察』を発表。
同年には富豪のハワード・ヒューズが『地獄の天使』を製作し、この2本の航空映画がその年のヒット作となった。しかし、この年、ハワードと共に映画製作者として活躍していた弟・ケネスが撮影中に事故死するという悲劇に見舞われる。
1931年、ヒューズと組んでギャング映画『暗黒街の顔役』を製作、しかし、過激な暴力描写や近親相姦を彷彿させる内容が問題となり、映画検閲機関である映画制作倫理規定管理局を擁していたアメリカ映画制作者配給者協会はラスト・シーンもホークスたちの了解もなしに勝手に撮り直し、結局、公開されたのは半年後の1932年だった。
また地域ごとによってホークスのオリジナル版と検閲版が公開されていた。
ワーナー・ブラザースとの契約がまだ残っていたため、『群衆の歓呼』と『虎鮫』を手掛けたのち、再びタルバーグに誘われてMGMに移籍。
しかし、大規模なメキシコ・ロケを行った『奇傑パンチョ』が、超過した製作費や現地でのスタッフのトラブルなどを巡って、撮影所長ルイス・B・メイヤーと対立し、撮影も降板してMGMを退社する。
1934年にはコロンビア ピクチャーズで『特急二十世紀』を監督、本作はフランク・キャプラの『或る夜の出来事』と並びスクリューボール・コメディの先駆けとなった。
その後も様々なスタジオで映画を作る。
『大自然の凱歌』では製作者のサミュエル・ゴールドウィンと対立し、監督途中で降板、ウィリアム・ワイラーに引き継がれた。
1938年にはRKOで本作『赤ちゃん教育』を作る。
しかし、その突飛な内容から思ったよりも客足はのびず、結果として映画は興行的に惨敗した。
だが、その後の評価により、「アメリカの喜劇映画トップ100」の第14位に選出されている。
だが、当時は『赤ちゃん教育』オーバーした制作費をカバーすることが出来なくなり、責任者のホークスは製作準備をしていた冒険映画『ガンガ・ディン』を降板し、映画はジョージ・スティーヴンスが監督することになった。
本作を1964年にユニバーサル・スタジオでロック・ハドソンとポーラ・プレンティス主演でテクニカラー作品としてセルフリスペクト、見事に雪辱を果たす。
その後も1939年の航空映画『コンドル』をはじめ、1940年に『犯罪都市』のリメイク作『ヒズ・ガール・フライデー』、1941年にビリー・ワイルダーが脚本を手掛けた『教授と美女』などコメディの傑作を手掛け、1941年の『ヨーク軍曹』では主演のゲイリー・クーパーにオスカーをもたらし、1943年には戦争映画『空軍/エア・フォース』を監督。
1944年にはハンフリー・ボガート主演のハードボイルドの金字塔『脱出』を監督、本作では新人女優だったローレン・バコールを起用、この映画をきっかけにボガートとバコールは結婚し、1946年の『三つ数えろ』で再びこのベスト・カップルをホークスは起用する。
1948年、ジョン・ウェイン主演の西部劇『赤い河』を監督、ジョン・フォード監督の『駅馬車』で人気の出始めたウェインの名をさらに決定的なものにした。
ウェインとはその後も1959年の『リオ・ブラボー』、1962年の『ハタリ!』、1967年の『エル・ドラド』、1970年の遺作『リオ・ロボ』とコンビを組み、ヒット作を連発した。
フレッド・ジンネマン監督の『真昼の決闘』に対し、「一般市民に助けを求めるような奴は保安官じゃない」と批判し、そのアンチテーゼとして『リオ・ブラボー』を製作。
またサム・ペキンパー監督の『ワイルドバンチ』にも「彼がスローモーションで1人を殺す間に、俺は4人も殺せる」と豪語したという。
1951年、ハワード・ヒューズに招かれ、製作者としてSFホラー小説の古典『遊星よりの物体X』を手掛け、またクレジットはされていないが、ホークスも監督としても携わっており、当時の関係者の話によると完全にホークスによる監督作品だったという。
ジョン・カーペンターは本作に影響を受け、のちに『遊星からの物体X』としてリメイクされる。
1955年にスペクタクル史劇『ピラミッド』を監督後、ヨーロッパに数年間滞在する。
『リオ・ロボ』の監督後、フォックス在籍時の監督作『港々に女あり』のリメイクや、ケーリー・グラントを主演にしたウェスタンなど、幾つかの企画の映画化を試みていたが、1977年12月3日に自宅で転倒、意識ははっきりしていたものの26日、心臓の動脈硬化により81歳で世を去った。
奇しくも前日にはチャールズ・チャップリンが亡くなっており、その功績とは裏腹にチャップリンの訃報に隠れてしまった。
1975年、アカデミー名誉賞を授与されている。
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