山崎豊子の映画 「女の勲章」 ファッション界の華やかさと、男女の愛のもつれを描く名作! | 人生・嵐も晴れもあり!

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「女の勲章」

 

女の勲章:映画作品情報・あらすじ・評価|MOVIE WALKER PRESS 映画

 

「女の勲章」 予告編

 

1961年6月28日公開。

新たなファッション・リーダーをめざす女性を描く。

田宮二郎の出世作。

 

原作:山崎豊子「女の勲章」

脚本:新藤兼人

監督:吉村公三郎

 

キャスト:

  • 大庭式子:京マチ子
  • 津川倫子:若尾文子
  • 坪田かつ美:叶順子
  • 大木富枝:中村玉緒
  • 八代銀四郎:田宮二郎
  • 曽根英生:船越英二
  • 大原泰造:三津田健
  • 野本敬太:内藤武敏
  • 白石教授:森雅之
  • 大原京子:細川ちか子
  • 女中きよ:滝花久子
  • 伊東歌子:日高澄子
  • 安田兼子:村田知栄子
  • モデル:市田ひろみ
  • 新聞記者:早川雄三
  • 新聞記者:中条静夫(クレジットなし)

女の勲章」 Onna no Kunsho (1961) : なかざわひでゆき の毎日が映画&音楽三昧

 

あらすじ:

船場のいとはん育ちの大庭式子(京マチ子)が神戸の魚崎でこじんまりした洋裁教室を開いたのが四年前、生徒もふえて大阪進出を計画したのが一昨年だった。

式子は八代銀四郎(田宮二郎)を相談相手に選んだ。

彼は大学を出た布地問屋の息子で、事業欲にもえる野心家であった。

銀四郎の活躍で、甲子園に式子を院長とする聖和服飾学院が開校した。

式子には、内弟子として長年つかえてきた三人のデザイナーがいた。

津川倫子(若尾文子)、坪田かつ美(叶順子)、大木富枝(中村玉緒)である。

倫子は中でも野心的で、三和繊維会社の宣伝部員野本(内藤武敏)と関係し、彼を通じて学院に三和の生地を提供させ、学院内でいい地位をえようとしていた。

しかし、倫子の企みはすぐ銀四郎に見破られ、式子と銀四郎を一層接近させる原因となっただけだった。

関西デザイナー協会のファッション・ショーで、式子のデザインが“新しい大阪のモード”として脚光を浴びたのは、銀四郎の友人で新聞記者の曽根(船越英二)の力が大きかった。

学院の経営はとんとん拍子に運んだ。

夏、六甲ホテルに泊まった式子と銀四郎は、霧の夜結ばれた。

銀四郎は、倫子とは学院が心斎橋に本校を建てた場合甲子園分校の院長にする条件で、かつ美には京都分校を、また富枝には縫製工場をまかすという約束で、次々と関係を結んだ。

銀四郎の事業欲はとどまるところを知らなかった。

フランスのランベールの型紙を購入するために、式子は渡仏することになった。

出発の前日、彼女は銀四郎が、三人の弟子とも関係を持っていることを知った。式子はみすぼらしくむせび泣いた。

フランスでは、国際仏文学会に出席していた白石教授(森雅之)の骨折りで、ランベールとの取引きに成功した。

式子は白石の胸にもたれたかった。

帰国した式子は、銀四郎に白石との結婚話を持ち出した。

ランベール・ショーの利益も、本校も分校もすべて譲渡すると言った。

しかし、銀四郎はその申し出を承認するはずもなかった--。

 

女の勲章 - シネマ一刀両断

 

コメント:

 

原作は、1961年に発表された山崎豊子による長編小説。

 

女の勲章(上) (新潮文庫)

 

『毎日新聞』に連載された。

同年、中央公論社にて単行本が2巻で刊行され、翌年に新装版が刊行された。

1962年には同社で文庫化された。

1961年には大映(東京撮影所)製作で映画化された。

1962年と1976年、2017年に、いずれもフジテレビ系でテレビドラマ化された。

 

ファッション界を舞台に、服飾デザイナーを目指す大庭式子が虚栄心をもつ3人の女弟子達と欲望をめぐる八代銀四郎との中で、女の生き方を描く。

原作者・山崎豊子の作品としては、初の新聞連載小説である。

 

必ず取材をしてから小説に取り掛かる山崎だが、本作では連載中に体調不良であったため、パリとポルトガルの取材に行くことが出来ず、パリの描写は畳2帖大の地図のみで書いたという(実際にパリに出かけた所、町並みの描写が殆ど相違がないくらいだったという)。

ただ、初版ではサンタ・マリア僧院では、シトー派修道院であるにもかかわらず、ステンドグラスという間違った描写をしてしまったため、加筆、訂正を加えて刊行から翌年に新装版が刊行された。

著者の作品で唯一取材をせずに書いた小説である。

 

参考にしたのは、戦後の関西ファション界を牽引した二人のファッション・デザイナー、上田安子服飾専門学校創設者の上田安子(1906年 - 1996年)と大阪・船場生まれで大阪・東京で店舗展開した近藤年子(1920年 - 2018年)と言われるが、話そのものは創作で、山崎は足しげく近藤の元に通い、取材を重ねたという。

 

女の勲章』/若尾文子映画祭・青春Ⅱ⑧ | 『シネマ de もんど』 ももじろう2号のブログ

 

山崎豊子原作の面白さはもちろんだが、それを上手く料理した新藤兼人の脚本が映画のテンポを良くしたのだろう。

京マチ子、若尾文子、叶順子、中村玉緒の四人の女性に絡む田宮二郎の嫌味な二枚目振りが大阪弁と相俟って一段と際立つ。

 

まあ、一口に言って、京マチ子を出しにしてファッション業界で大儲けをたくらむ田宮二郎の手練手管が華々しい作品になっている。

丁々発止とどんどんビジネスを成功させ、周囲の女たちを全員モノにしてしまう。

こんなカッコいい役柄はなかなか無い。

 

山崎豊子映画における田宮二郎の代表作は「白い巨塔」だが、栄光のあとにやってきた自らのガンにより死んでしまう暗い結末になっている。

小説自体は「女の勲章」よりもずっと重く、人生を考えさせる名作だが、田宮二郎のかっこよさを最後まで感じられる作品としては、「白い巨塔」よりも「女の勲章」の方が断然上だろう。

田宮二郎は、関西出身だったこともあり、大阪弁はお手のもの。

この役柄がヒットして、田宮二郎という存在が全国的に知られるようになり、大映における主役級の配役がどんどん回ってくるようになったという。

 

この映画とほぼ同時期に始まったのが、勝新太郎とのコンビで大ヒットした「悪名」シリーズだ。

この頃の田宮二郎は、まちがいなく大映の新エースだった。

 

この映画の特徴は、休むことなくビジネスを拡大する京マチ子と田宮二郎によるファッション事業の華やかさだ。

高度成長期とは言え、まだまだ旧式の序列も色濃く残る世の中で才能だけでのし上がっていくことは容易ではない。

男も女も欲の為には色も金も利用できるものは何でも使うというバイタリティが現在から見ると眩しい。

 

経済低迷の令和の時代を生きる人々にも、こんな貪欲さが欲しい。

ぜひこういう欲の権化同士の戦いを描いたこの昭和の名作を見て欲しい。

 

この映画は、Amazon Primeで動画配信可能:

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