「ブレージングサドル」
(原題: Blazing Saddles)
1974年2月7日公開。
コメディ界の重鎮であるメル・ブルックスの監督作品。
興行収入:$119,600,000。
脚本:メル・ブルックス、ノーマン・スタインバーグ、アンドリュー・バーグマン、リチャード・プライヤー、アラン・ユーガー
監督:メル・ブルックス
キャスト:
- バート:クリーヴォン・リトル
- ジム:ジーン・ワイルダー
- ヘドリー・ラマー:ハーヴェイ・コーマン
- リリ・フォン・シュタップ:マデリーン・カーン
- タガート:スリム・ピケンズ
- レ・ペトメイン州知事 / 先住民の首長:メル・ブルックス(二役)
- ライル:バートン・ギリアム - タガートの一味。
- モンゴ:アレックス・カラス - タガートの一味。
- オルソン・ジョンソン:デヴィッド・ハドルストン
- ハワード・ジョンソン:ジョン・ヒラーマン
- ヴァン・ジョンソン:ジョージ・ファース
- ギャビー・ジョンソン:ジャック・スターレット
- ジョンソン牧師:リアム・ダン
- ハリエット・ジョンソン:キャロル・アーサー
- チャーリー:チャールズ・マクレガー - バートの親友。
- ボリス:ロバート・リッジリー - 絞首刑執行人。
- バディ・ビザール:ドム・デルイーズ
あらすじ:
バート(クリーボン・リトル)は逞ましい黒人奴隷の鉄道作業員だった。
何かとトラブルを起こしては苦境をさまよい、今度もあやうく縛り首になるところだったが、リッジ・ロックの保安官になれば見逃してやろうということで九死に一生を得た。
しかし、リッジ・ロックという町は、法律も秩序もない町で、その町の保安官になること自体、生命を捨てたも同じことだった。
リッジ・ロックを支配しているのは知事のリプトマン(メル・ブルックス)で、彼が腹心のヘドリー・マラー(ハーベイ・コーマン)に命じてバートを保安官にさせたのだ。
リプトマンの狙いは、無力な黒人保安官バートがますます町を不穏な状態に陥れ、その不穏におびえた住民たちが自ら土地を捨てて町を出ていくことにあった。
そしてその土地を鉄道会社に売って儲けようと企んでいたのだ。
一刻も早く町を混乱状態に陥れるために、リプトマンは秘かにタガート(スリム・ピケンズ)という無法者の首領を雇い、兇悪な一味を町に乱入させようとした。
一方、バートはしょっちゅう監獄に出入りするジム(ジーン・ワイルダー)は仲良しになった。
ジムはかつてはウェイコ・キッドと呼ばれていた二挺拳銃の名手だが、今は大酒呑みの呑んだくれとして町中の笑い者になっている男だ。
そんな2人は意気投合して、タガートの一味と対決することになった。
タガートの一味は、兇暴なモンゴ(アレックス・カラス)を始めいずれ劣らぬ悪漢揃い。
その中にはドイツ生まれの妖艶な歌姫リリー・フォン・シュタップ(マデリーン・カーン)も加わっていた。
リリーはその官能的な肉体でバートを誘惑しようとするのだが、もとよりそれに惑わされるようなバートではなかった。やがて町の人々もそんなバートに信頼を寄せるようになり、2人に協力してタガート一味と戦うことになった。
ここに、珍無類の追いつ追われつの一大珍戦が展開する。
派手なパイ投げ合戦があるかと思えば、どういうわけかターザンやチータ、踊り子のラインダンス、果てはアドルフ・ヒトラーまで賑々しく登場。
ついに悪漢一味は総くずれとなりバートたちは勝利を収め、その責任を果たした。
無法の町リッジ・ロックに平和が甦った。
バートとジムは仲良く馬に乗って町を出た。
その2人を待っていたのは何と1台の黒塗りの自動車。
2人は馬から自動車に乗りかえると、夕陽の彼方に去っていった。
コメント:
町をのっとろうとした悪党一味と対決する正義の保安官の活躍を描いた、ずっこけパロディ西部劇。
メル・ブルックスの最高傑作である。
人種問題を笑いにした西部劇。
米国における深刻な白人と黒人との人種差別問題を緩和したハッピーなウェスタンなのだ。
原題の「Blazing Saddles」とは、「輝く鞍(くら)」である。
監督を務めたメル・ブルックスがある朝シャワーを浴びているとき思いついたというもので、深い意味はない。
西部劇の定番である馬の鞍が輝いているシーンを思い浮かべたのだろう。
メル・ブルックス監督による西部劇のパロディ作品。
リッジ・ロックの町に赴任してきたのは、なんと黒人の保安官バート(クリーヴォン・リトル)。
飲んだくれの早撃ちガンマン・ジム(ジーン・ワイルダー)と意気投合して、町をのっとろうとする悪党一味と対決するというお話だ。
最初は鉄道人夫だったバートは、白人の現場監督に「黒人なら歌いながら働いてみろ」と命令されて歌い始めるが、それはドゥー・ワップみたいな都会派の曲(笑)。
そこに仲間たちが洒落たコーラスをつける。
白人現場監督はそれを聞いて大憤慨(笑)。
「何を御託を並べてるんだ!黒人霊歌を歌うんだ!知ってるだろ」。
黒人たち「黒人霊歌?」。
白人「知らんのか?例えばスィート・チャリオットだ!(と言って歌い始める)」。
乗りに乗る白人たち(笑)。
黒人たちは「だせぇ~」という顔でニヤニヤ笑いながら見ている(笑)
「スィート・チャリオット」というのは、黒人霊歌らしい:
イギリスで歌われ始めた白人が好きな曲らしい。
世界的に知られている、ラグビー・イングランドの応援歌でもあるという。
あのプレスリーも歌っている:
本作の監督をつとめたメル・ブルックスは、ポーランド系ユダヤ人移民の父と、ロシア帝国(のちのウクライナ)のキーウ出身のユダヤ人移民の母(旧姓:ブルックマン)の息子として、ニューヨーク市ブルックリン区に生まれる。
2歳の時に父親が亡くなり、16歳でスタンダップ・コメディアンとして舞台を踏む。
イースタン・ディストリクト高校を卒業後、心理学専攻の学生としてニューヨーク市立大学ブルックリン校で1年間を過ごした。
その後、ヴァージニア・ミリタリー・インスティチュートの士官候補生になる。
軍務を終えてからは、シド・シーザー主演のテレビ番組などでコント作家として活動(番組の共同作家には、ニール・サイモンやウディ・アレンがいた)。1960年代には、カール・ライナーとコンビを組んで発表したコメディーレコード『2000 イヤー・オールド・マン(2000 Year Old Man)』や、原作・脚本を担当したテレビドラマシリーズ『それ行けスマート』で高い評価を得る。
1967年に『プロデューサーズ』で映画監督デビューし、第41回アカデミー賞(1969年)で脚本賞を受賞。
以降、本作『ブレージングサドル』(1974年)、『ヤング・フランケンシュタイン』(1974年)、『メル・ブルックス/新サイコ』(1977年)、『スペースボール』(1987年)などの作品を脚本・監督し、ハリウッドのコメディ映画界、パロディ映画界を象徴する存在となった。
映画監督としてコメディやパロディ映画を専門とするが、「プロデューサー」としては『エレファント・マン』、『女優フランシス』、『ザ・フライ』などのシリアスな作品も手がけている。
ただしシリアスな作品の製作は匿名(クレジットなし)で行っており、その理由は「自分の名前がクレジットされるとコメディと誤解されるから」とのこと。
2001年には自身の監督デビュー作『プロデューサーズ』を同名のミュージカルに仕立て、ブロードウェイで歴史的な大ヒットとなる(2007年4月22日閉幕)。
2005年、さらにミュージカル版を映画化した『プロデューサーズ』がネイサン・レイン、マシュー・ブロデリック主演で公開された。
アメリカ合衆国の文化や芸能に対する長年の貢献が称えられ、2009年、ケネディ・センター名誉賞を受賞。2010年にはハリウッド・ウォーク・オブ・フェームの星となり、2012年にはデヴィッド・リンチとともにAFI名誉博士号を授与される。
2013年にはAFI生涯功労賞を受賞し、2024年には第96回アカデミー名誉賞が授与された。
ジーン・ワイルダーが早撃ちガンマンを演じているが、この早撃ちは凄い!
この人は、ロシアからのユダヤ系移民の子として生まれる。
アイオワ大学では演劇を学び、アルファ・エプスロン・パイクラブに所属していた。 1955年に卒業し、英国のブリストル・オールド・ヴィック演劇学校で学ぶ。帰国後、徴兵され陸軍に入り、1956年から1958年にかけて衛生兵として訓練および軍務に就いた。
除隊後、ワイルダーはリムジンの運転手とフェンシングの教師を続けながら劇場での仕事を探した。オフ・ブロードウェイのショーからブロードウェイへ進出。1961年、ブロードウェイのショー『The Complaisant Lover』と『Roots』でClarence Derwent賞を受賞。1968年、映画『プロデューサーズ』でアカデミー賞助演男優賞にノミネートされる。
『プロデューサーズ』のメル・ブルックス監督とはその後もコンビを組み、本作『ブレージングサドル』や『ヤング・フランケンシュタイン』などのブルックスの代表作で主演を務める。
また、黒人コメディアンのリチャード・プライヤーともコンビを組み、『大陸横断超特急』『スター・クレイジー』『見ざる聞かざる目撃者』『詐欺師とウソつき患者』などで共演した。
その他の出演作品に、ロアルド・ダールの原作を映画化したカルト作『夢のチョコレート工場』、ユダヤ人牧師役として荒くれカウボーイ役のハリソン・フォードと共演した『フリスコ・キッド』などがある。
また、1975年の『新シャーロック・ホームズ おかしな弟の大冒険』以降は、自身の出演作の監督も行った。
この映画は、Amazon Primeで動画配信可能: