「インテルビスタ」
(原題:Intervista)
1987年公開。
チネチッタ映画撮影所創立50周年記念。
脚本:フェデリコ・フェリーニ、ジャンフランコ・アンジェルッチ
監督:フェデリコ・フェリーニ
キャスト:
マルチェロ・マストロヤンニ:本人
アニタ・エクバーグ:本人
フェリーニ:本人
助監督・マウリツィオ・メイン:本人
スター女優:パオラ・リグオーリ
あらすじ:
夜の人気のないチネチッタ撮影所。ここでフェリーニ(本人出演)と彼のスタッフたちは、カフカの『アメリカ』に着想を得た新作の冒頭シーンを撮影しようとしている。
そこへ日本のテレビ局の取材班が、撮影を見学にやって来てフェリーニにインタビューする。
フェリーニは初めてチネチッタにやって来た時のことを語る。
まだ監督になる前、駆け出しの記者としてスター女優(パオラ・リグオーリ)にインタビューをしに来た時だった。
その時の模様が再現される。それは一九四〇年のことだった。
フェリーニは、若い頃の彼を演じるセルジオ・ルビーニに役柄を説明し、ルビーニが市街電車に乗ってチネチッタヘ到着するシーンが撮影される。
チネチッタで彼は、当時ディーバと呼ばれていたスター女優におずおずとインタビューする。
彼女が出演するのはインドを舞台にしたスペクタクル史劇で、撮影所では往年の助監督が「本物の象を持ってこい!」などと始終どなり続けていた。
撮影所の外では、フェリーニの助監督のマウリツィオ・メイン(本人出演)が、新作「アメリカ」の出演者を探して地下鉄の乗客をきょろきょろと見回し、彼らを撮影所に連れてきてオーディションで大忙しだった。
そこへ突然、スタジオに爆弾を仕掛けたという警告で、チネチッタの活動が停止する一幕もあった。
一方、チネチッタでは俳優のマルチェロ・マストロヤンニ(本人出演)もCM撮影中だった。
フェリーニは、マストロヤンニと少数のスタッフ、そして日本の取材班を連れてローマ郊外に向かう。
一行の目的地は、引退した女優アニタ・エクバーグ(本人出演)のヴィラであった。
魔術師マンドレイクの扮装をしたマストロヤンニは、エクバーグと共演した(甘い生活)の、一場面をスクリーンに写し出して見せた。
まもなく、「アメリカ」の撮影が開始された。
屋外シーンの撮影中、撮影隊は突然の雨に見舞われビニールハウスの中で一夜を明かした。
明け方テレビのアンテナの形をした槍を手にしたインディアンが襲って来る。
撮影隊は勇ましく応戦する。
それも撮影の一部だった。
撮影は終了し、スタッフは「よいクリスマスを」と口々に言って散って行く。
人気のないチネチッタの第5スタジオ。
フェリーニの「さあ、やってみるか」の声に助監督がカチンコを叩く。
「シーン1、テイク1」。
コメント:
イタリアのチネチッタ映画撮影所創立50周年を記念して、フェデリコ・フェリーニ自身がチネチッタと映画への思いを綴った作品。
フェリーニらしい虚構と現実というスタイルを基調としていき映画は進行していく。
「インテルビスタ」とは「インタビュー」の意味で、日本人のインタビュアーがフェリーニにインタビューをする。
50周年を迎えるイタリアの撮影所チネチッタを記念して、そこで新作映画を撮ろうとするフェリーニと、彼にインタビューする日本のテレビ局の取材班や、撮影所で働く俳優やスタッフの様子を描く。
この作品の特徴は、フェリーニ本人がドキュメントタッチで出演していることと、日本のマスコミが追いかけてるところ。
実にユニークだ。
ほとんど日本人をコケにしながらも、懇切丁寧にアテンドしている。
イタリア人としてのあっけらかんとした明るさや、皮肉っぽさなどを、自ら演じて道案内している。
そして映画の撮影が夢と幻の世界にはいってゆく。
撮影現場にインディアンがやってくるが、結局それも撮影シーンだったという、二重構造になっている。
もともとフェリーニは土着性の強い映画を撮っていたが、自らの作品の評価が高まり、自分自身のステータスが上がるごとに大きな変化を生み、多くの風刺的な表現に浸るようになっていった。
ここでカフカを扱ったのも、緻密な計算があってのことだろう。
カフカの矛盾を自らのエネルギーに変える。
チネチッタ映画撮影所とは、何か。
これは、1930年代、イタリアの指導者のベニート・ムッソリーニ統領の下、イタリア初の大規模な映画撮影所として建設されたものである。
イタリア最大かつヨーロッパでも有数の映画撮影所で、大規模な屋外セットやスタジオ、フィルム編集設備などが備えられている。
第二次世界大戦中には連合国軍の空襲を受けて一部が破損したが、戦後は「8 1/2」(フェデリコ・フェリーニ監督作)や、「白夜」(ルキノ・ヴィスコンティ監督作)など、1950年代から1960年代にかけてのイタリア映画の全盛期に多くのイタリア映画のみならず「ベン・ハー」などのアメリカ映画の大作までもが撮影され、世界各国にその名を轟かせた。
日本の映画もここで撮影されたものがある。
これまでにチネチッタ映画撮影所で撮影された主な作品は以下の通り:
- クォ・ヴァディス(1951年)
- ローマの休日(1953年)
- 道(1954年)
- 裸足の伯爵夫人(1954年)
- 蝶々夫人(1954年)日本・イタリア合作映画
- トロイのヘレン(1956年)
- 戦争と平和(1956年)
- 白夜(1957年)
- 静かなアメリカ人(1958年)
- ベン・ハー(1959年)
- 尼僧物語(1959年)
- 甘い生活(1960年)
- 8 1/2(1963年)
- クレオパトラ(1963年)
- 山猫(1963年)
- サテリコン(1969年)
- フェリーニのアマルコルド(1973年)
- 愛の嵐(1973年)
- カサノバ(1976年)
- インテルビスタ(1987年)
- ギャング・オブ・ニューヨーク(2002年)
- パッション(2004年)
- アマルフィ 女神の報酬(2009年)日本映画
- テルマエ・ロマエ(2012年)日本映画
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