谷崎潤一郎の映画 「讃歌」 原作は「春琴抄」 新藤兼人の監督・脚本作品! | 人生・嵐も晴れもあり!

人生・嵐も晴れもあり!

人生はドラマ!
映画、音楽、文学、歴史、毎日の暮らしなどさまざまな分野についての情報やコメントをアップしています。

「讃歌」

 

映画 讃歌 (1972)について 映画データベース - allcinema

 

1972年12月29日公開。

「春琴抄」の映画化作品のひとつ。

 

原作:谷崎潤一郎「春琴抄」

監督・脚本:新藤兼人

 

キャスト:

鵙屋春琴:渡辺督子
温井佐助:河原崎次郎
鴫沢てる:乙羽信子
鵙屋安左衛門:武智鉄二
鵙屋しげ:初井言榮
春松検校:殿山泰司
利太郎:原田大二郎
番頭:戸浦六宏

 

讃歌 – CINEMATOPICS

 

あらすじ:

春琴と佐助の墓は同じ場所にあったが、佐助の墓は春琴の半分くらいで、あたかも主人に仕えるごとくひっそりと立っていた。

この墓に詣でた作者は鴫沢てるという七十八歳の老姿を知った。

やがて、その老姿は春琴と佐助の物語を話し始めた--。

春琴の家は代々鵙屋安左衛門と称し、薬種問屋の中でも名の聞えた老舗であった。

そこの二女お琴は、九歳で失明したが、琴三弦を弾かせては並ぶ者のいない程の実力であった。

その上、生まれつきの美貌と、我ままいっぱいの環境が彼女を驕慢にしていた。

お琴は使用人の左助だけに身の回りを見させていた。

その佐助は、知らず知らずに三味線を覚え、お琴に本格的に教示してもらうようになったが、お琴の指導は過酷を極めた。

しかし佐助は、お琴の食事、風呂から厠の世話まで親身になってするのだった。

お琴が妊娠した。

しかしお琴は「一生独り身で暮らすわたしには子は足手まといでございます」と涼しい顔で言い、生まれた子を里子に出した。

やがて、お琴は師匠の看板を上げ、佐助と女中てると共に一戸をかまえた。

それからというもの佐助は今まで以上にお琴に献身的に奉仕するのだった。

弟子の中にはお琴の美しさを目あてに通う者も多かった。

美濃屋九兵衛の伜利太郎きもその一人だった。

ある夜。利太郎はお琴の寝室に忍び入ったが、誤って熱湯の入った鉄びんをお琴の頭上からあびせてしまった。

無残な火傷をとどめたお琴の顔。

「おまえにだけはこの顔を見られとうない」としつこく佐助に頼むお琴に、佐助も答えた。

「お師匠さま、必ず見ないようにします」。

数日後、佐助は我と我が眼を針で突いて、失明した。

「佐助はお師匠さまと同じ世界へ参りました。うれしく思います」。

佐助にとって見えるものは眼の底にしみついたお琴の美しい顔ばかりであった。

盲目の二人の世界は、こまやかに厚く結ばれた。これこそたった二人の世界であった。

 

the_films_in_my_life on X: "Hymn (讃歌) [1972] dir: Kaneto Shindo 新藤兼人 🇯🇵  #Hymn #讃歌 #KanetoShindo #新藤兼人 #春琴抄 #谷崎潤一郎 #渡辺督子 #河原崎次郎 #乙羽信子  https://t.co/OqHp13x0jj" / X

 

コメント:

 

谷崎潤一郎原作の「春琴抄」の映画化。

従えようとする少女と、従おうとする少年との“掠奪”と“献身”のすさまじい葛藤が描かれる。

それはやがて常識の域をふみこえた美的恍惚の世界へと広がっていく。

 

新藤兼人自身が語り部として出演している。

演出は、斬新な斬り込みが評価されていて、今でも人気があるようだ。

 

タイトルが、なぜ「春琴抄」ではなく意味不明の「讃歌」なのか、わからない。

 

なぜお琴役が渡辺督子だったのかもわからない。

本作は彼女のデビュー作のようだが。

当時この人は、谷崎潤一郎に気にいられていたのかもしれない。

2年後の「鍵」(1974年)にも主演している。

 

佐助役の河原崎次郎は、はまっている。

この人は、名優・河原崎長一郎の弟である。

 

この映画は、TSUTAYAでレンタル可能:

https://movie-tsutaya.tsite.jp/netdvd/dvd/goodsDetail.do?titleID=1744848166