「カリギュラ」
(原題:Caligula)
1980年2月15日公開。
イタリアの皇帝・カリギュラを描いた大作。
興行収入:$23,438,120。
脚本:ゴア・ヴィダル、ボブ・グッチョーネ、ジャンカルロ・ルイ、フランコ・ロッセリーニ
監督:ティント・ブラス、ボブ・グッチョーネ、ジャンカルロ・ルイ
キャスト:
- カリギュラ - マルコム・マクダウェル
- ユリア・ドルシッラ - テレサ・アン・サヴォイ
- マクロ - グイド・マンナリ
- ネルバ - ジョン・ギールグッド
- ティベリウス - ピーター・オトゥール
- クラウディウス - ジャンカルロ・バデッシ
- カエソニア - ヘレン・ミレン
- ロンギヌス - ジョン・ステイナー
- カエレア - パオロ・ボナセッリ
- カリクレス - レオポルド・トリエステ
- エンニア - アドリアーナ・アスティ
- リヴィア - ミレッラ・ダンジェロ
- プロカラス - ドナート・プラチード
- メッサリナ - アネカ・ディ・ロレンツォ
- アグリッピナ - ロリー・ワーグナー
- ゲメッルス - ブルーノ・ブリヴ
あらすじ:
紀元1世紀前半。
ローマ帝国の王室は腐敗しきっていた。
人々はひたすら快楽を求め、ティベリウス(ピーター・オトゥール)は、カプリ島での隠遁生活を終え皇帝の座に戻るが、病魔に犯された肉体は、精神にまで異常を引きおこし、その生活は凶暴な振舞いに満ちていた。
遂には甥の子、ガイウス・カリギュラ(マルコム・マクドウェル)を秘かに毒殺しようとさえ考えていた。
元老院議員のネルバ(ジョン・ギールグッド)は、この政治の乱れを嘆き、自らの命を絶って抗議の意志を示した。
カリギュラは、ティベリウスから後継者に指名された。
しかし、また皇帝の気が変わることを恐れたカリギュラは、忠実な部下、親衛隊長のマクロ(グイド・マンナリ)に病床のティベリウスの暗殺を命じた。
皇帝の位についたカリギュラは、狂ったように乱行を遂行していった。
巨大な芝刈り機での首刈り、生きた女を地中に埋めたり、果てはマクロにまでティベリウス殺害の罪を着せ、貴族たち全員を観客とした処刑ショーの餌食にした。
そんなカリギュラは、姉ドルシラ(テレサ・アン・サヴォイ)をひたすら愛し、信頼した。
ドルシアのすすめでカエソニア(ヘレン・ミレン)を妻にしたカリギュラは、ドルシラも含めた3人の不思議な愛に歓びを感じていた。カリギュラの奇行はエスカレートしていったが、カエソニアが男児を出産した後のドルシラの病死でそれは頂点に達した。最愛の人ドルシラを失ったカリギュラは、宮殿の中に巨大な売春船を建造させ、ローマ市民を相手に元老院の夫人たちに売春を強要した。
この上なく異様な光景……。
カリギュラは、この売り上げが国家の財源だと宣言した。
しかし4年間のカリギュラの在位は突然終りを告げることになる。
たまりかねた親衛隊員カエレア(パオロ・ボナセッリ)、医師らが、傭兵を使って、カリギュラ、妻カエソニア、子供そして側近の高官らの暗殺を実行するのだった。
しかし、その後を継いだ50歳の叔父クラウディウス(ジャンカルロ・バデッシ)は知的障害で、ローマ大帝国の腐敗はカリギュラの死で終わったわけではなかった。
コメント:
1980年のイタリア・アメリカ合作映画。
当時のペントハウス誌社長ボブ・グッチョーネが46億円の巨費を投じて製作した。
ローマ帝国皇帝カリグラの放蕩や残忍さを描いた重厚な歴史超大作であるが、ハードコア・ポルノとの評価もある。
撮影はアメリカ映画協会(MPAA)を通さず秘密裏に行われ、ニューヨークでは劇場を一館買い取って公開されて大ヒットを記録した。
映画の脚本を基にしたノベライズもあり日本でも翻訳出版された。
歴史上実在したローマ帝国の第3代目皇帝カリギュラの在位期間3年10カ月間の暴君ぶりを描き、当時の宮廷内の腐敗を描く。
監督はイタリアのポルノ映画界の巨匠ティント・ブラス。
主演はカリギュラ役のマルコム・マクダウェル、皇帝ティベリウスのピーター・オトゥールほか、サー・ジョン・ギールグッド、当時すでにシェイクスピア女優としての地位を築いていた演技派女優のヘレン・ミレンなど豪華キャスト。
紀元37年~41年、事実上の帝政期に入ったローマ。
第2代ローマ皇帝ティベリウス(ピーター・オトゥール)を殺害して第3代ローマ皇帝となったカリギュラ・シーザー(マルコム・マクダウェル)は暴君の限りを尽くす。
怖ろしい映画である。
本作の監督をつとめたティント・ブラス。
この人は、1933年3月26日、ロンバルディア州ミラノに生まれる。
祖父は高名な画家・舞台美術家のイタリコ・ブラス、父は弁護士であった。
ヴェネツィアの名門の生まれで、父親の影響で最初法律を学んだが、映画に興味を覚え、パリのシネマテーク・フランセーズに通うようになる。
そこでフランソワ・トリュフォーやジャン=リュック・ゴダール等と知り合いになり、短編映画を撮影し始める。
1958年、25歳のころ、シネマテーク・フランセーズの出資、同館の館長アンリ・ラングロワのプロデュースにより、彫刻家ニコラ・シェフェールとの共同監督で短篇映画『スパシオディナミスム』をフランスで発表、監督としてデビューする。イタリアに戻り、ロベルト・ロッセリーニ監督の『インディア』(1959年)や『ロベレ将軍』(同年)等の助監督をつとめた。
1960年、ヨリス・イヴェンスとタヴィアーニ兄弟のドキュメンタリー映画『イタリアは貧しい国ではない』に脚本・助監督で参加する。1963年、自らのオリジナル脚本による長篇劇映画『働く者は失われている』を初監督する。
1964年、ドキュメンタリー映画『革命の河』を発表して初めてその頭角を現すが、これは世界の動乱の映像を3年の期間を費やして編集した作品である。
1970年、第20回ベルリン国際映画祭金熊賞にノミネートされ、『うめき』をコンペティション上映するが、賞は逃した。
翌1971年、ヴェネツィア国際映画祭に『休暇』をコンペティション出品し、イタリア映画批評家賞を獲得した。
1972年には、第22回ベルリン国際映画祭コンペティションの審査員を務めた。
その後日本では、1974年製作の『ナチ女秘密警察/SEX親衛隊』(現邦題『サロン・キティ』)で注目される。
そして、アメリカのペントハウスとの提携でハリウッドに招かれ製作したセンセーショナルな本作『カリギュラ』を1980年に発表、世界中で話題となり、その名が世界に広く知られることとなる。
歴史超大作ポルノといわれるこの映画は、豪華キャスト・スタッフにもかかわらず、撮影はトラブル続きだったという。
問題のシーンは同誌のオーナーでもあるボブ・グッチョーネが内緒で撮ったと言われている。
1983年には谷崎潤一郎の小説『鍵』を映画化した『鍵』を発表した。
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