「鍵」
1959年6月23日公開。
谷崎潤一郎の同名小説の映画化。
第13回カンヌ国際映画祭審査員賞受賞。
キャッチコピー:「愛欲描写の凄まじさに、映画化不可能を叫ばしめた谷崎文学の完全映画化!」
原作:谷崎潤一郎「鍵」
脚本:長谷部慶治・和田夏十・市川崑
監督:市川崑
出演者:
京マチ子、叶順子、仲代達矢、中村鴈治郎、北林谷栄、菅井一郎、浜村純、山茶花究
あらすじ:
この頃、古美術鑑定家の剣持(中村鴈治郎)は京都T大の内科に通っている。
近頃急に体が衰えたため、注射をするのである。
妻には内証だ。
インターンの木村(仲代達矢)を娘・敏子(叶順子)の婿にと思っている。
剣持の妻・郁子(京マチ子)は、内科を訪ね、夫の通院を知った。
夫には黙っていた。
彼女は少しビッコの夫を嫌っていた。
でも、夜は……。
木村が訪ねてきて、皆でブランデーを飲んだ。
郁子は酔い、風呂場で眠ってしまう。
剣持は木村に手伝わせ、郁子の裸身を寝室へ運んだ。
翌朝、彼は木村に診療を乞い、自分は姿を消した。
嫉妬という奴は大変、気持が若くなる。
木村をネタに郁子をあおろうというのだ。
その夜も酒になり、剣持は盛んに妻に勧めた。
郁子は酔い、風呂場へ消えた。
--翌日木村は呼ばれ、フィルムの現像を頼まれる。
昨夜、木村の貸したポラロイドのである。
娘の敏子はその撮影の現場を見た。
剣持が眼鏡を妻の腹の上に落したのも。
郁子がかすかに“木村さん……”と叫んだのも。
--木村は敏子とすでに関係を持っていた。
--敏子は家を出て、間借りすることにした。
彼女の下宿で、郁子は酔ってまた風呂場で倒れた。
敏子が剣持に知らせにきたとき、一時間ほど木村と郁子は二人きりだった。
帰りの車の中で、二人はそっとバックミラーで見合うのだ。
その夜、剣持はめまいで倒れた。
血圧が高かった。
郁子がどこかへ出かけた。
敏子がやってき、父娘は久しぶりに夕食を共にした。
木村と郁子はたびたび会っている。
彼女の貞操が、不潔な方法で、ある満足を……と敏子は言いかけた。
剣持は怒り、彼女を追い帰した。
その後、彼は妻には黙って、木村と敏子を大切な用だと呼び寄せた。
いきなり、あんた方の結婚の日取りを決めようと言う。
敏子は父が降参したと解釈した。
さらに“母は父が具合が悪いのを前から知っていて、父を興奮させて殺すために貴方を利用していたのかも知れません”と木村にいった。
貞節な郁子は晴々としていた。
婚約が整った故だ。
剣持は映画に三人で行けと小遣いをくれた。
郁子が用をこさえた。
木村も用事があるといった。
敏子が一人、残された。
--夜。郁子が帰ってきた。
彼女は木村のところへいってきたといった。
すべて結着をつけてきた。
木村との間には何もなかったといった。
深夜、郁子の顔の上へ、剣持の頭がグラリと崩れ落ちた。
郁子はテキパキと処置した。
木村も来た。
郁子は彼に鍵を渡した。
裏口の鍵。
今夜、十一時にね。
女中部屋で、二人は抱き合う。
郁子は彼に敏子と結婚して、ここに一緒に住み、開業すればという。
木村はそれに従うつもりだ。
間もなく、剣持は、その眼を見開いたまま死んだ。
--葬式が終った。
立派な骨董品は古美術商が争って持って行った。
家も抵当に入っているらしい。木村はこの一家から足を抜きたいと思い始めていた。
敏子は台所の農薬を郁子の紅茶に入れた。
平然としている。
婆やのはな(北林谷栄)が色盲で、ミガキ粉の罐とまちがうといけないからと中身を入れかえていたのだ。
そのはなが三人用のサラダに農薬をふりかけた。
薬が効き始めた。
敏子が倒れた。
郁子が眼を閉じた。
木村は驚きの眼を見張った。
なぜ、自分が殺されねばならぬのかわからなかった。
--警察では、夫人は主人の後を追い、それを娘とその婚約者が同情したと解釈した。
コメント:
市川崑監督による、ビッコ・老化・殺人計画・写真・文芸エロス。
谷崎潤一郎の晩年期の作品を映画化した作品。
いつ死ぬかも分からない病人となった老人が最後まで性への執着を見せる異色作である。
これぞ、谷崎文学の耽美主義の究極と言い切ってよいだろう。
とにかく、主人公の老人が如何にして自分の性欲を高められるかを常時考えており、思いついたのが、妻を酔っぱらわせて、入浴させ、眠っている間に虫眼鏡で妻の体を徹底的に観察し、ポラロイドで撮影することだった。
さらに、妻を陰で慕っているインターン生を使って妻を欲情させることだ。
そして、ついに妻とインターン生が深い仲になる。
その結果、主人公の老人はあの世に行くことになった。
幸せな死に方だったのか?
とにかく、性愛の極致をさまよいたいだけになっている老人ほど耽美主義を表現するのにうってつけのキャラクターはいないだろう。
おそらく、この小説を綴りながら谷崎本人も桃源郷にいる心地だったに違いない。
映画では、登場人物四人の、異様な人間関係も見どころになっている。
京マチ子のメイクもチョット異様。
三人の女の殺人計画が面白い。
じわじわと完全犯罪を企てる郁子、毒を入れた紅茶が効かず不思議面の敏子。
ラストは、ばあやが自白するも、心中事件に収まってしまう可笑しさ。
この映画のカメラアングルが面白い。
冒頭は、路面電車の台車部から始まり、足元から撮ったり、高所(クレーン?)撮影だったり、そしてカットの終わりには、絵が止まる・・・。
エロティックシーンの核心映像は、汽車の連結器や、砂丘の意味あり気な映像に切り替わる。
昭和30年代の映像が懐かしかい。白黒テレビに真空管、三台の屋根付霊柩車(宮型)など。
その内容や傾向に程度の差こそあれ、人間ならば誰しもが自らの内面に隠し持つフェティッシュな変態性を登場人物に仮託し、隠微にあぶり出した市川崑のこなれた語り口が光る上質の変態映画になっている。
要所に散りばめられた性表現のシニカルな直喩や、登場人物の高度に洗練された変態ぶりにクスクス笑いが止まらない。
それにしても、エロ老人を演じる中村鴈治郎が実にイイ味を出している。
この映画は、以下のサイトにある通り動画配信可能: