イタリア映画 「愛の嵐」 ナチスの親衛隊員とユダヤ人女性との倒錯した愛を描く問題作! | 人生・嵐も晴れもあり!

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「愛の嵐」

(原題:Il Portiere di notte)

 

駿河屋 -<中古>愛の嵐('73伊)(映画)

 

 

「愛の嵐」予告編

 

「愛の嵐」 全編

 

1974年公開。

ウィーンを舞台にした旧ナチスとユダヤ人女性との生き様を描いた作品。

ナチズムに翻弄された男女の愛憎を通して、ナチズムとは何だったかを描く。

 

脚本:リリアーナ・カヴァーニ、イタロ・モスカーティ

監督:リリアーナ・カヴァーニ

 

キャスト:

マックス:ダーク・ボガード

ルチア:シャーロット・ランプリング
クラウス:フィリップ・ルロワ 

ハンス:ガブリエレ・フェルゼッティ

アザートン:マリノ・マッセ

スタイン伯爵夫人:イザ・ミランダ

ベルト:アメディ・アモディオ

 

愛の嵐』2|シャーロット・ランプリングとナチ親衛隊ルック | カイエ・デ・モード

 

あらすじ:

1957年、冬のウィーン。

マックス(ダーク・ボガード)は、オペル・ホテルという二流のホテルのフロント係として、人眼をはばかるように暮していた。ホテルは旅行客中心だが、永く住んでいる客も何人かいた。

没落貴族のスタイン伯爵夫人(イザ・ミランダ)、マックスの旧友のベルト(アメディ・アモディオ)だった。

マックスは二十年前、ゲットーの責任者として権力をふるうナチスの輝ける親衛隊員であり、ベルトは当時の同僚、スタイン夫人は愛人だった。

ある日、そんなマックスの生活を根底からゆさぶる人物が現われた。

今は若手指揮者アザートン(マリノ・マッセ)の夫人になっているルチア(シャーロット・ランプリング)だ。

二十年前、ユダヤ人の美女少だったルチアは、ゲットーに入るとすぐその美貌をマックスに眼をつけられ、彼の倒錯した性の愛玩物になった。

ルチアは、思いもかけない運命のいたずらに驚いて、夫のアザートンをうながして即座にウィーンを去ろうとする。

しかしアザートンはルチアを残して単身フランクフルトヘ飛び立ってしまった。

一人になったルチアに向かってマックスは「何でここに来たんだ」と殴りつける。

悲鳴をあげて逃げようとするルチア。

激しくもみあううちにいつの間にか二人は熱い息をはきながら動物のように抱き合っていた。

二十年の空白はあっという間に消え、二人はゲットー時代の倒錯した快楽の淵でのたうっていた。

それから数日後、オペル・ホテルの一室では、秘密めいた会議がマックスを交えて開かれていた。

クラウス(P・ルロワ)、ハンス(ガブリエレ・フェルゼッティ)、ベルトなどで、彼らはもと親衛隊員であり、自分たちの悪行を証言するいかなる人間をも消し去り、かろうじて戦後を生き抜いてきたのだ。

新たな証人としてルチアが浮かびあがり、彼女を消すための会議だったのだ。

そのためマックスはルチアを自分のアパートにかくまい、仕事もやめて倒錯した愛に溺れていた。

それは出口のない牢獄だった。

地上からつねに見張られ、食料を買いに行くことさえ出来なかった。

電気も消され、飢え、歪んだ愛と憎悪と哀れみをぶつけながらの悲惨な幾日かが過ぎた。

真夜中、マックスは二十年ぶりにナチスの制服をとり出して身につけた。

一方、ルチアも収容所時代に着用していた服と同じようなワンピースをつける。

二人が車に乗り込むと、尾行車も動きだす。

車がドナウの橋にさしかかると、二人は車を棄て、橋を歩き始めた。

そのとき、銃声が二発轟き、二人はくずれるように倒れた。

 

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コメント:


 

この映画は道徳的判断を表現する際、暗く不穏なテーマと、最後に試みられる曖昧な道徳的解明の両方で観客を二分する傾向がある。

にもかかわらず、これはリーリアナ・カヴァーニという監督が世界に知られることになった映画として記念すべきものだ。

 

カヴァーニは、1974 年の映画『愛の嵐 (Il portiere di notte)』を製作するまでイタリア以外ではあまり知られていなかったが、この映画は今でも多くの映画ファンの記憶に残っている作品である。

 

このプロットは1957年のウィーンを舞台に、ユダヤ人収容所の看守と収容所生存者が偶然の再会を果たした後、サドマゾヒスティックな関係に陥るというものである。

ダーク・ボガードとシャーロット・ランプリングが主演したこの映画は多くの物議を醸した。 

アメリカの評論家ロジャー・エバートはこれを「卑劣」と呼び、ニューヨークの主要批評家であるポーリン・ケール(ニューヨーカー紙)とヴィンセント・キャンビー(ニューヨーク・タイムズ)は「くだらない」と一蹴した。

ドイツのフィルムディエンスト紙はこの映画を「政治ポルノ」と分類した。

後年、この作品は戦争によって生じた不安を引き起こす性的・心理的曖昧さを探る画期的な試みとみなされている。

 

この作品は、一般大衆と批評家の間で好意的でも否定的でも、強い反応を引き起こした。

性的犯罪という不穏なテーマを扱った勇気が称賛されると同時に、ホロコーストの物語というスキャンダラスな文脈の中で、性的犯罪を提示した驚くべき物議を醸すプロットが批判されたのである。

 

映画評論家のロジャー・エバートは、「この映画は、猥褻であると同時に、迫害と苦しみの記憶を利用して私たちを興奮させようとするひどい試みである」と批評している。

 

 

作品を見てみると、まず、扇情的なポスターに惹かれる。

シャーロット・ランプリングのセミヌードとナチス親衛隊の軍帽という組み合わせが圧巻。

 

シャーロット・ランプリングの原点 ≪ 愛の嵐 ≫ 1974年度 <伊>製作 | 吐夢の懐かしの名画座

 

女流監督・リリアーナ・カヴァーニが、倒錯した愛とエロスを描いた衝撃の問題作であり、イタリア映画史上においても間違いなく画期的だといえる。

ルキノ・ヴィスコンティが絶賛したとも言われる。

 

原題の「Il Portiere di notte」とは、「夜のポーター」という意味。

ホテルのポーターをしている主人公のことだが、「夜の」が男の裏の世界を暗示している。

 

基本は、ナチス親衛隊の将校とユダヤ女性のラブストーリーで、ホロコーストの加害者と被害者の愛の物語でもある。

愛の嵐(1974) - 星屑シネマ

舞台は1957年のウィーン。

ホテルのナイトマネージャーを勤めるマクシミリアン=マックス(ダーク・ボガード)の前に、アメリカ人の指揮者夫妻が現れまる。

カウンターを挟んで、マックスと夫人のルチア(シャーロット・ランプリング)は、幽霊にでも出会ったかの様に見つめ合い、眼をそらす。

 

その後、フラッシュバックによってふたりの過去が明かされる。

マックスはナチス親衛隊将校、ルチアはユダヤ人収容所の収容者。

マックスは親衛隊将校の地位を利用してルチアを愛人にした過去があり、ふたりは12年を経て再会した。

再会の後ろにはナチスのユダヤ人迫害という暗い過去が横たわっている、

これが主旋律。
 

ナチスによる第三帝国が崩壊し、マックスは過去を隠してウィーンで一市民として暮らしている。

彼が恐れるのは悪行を知るユダヤ人で、もしも親衛隊だったことがバレれば告発され刑務所行きだ(日本兵もB/C級戦犯として5700名が捕まり1000名が処刑された)。

オーストリアはナチスの侵攻を歓迎し、国民の10%がナチス党員となった国。

一人が捕まれば芋ずる式に摘発されるため、元対独協力者は互いに監視し、ホロコーストの証人の抹殺や党員の逃亡を支援する組織=「査問会」を作っている(映画にもなった「オデッサ」が有名)。

マックスの過去を知るルチアの登場で、この査問会が動き出す。

これが副旋律。

査問会のリーダーは、今でも党員であったことを誇りに思うゴリゴリのナチズム信奉者だ。

査問会はふたりの関係を調査し、マックスは査問会からルチアを護るたルチアを知る人物を殺害する。

こうしたサスペンスの間に、ユダヤ人収容所でのマックスとルチアの”愛”がフラッシュバックされる。

親衛隊の秘密パーティーで、ルチアが軍帽にサスペンダーのセミヌードで歌い踊る有名なシーンだ。

親衛隊は、ユダヤ人女性とこうした怪しげなパーティーを楽しんでいたようだ。


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マックスは、これもナチズムの信奉者である伯爵夫人にルチアと再会したこと、今でもルチアを愛していることを告白する。

「ずいぶんロマンチックな話ネ」と言う夫人に、「そんな話ではないんだ聖書の話なんだ」とマックスはパーティーの思い出を語る。

そのパーティーで、マックスはルチアが嫌っていた男の生首を彼女に捧げるのだ。

これはオスカー・ワイルドの「サロメ」である。

戯曲では、サロメは「7つのヴェールの踊り」(ストリップティーズ)を踊り、愛を求めるヘデロ王に首を要求する。

ルチアは首を要求したわけではないから、マックスは彼女の歓心を買うため首を捧げたわけで、親衛隊将校とユダヤ女性という支配する者と支配される者の関係がここで入れ替わり、ナチスの物語がラブストーリーに転換したことになる。

支配する者と支配される者の転換は、マックスに起こったばかりではなくルチアにも起こっていたようだ。

再会したルチアは、ふたりが出会った頃のドレスを買いマックスのアパートを訪れ12年前の関係が復活するのだ。

ルチアもまたマックスを愛していたのだ。

マックスはルチアを護るためにホテルを辞めアパートに閉じこもる。

査問会はアパートを監視しマックスの殺害を試み、食料品の配達やアパートの電気まで止めて誘い出そうとする。

飢えに苛まれながらの愛欲生活も長くは続かず、マックスは親衛隊将校の制服に身を包み、ルチアは収容所でマックスに着せられたドレスを着てふたりは外出する。

ドナウ川にかかる橋の上で、ふたりは査問会の銃撃に倒れて、おしまい。

 

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日本語タイトルの『愛の嵐』とは何か?

解釈はいろいろありそうだが、ラストでふたりが12年前の服をまとったことがカギ。

マックスは、外に出れば殺されることが分かっていたはずで、殺されるのであれば12年前に出会った頃の姿で最期を迎えたい、それが愛を証明することだと考えたのかも知れない。

親衛隊とユダヤ女性、支配する、支配される関係にも愛はあるのだと。

なかなか良いネーミングだ。

 

ルチアを熱演したシャーロット・ランプリングの存在感がハンパない。

全裸でナチスの検査を受けるシーンや、ダーク・ボガード演じる元ナチスのマックスとの愛欲シーンなど、見せ場は多い。

この人は、眼が魅力で、個性的だ。

 

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この映画は、YouTubeで全編無料視聴可能。