「家族の肖像」
(英語: Conversation Piece)
1974年12月10日公開。
イタリアの孤独な老教授と若者たちとの交流を描く異色作。
受賞歴:
- キネマ旬報賞 外国映画監督賞
- 第21回ブルーリボン賞外国作品賞
- 第2回日本アカデミー賞最優秀外国作品賞
脚本:ルキノ・ヴィスコンティ、スーゾ・チェッキ・ダミーコ、エンリコ・メディオーリ
監督:ルキノ・ヴィスコンティ
キャスト:
- 教授 - バート・ランカスター
- コンラッド - ヘルムート・バーガー
- ビアンカ - シルヴァーナ・マンガーノ
- リエッタ - クラウディア・マルサーニ
- ステファノ - ステファノ・パトリッツィ
- エルミニア - エルヴィラ・コルテーゼ
- ミケーリ弁護士 - ロモロ・ヴァリ
- 教授の妻 - クラウディア・カルディナーレ
- 教授の母親 - ドミニク・サンダ
あらすじ:
ローマ市の郊外の豪邸に住む教授(B・ランカスター)は〈家族の肖像〉と呼ばれる18世紀の英国の画家たちが描いた家族の団欒図のコレクションに囲まれて孤独な生活を送っていた。
その教授の趣味を巧妙に突いたビアンカ(S・マンガーノ)は、画商を通して教授に近づき、娘のリエッタ(C・マルサーニ)とその婚約者ステファノ(S・パトリッツィ)、美青年コンラッド(H・バーガー)らをひきつれて教授の二階に住みついてしまう。
粗暴で意固地なコンラッドは二階を自分の名義で買ったと信じ改造工事をさせ、一階の住居を水びたしにしてしまう。
しかし教授が冷静になって話しこむとコンラッドは美術の造詣も深く、ビアンカとの不倫な関係から発する毒のような魅力とは別な純粋さで教授の心をとらえるのだった。
翌朝、パリから帰ってきたビアンカとの間に衝突が起こるが、和解のしるしにと教授が招待したその夜の晩餐には4人とも遂にあらわれなかった。
一ヵ月後、ヨット旅行から帰って、ふたたび教授の家の二階の住人となったコンラッドは、深夜、右翼青年に急襲をうけるが、教授に書斎の奥の隠し部屋に連れていかれ介抱してもらう。
不安を訴え、助言を求めるコンラッドを教授は父親のようにはげますだけだった。
その晩、幼い頃の母(D・サンダ)や別れた妻(C・カルディナーレ)の追憶から教授を呼び起すように、若者3人が教授の書斎でカンツォーネに合わせて全裸で踊っている。
リエッタは教授に詩人オーデンの言葉“美しきものは追い求めよ、少女であれ少年であれ抱擁せよ……性の生命は墓に求めえぬゆえ”と語りかける。
そのころ、ミュンヘンに出発したコンラッドは国境で不審訊問にあい、身元引受人として教授の名をあげる。
釈放されたコンラッドの帰還を迎えての晩餐はあたかも一幅の〈家族の肖像〉と化したかのようなはじめての、そして最後の晩餐だった。政界の事情に詳しいステファノとコンラッドは互いに罵倒しあい、なぐり合う。
教授がかかげる古風な文明論とは余りにも違う次元のその背景に、わけいる教授の力も弱い。
教授を父と呼び、永遠の別れを告げる手紙を残して、コンラッドは爆死し教授は病に伏せてしまう。
床で本を読んでいた教授の耳に何者かの足音が聞こえ、それからしばらくして教授は息をひきとるのだった。
コメント:
イタリア・フランス合作映画。
英語のタイトル「Conversation Piece」は、18世紀イギリスで流行した「家族の団欒を描いた絵画」のこと。
ローマの高級住宅街。
「家族の肖像」の絵画に囲まれて暮らす老教授(B・ランカスター)の静かで孤独な暮らしは、ある日突然の闖入者によって掻き乱される。
ローマの豪邸で静穏そのものの生活を送る孤独な教授が、ある家族の一群に侵入され、そのことによっておきる波紋をヨーロッパ文明と現代貴族のデカダンス(退廃)を根底に描いた作品である。
教授の住む建物から出ることなく、美しい調度や絵画が映像に登場してくる。
ビアンカ(シルヴァーナ・マンガーノ)は、右翼の実業家を夫に持つ貴族の女性。
一方、愛人の美青年のコンラッド(ヘルムート・バーガー)は左翼の活動家から、身を落としてしまった人物。
そのような退廃的で、過激なビアンカを取り巻く人物は、平穏に生活している教授とは全く異質の存在で、度を超えた傍若無人さが、普通の人である教授の生活を混乱に陥れていく。
乱入者に歩み寄っていく教授は、過去を回想しながら、ビアンカたちとの間に、より家族的な微妙な親近感が湧いていく。
喧嘩が始まった時、リエッタは教授が思っている以上に、父としての役割を期待していたように感じた。
教授の中では迷いがあったのだろう。
収拾できず、静かな結末を迎えてしまう。
室内で演じられる静かな劇だが、家族の出来事を象徴的に描いた作品。
主役がバート・ランカスターで言語は英語。
自宅にいるときもスーツを着込んでネクタイまで締めている教授。
彼の邸宅に、美しい人たちが押しかけてくる。
図々しく住み着く夫人の娘を演じたクラウディア・マルサーニの若々しさはまぶしい。
ヘルムート・バーガーの美しさとナルシストぶりは、ビジュアル系バンドのボーカリストのようだ。
教授の母(ドミニク・サンダ)や妻(クラウディア・カルディナーレ)の回想の場面は、”巨匠の晩年の作品”だなぁと感じさせる。
若い人たちはオープンな気持ちで彼を仲間のように扱いたがるが、老人の目に彼らは宇宙人のように理解しがたい。
しかし、あまりに長く孤独に耐えてきた教授は、振り回してほしかったのでは。
野生動物を飼うことに慣れていくように。
だが結局なにも成就せず、彼はすべてを悲劇的に失って前よりも孤独に沈むという、自己憐憫の物語でもある。
この貴族という人たちの甘美な世界というのは独特の世界なのだ。
こんな映画を作れる貴族のリアリティを持った映画監督は、ヴィスコンティ監督が最後の人だったのかも知れない。
撮影は全て教授のアパルトマン(アパート)のセットの中で行われ、これは教授の閉ざされた内的世界の表現であると共に、血栓症で倒れたヴィスコンティ監督の移動能力の限界でもあったといわれる。
日本ではヴィスコンティの死後、1978年に公開されて大ヒットを記録したこの作品の後に、ヴィスコンティ・ブームが起こった。
ヴィスコンティ監督は、1906年11月2日、イタリア王国ミラノで生まれた。
実家はイタリアの貴族ヴィスコンティ家の傍流で、父は北イタリア有数の貴族モドローネ公爵であり、ヴィスコンティは14世紀に建てられた城で、幼少期から芸術に親しんで育った、本物の貴族の人。
1936年に、ココ・シャネルの紹介で、フランスを代表する名監督・ジャン・ルノワールと出会い、アシスタントとしてルノワールの映画製作に携わった。
その後自身も監督をつとめ、多くの名作を世に送り出した。
代表作は、本作のほか、『若者のすべて』(1960年)、『山猫』(1963年)、『ベニスに死す』(1971年)、『ルートヴィヒ』(1972年)。
1974年に制作・公開された本作が、なぜ日本ではヴィスコンティの死後、1978年に公開されたのかは分からない。
おそらく、一番受けた理由は、この映画に映るイタリアの文化だろう。
ヨーロッパでもっとも古くから興隆したローマの文化を凝縮したような建物、調度品、絵画、女性のファッションなどイタリアの美の結晶が、イタリアの上流階級ではこのように日常の暮らしの中で使われているということが、すごい迫力で伝わってくる映画。
その究極的な作品がこの映画だったのではないだろうか。
米国の大手映画批評サイトRotten Tomatoesでの評価は、80点。
つまり米国でも高く評価されているということだ。
貴族文化がない米国人にとっても、古き良きイタリアの文化への憧れと尊敬の心があるのだろう。
本作の主役をつとめたバート・ランカスター。
米国の俳優だが、イタリア系だったという噂もある。
ヴィスコンティから懇願されて、本作の主人公である老教授を演じている。
この役者は、身長188cmという長身で、高校時代はバスケットボール選手として活躍し、のちにサーカスの空中ぶらんこプレイヤーとして名を馳せたという異色の経歴の持ち主だ。
米国を代表するタフガイというイメージで、多くの映画に出演したハリウッドを代表するハンサムな男優として知られる。
代表作は、『地上より永遠に』(1953年)、『OK牧場の決斗』(1957年)、『成功の甘き香り』(1957年)、『エルマー・ガントリー/魅せられた男』(1960年)、『終身犯』(1962年)、『山猫』(1963年)、『家族の肖像』(1974年)、『アトランティック・シティ』(1980年)。
女優陣の中では、ビアンカを演じているシルヴァーナ・マンガーノの色香がハンパない。
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