谷崎潤一郎の映画 「お艶殺し(1951)」 山田五十鈴主演! 幻と化している作品! | 人生・嵐も晴れもあり!

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「お艶殺し(1951)」

 

お艶殺し |一般社団法人日本映画製作者連盟

 

「お艶殺し(1951)」 朗読(小説全文)

 

1951年2月17日公開。

名匠・マキノ雅弘監督作品。 

 

原作:谷崎潤一郎「お艶殺し」

脚本:依田義賢

監督:マキノ雅弘 

 

キャスト:

市川右太衛門:新助

山田五十鈴:お艶

小沢栄:清次

加東大介: 三太

柳永二郎:芹沢

進藤英太郎:徳兵衛

澤村國太郎 :金蔵

 

あらすじ:

江戸橘町の質店・駿河屋の一人娘・お艶(山田五十鈴)は、役者まがいの優男の番頭・新助(市川右太衛門)に想いを寄せていた。

家内総出の汐干狩りの日、お艶は仮病を使って新助と二人で船宿に残り、想いのたけをかき口説いた。

これを立ち聞いた宿の亭主・清次(小沢栄)は、お艶に横恋慕していたので、二人をそそのかして馳け落ちをさせ、自分の家にかくまった。

新助はお艶にひかれて心ならずも主人にそむき、当座お艶との情痴生活にあけくれた。

だが、最初清次が請け合ったように、一日も早く主人の許しが得られるのを待っていた。

ある日清次から、急に主人夫婦との間に話がついたという使いにさそわれて出かけたが、その途中清次の子分・三太(加東大介)に斬りつけられ、夢中になって三太を殺してしまった。

お艶はその留守に行方知れずとなり、新助は貸元・金蔵(澤村國太郎)をたよってかくまわれた。

お艶に一目会ってから自首するつもりの新助も、深川から芸者に出ているお艶に再会すると気が弱くなり、またしてもその愛欲のとりことなり、彼女をあやつっている悪貸元・徳兵衛(進藤英太郎)の企みに乗って、お艶を種の強請に加担し、向島の旗本・芹沢(柳永二郎)の家へ乗り込んで行った。

ところが、そこでかえって芹沢に追われて、逃げ帰る途中、傷ついた徳兵衛を刺し殺し、更に、お艶を口説いている清次も殺してしまうという悪事を重ねた。

そして最後のたのみのお艶が、実は徳兵衛とも清次ともすでに情を通じていたとあいそづかしを言って、芹沢へ寝がえりを打ったとき、かっとなった新助は、その可愛いお艶までも殺してしまったのだった。

 

コメント:

 

これぞ、谷崎文学における時代劇分野の耽美小説の頂点と言える名作である。

 

お艶殺し / 谷崎潤一郎 [18338] | 書肆田高

 

純情でまじめに働いていた質店・駿河屋の番頭・新助が、その店の娘・お艶から激しく誘惑され、言い寄られ、駆け落ちをしてしまった。

それが運の尽きで、どうやっても元の生活には戻れず、お艶との愛欲生活の末に、どんどん事態は悪化して行き、ついにたくさんの男たちを殺してしまう。

挙句の果てに、新助としか情を通じていないと言い切っていた肝心のお艶が、実は他の何人もの男と寝ていたことがわかり、さらに、お艶から「もうお前とは一緒になるつもりはない」と、三行半を突き付けられた主人公・新助は、ついに堪忍袋の緒が切れて

お艶を殺してしまったのである。

 

最初から最後まで性悪の美女の為されるがままに生きてきた真面目一徹な男が、最後の最後に、真実の全てを知って、愛してくれていると信じていた相手の女の心変わりで目が覚めて、彼女の命を自分の手で絶つという最悪のエンディングになる。

 

これでもう、これ以上この悪女に振り回されることもなくなったわけだが、これで主人公が行く先は死刑のみだ。

 

 

谷崎文学は、耽美主義を表現していると言われる。

その最高峰とされる「細雪」では、大阪船場に古いのれんを誇る蒔岡家の四人姉妹たちの美しさとそのほころびを描いている。

 

名作小説「お艶殺し」では、愛欲の極致の果てにある地獄を描くことで、愛欲の世界の美しさを強調している異色の耽美小説なのだ。

 

「痴人の愛」も、実は耽美主義の名作であると評価されている。

何度も映画化されているこの小説だが、最初の作品では、京マチ子と宇野重吉が展開する変てこな男女の関係が笑える。

 

美女にいじめられて喜ぶ、うだつの上がらない男の姿からは「耽美主義」という言葉は浮かんでこないのだが、実は以下のような解釈ができるようだ。

 

主人公は、電気会社の技師であり、生真面目が取り柄の28歳の男・譲治。

譲治は、浅草のカフェで働く15歳の美少女・ナオミに惹かれ、求愛し、「僕の理想にかなった女」に育てあげていく。

「ナオミを十分に教育し、偉い女、立派な女に仕立てる」ことを目標としていた譲治。

だが、ナオミが自分の期待したほど賢い女ではなかったことに失望する。

しかしその一方で、ナオミの肉体は、譲治の理想以上に成熟していき、その美しさに譲治は支配されていくのだ。

 

この作品は「少女愛者」と「心理的マゾヒズム」を軸に描かれた作品なのだという。

 

ナオミの肉体の魅力に取り憑かれ、「ナオミの成長」と題する一冊の日記帳を綴る譲治。

どんな非道い仕打ちをされても恋焦がれるその執念……。

客観的に見ると、譲治はぞっとする男なのだが、読んでいるとどんどん譲治を応援したくなる。

 

ナオミの肉体の魅力に取り憑かれた姿こそ、耽美主義なのだということらしい。

 

谷崎潤一郎という作家は、女性の美と男女間の愛欲の世界を徹底的に描きつくす作業を通して、「耽美」つまり「美に浸りふけること」に熱中していたのであろう。

 

こういう傾向の作品は、今後もどんどん登場するので、どこの部分が耽美主義なのかを、出来る限り分析して行きたい。

 

この映画は、残念ながら動画は発見できない。

まぼろしと化している。

ソフト化もされておらず、画像も上記の看板が残っているのみ。

あらすじとスタッフ、キャストのみがネット上に掲載されている。

 

YouTubeにはこの作品の原作の朗読がいくつもアップされている。

お聞きください。