「フェリーニのアマルコルド」
(原題:Amarcord)
1973年12月13日公開。
フェリーニの青春の想い出を映画化した感動作。
第47回アカデミー賞外国語映画賞受賞。
脚本:フェデリコ・フェリーニ、トニーノ・グエッラ
監督:フェデリコ・フェリーニ
キャスト:
ブルーノ・ザニン:チッタ
マガリ・ノエル:グラデスカ
プペラ・マッジオ:チッタの母
アルマンド・ブランチャ:チッタの父
G・ラニグロ:チッタのおじいちゃん
M・A・ベリッツィ:タバコ屋のおばさん
あらすじ:
“春一番”の吹いた日の夜、ここ北部イタリアの小さな港町では町中の人々が広場に集い、うず高く積み上げられたガラクタの上に冬の女神の人形をかかげて火をつけ、訪れる春を祝って歌い踊り、騒ぎ明かしていた。
十五歳を迎える少年チッタ(B・ザニン)も彼の父(A・ブランチャ)も母(P・マッジョ)、おじいちゃん(G・ラニグロ)や弟たちと共に祭りに加わった。
若者たちは媚をふりまく娘たちをひやかし、大人たちは酒をくみかわす。
チッタの憧れの年上の娘グラデスカ(M・ノエル)もいる。
何て素晴らしい夜なんだろう。
そんな楽しい春を迎える祭りが終わるとやがて夏がやって来る。
町中の人たちが数十隻の小船にのり込み、小型船団を組むと海へと乗り出す。
沖合を通るイタリアの豪華定期船レックス号の晴れの姿を一目見ようと、町長以下の総出で祝福の船団を組んだのだ。
霧深い沖合いを煌々たる明りに彩られてやってきた巨大な船を見ると人々は歓声を上げた。
レックス号の勇姿はイタリアの誇りであると同時に、この小さな港町の人々にとっても誇りなのである。
また当時、イタリア全土にはムッソリーニのファシズム旋風が吹き荒れていたが、この町でも例外ではなかった。
少しでも反抗的な言動でもとろうものなら、たちまちファシスト本部に連行され、拷問をうける。
そんな世相とは関係なく、季節は変わり、秋になる。
チッタの一家は、精神病院に入れられていたおじいちゃんを迎えに行くことになった。
医者は大分よくなったというのだが、前を開けずに放尿したり、大きな木に登って“女が欲しい”と叫んだりして再び病院に連れ戻された。
チッタはそれでも仕方ないと思う。
病院を出たところで精神障害者のおじいちゃんの望みは叶うはずもないからだ。
同時にチッタは何かわりきれないものを感じていた。
人間の根本的な欲望は誰だって変わりはしないはずなのだ。
一方、チッタのグラデスカに対する想いは日に日につのるばかりだ。
映画館で思い切ってアプローチしてみたが、まだ子供と思われてか全然相手にされない。
それどころか、白鯨のような巨大な体躯のタバコ屋のおばさん(M・A・ベリッツィ)に弄れてしまう。
そして冬が来た。
降り続いていた記録的な大雪がカラリと晴れあがった日、どこから逃げだして来たのか一匹の孔雀が雪の上に舞い降りると、まばゆいばかり見事なその羽根を開げてみせた。
だがイタリアでは孔雀は不幸の前兆であると信じられていた。
その冬、チッタの母は病気をこじらせてこの世を去った--。
そしてチッタの悲しみもようやく癒えた頃、“春一番”の吹く野原では、町中の人々に祝福されてグラデスカの結婚式が行われた。彼は自分にとって最も大切な二人の女性を失った、
生涯忘れ得ぬ一年だった。
……誰もが一度は通らなくてはならないさまざまな人生の別れを体験しながら、少年チッタはやがて来る激動の青春期への旅立ちを、漠然とした意識の底にではあるが確実な手応えとして感じていた。
コメント:
一九三〇年代を舞台にフェデリコ・フェリーニ自身にとって生涯忘れ得ぬ一年間の物語。
「アマルコルド」とは、フェリーニの故郷である北部イタリアのリミニ地方の今はもう死語になっている言葉で“エム・エルコルド”(私は覚えている)という言葉がなまったものだという。
フェリーニの青春時代の思い出がベースになっている作品。
舞台となったリミニ近郊はアドリア海側に面した風光明媚の都市のようで、その近郊で過ごす少年時代の1年を綴った、自伝的映画ということだ。
街の様子や少年から見た大人や、異性への憧れが、開放的に描かれていて、土俗的ともいえる街の姿が作者の人格を形成したとでもいったような、深い愛着と郷愁をもって描かれている。
巡ってくる1年というレンジで、歳時記風でもあり、春はポプラの種が飛び、冬はもちろん降雪の様子で表現されている。
イタリアの家庭は賑やかで直情的。
その父親のアルマンド・ブランチャと母親のプペラ・マッジョが素晴らしい演技を見せている。
いろいろなものが詰まった万華鏡のような美しい作品。
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