「痴人の愛」
1949年10月16日公開。
谷崎潤一郎の代表作「痴人の愛」の映画化第1作。
原作:谷崎潤一郎「痴人の愛」
脚本:八田尚之・木村恵吾
監督:木村恵吾
キャスト
- 河合譲治 - 宇野重吉
- ナオミ - 京マチ子
- 熊谷 - 森雅之
- 浜田 - 島崎溌
- 関 - 三井弘次
- 中村 - 上田寛
- 初子 - 奈良岡朋子
あらすじ:
河合譲治は、独身の電気技師である。
質素で凡庸で、何の不平も不満もなく日々の仕事を勤めていて、真面目すぎるが故に会社では「君子」といわれていたほどの模範的なサラリーマンであった。
それに宇都宮生まれの田舎者で、人付き合いも悪く、その歳になるまで異性と交際した経験は一度もなかった。
一応の財産もあり、醜い顔立ちでもなかった譲治がこの歳まで結婚しなかったのは、彼に結婚に対する夢があったからだ。
それはまだ世の中を何も知らない年頃の娘を手元に引き取って、妻としてはずかしくないほどの教育と作法を身につけさせてやり、いい時期におたがいが好きあっていたら夫婦になる、という形式のものであった。
不思議な運命の巡り会わせで、彼は浅草のカフェーでナオミという美少女に出会う。
ナオミは混血児のような美しい容貌であったが、その頃は無口で沈んだところのある、あまり血色もよくない娘であった。
ナオミを気に入った譲治は彼女を引き取り、大森に洋館を借りて2人暮らしを始める。
会社では「君子」といわれ、女などいると思われない譲治だが「パパ、スクーター買ってよ」とナオミにせびられ「無理いうんじゃないよ、ナオミちゃん」といいながら結局買ってしまう譲治。
洗濯も料理もする譲治、どうしたわけなのだろう。
譲治は、会社の用事で神戸へ出張したとき、ふと知り合ったカフェーの女給ナオミに、その伸びた肢体から、有頂天になって、無理やりに彼女を東京へ連れ帰り、肉体も精神も理想の女にしたいと思って、英語もピアノも勉強させ、ナオミのわがままを通しているのだった。
だが、ナオミはそれをいいことにして、ピアノの練習所では熊谷、関、浜田など不良坊ちゃんと友達になってキャバレーやホールを遊びあるき、夜の英語の勉強には少しも身を入れないで譲治を手こずらせ、とおとお譲治を怒らしてしまう。
だがナオミがふてくされて夜遊びに出てしまうと、やはり譲治はいたたまれぬほどナオミが恋しい。
ナオミの誕生日の夜、ナオミは不良友達を招待して、夜更けまで歌い踊り、みんな泊りこんでしまう。
譲治は若い男たちとふざけまわるナオミをみて、やり切れない気持である。
ピアノの友だちという、ナオミをとりまく男たちに嫉妬した譲治はナオミに、関たちと絶対つきあってはいけないという。
ある日、ナオミの提案で鎌倉へいくことになった譲治は植木やの一間を借り、数日をそこで過ごすことにする。
ナオミは毎日海で遊び、譲治はそこから会社へ通う。
しかしナオミはそこでも関や熊谷や浜田たちと恋愛あそび。
とうとうきわどい遊びの現場を譲治に見つけられる。
譲治は本当に怒ってナオミに「出ていけ!」とつき出してしまう。
夏は終った。
譲治をはなれたナオミは、お金もなく、もう関や浜口たちもちやほやしなかった。
彼らにとっては女王のようにふるまい、札びらを切っていたナオミこそ遊びの対象だったのだが、宿なしになったナオミに真剣な愛情をもつ人はだれもいなかった。
かえって熊谷たちから「いくら遊んでもどこかで真実をつかんでまともな生活に帰らなけりゃいけないよ」などといわれ、ナオミはうらぶれた気持になり、やはり譲治のところへ帰ったのであった。
今は冷くナオミを見る譲治。
だが今、本当に涙を流し「なんでもする、馬にでもなるから許して」と、四つんばいになるナオミをみて、譲治は再びナオミを許すのだった。
コメント:
運命の女・ナオミを、京マチ子が初めて演じ、文豪・谷崎潤一郎の原作を映画化した文芸映画の傑作!
主人公・ナオミを演じるのは京マチ子。
その肉体を惜しみなくさらけ出し、体当たりで演じている。
「痴人の愛」とは、次のような小説である:
カフェーの女給から見出した15歳のナオミを育て、いずれは自分の妻にしようと思った真面目な男が、次第に少女にとりつかれ破滅するまでを描く物語。
小悪魔的な女の奔放な行動を描いた代表作で、「ナオミズム」という言葉を生み出した。
ナオミのモデルは、当時谷崎の妻であった千代の妹・小林せい子であるとされている。
谷崎は連載再開の断り書きで、この小説を「私小説」と呼んでいる。
朝日新聞に連載中、そのエロティシズムゆえに連載中止になったという問題作だった。
この「痴人の愛」は何度も映画化されているが、これが最初である。
(1934年に米国でドラマ化された「痴人の愛」は、同じタイトルだが内容は全く別物。)
やはり、最初のこの作品こそ、谷崎文学の「ヴァンプ嗜好」の典型的な作品であり、京マチ子を日本初の「肉体派和製ヴァンプ」に押し上げた記念すべき映像となった。
京マチ子は、日本初の「肉体派ヴァンプ」といわれている。
「ヴァンプ」とは、男を惑わす女、または、妖婦という意味の英語「vamp」だ。
京マチ子は、谷崎潤一郎原作の「痴人の愛」、「鍵」、「細雪」(1959年)などに出演したが、その中で最も典型的な「ヴァンプ」役は、「痴人の愛」のナオミである。
日本が終戦後に求めた「肉体の開放」を先取りした女優こそ、京マチ子だったのだ。
理想の女性を夢見て精魂を灼きつくす男、肉体の魅力を最大限に発揮してあらゆる男を悩殺する女である。
戦後間もない1949年、谷崎潤一郎の退廃的で旧来の道徳観を無視した女の生き方と、京マチ子のバタ臭い肢体はかなりのインパクトを観る者に与えた。
一方の譲治を演じた宇野重吉は、本作以外でも女性との色めいたシーンには全く縁のない役に徹しており、若い女の色香に惑わされる役がこれほど似合わない役者もいないのではなかろうか。
いや、だからこそ、この「セクシー・ヴァンプ」にとことん惑わされて、振り回される「一見真面目で実はチョー女好きな男」の役にぴったりだといえよう。
表題の「痴人」は一般的にはナオミを指すところではあるが、譲治もまたある意味「痴人」ではなかろうか。
いや、むしろ譲治こそが「痴人」なのだ。
稽古事に不熱心で自堕落な生活のナオミを糾そうとする河合に対し、彼女は拗ねて甘えてしどけない姿態を見せる。
そうなると悲しいかな譲治には抗する術がない。欲望が理性を捩じ伏せ、ナオミに詫びすがりつく始末。
譲治にはハナからこうなることが判っていたフシがある。
男には多かれ少なかれ「魅力的な女に振り回されたい」という被虐願望がある。ナオミ
この願望が過剰なのが原作者の谷崎潤一郎であり、譲治なのだ。
これぞ、谷崎文学の世界だ。
この映画のヒロイン・ナオミのモデルとされているのは、谷崎潤一郎の妻の妹だった小林せいという女性。
この人の奔放な生き方についてYouTubeで解説している映像がある:
この映画は、K-PLUSでレンタル中: