「最後の晩餐」
(原題:La Grande bouffe)
1973年9月24日公開。
イタリア・フランスの合作映画。
食欲と性欲の二大本能に殉じようとする、生きることに絶望した4人の中年男の奇妙な行動を描く。
脚本:マルコ・フェレーリ、ラファエル・アスコナ
監督:マルコ・フェレーリ
キャスト:
- マルチェロ・マストロヤンニ:マルチェロ
- ウーゴ・トニャッツィ」ウーゴ
- ミシェル・ピッコリ:ミシェル
- フィリップ・ノワレ」:フィリップ
- アンドレア・フェレオル:アンドレア
あらすじ:
パリの由緒ある大邸宅に、四人の中年男が集まった。
彼らは食道楽の趣味で結ばれた仲間で、世界中の美味珍味の類に精通していた。
料理家のウーゴ(U・トニャッツィ)、俳優のミシェル(M・ピッコリ)、裁判官のフィリップ(P・ノワレ)、国際線の機長マルチェロ(M・マストロヤンニ)--この日から四人は共通の目的を遂行するために邸内に篭もることを誓い合ったのだ。
地下室の酒倉に積まれた年代物の酒、庭にはトラックで運ばれた猪、小鹿、野生のホロホロ鳥、ヒナ鳥、鶏、牛の頭、羊などの大量の肉類があり、ウーゴを料理長にしてこの夜から豪華絢爛たる晩餐会が繰りひろげられる。
そして2日目。
突然マルチェロが女が欲しいと騒ぎだした。
彼はセックス・マニアで一日として女なしではいられない男なのだ。
しかし三人の男たちも、とどのつまりは女が必要で、三人の娼婦が呼ばれることになった。
都合のよいことに、邸内にある詩人・哲学者として有名なボワローの菩提樹を見にきたという女教師アンドレア(A・フェレオル)も参加することになった。
豪勢なメニューは七面鳥の炭焼きをメインにして数種類。饗宴は果てることなく続き、乱れに乱れてきた。
食い荒された料理の数数、裸体をさらす女たち。精液が噴きこぼれるようなセックス。
まさに、酒地肉林の地獄絵図であった。
3日目。
娼婦たちはこの宴に次第に戦慄を感じ始めていた。
彼女たちは異常セックスを強いられ、なおも食べ続けなくてはならない状態に死の予感を抱いた。
女はいった。“空腹でないのに何故食べ続けるの。あんたたちは皆気狂いよ!”。
彼女たちはヘドを吐きながら邸を立ち去っていった。
--ベランダで突然、ミシェルがうめき声をあげた。
消化不良を起こしたのだ。
ミシェルの腹の上にマルチェロが乗ると、異様な音と共に黄褐色の糞が飛び散った。
こうして四人にたそがれがやってきた。
男たちはベッドに身体を横たえながらも食べ続けている。
もう食卓につく元気もなかったが、不思議なことにマルチェロの異常性欲はますますエスカレートし、遂に四人の男とベッドの共同生活者になり果てたアンドレアを犯し続けた。
外に出ていこうとするマルチェロを引き止めようとする男たち。
その瞬間、轟音とともに突如として便所が溢れ、糞尿が洪水のように部屋に流れ込んだ。
たちまち部屋は汚物の中に埋まった。
4日目。
昨夜から雪がブガティの上に積もっている。
その中に、マルチェロがまるで飛行機を操縦するかのような姿勢で死んでいた。
(マルチェロの死んでいるシーン)
残った三人の男とアンドレアはマルチェロの死体を地下の冷蔵庫に運んだ。
そして、この日ウーゴは料理に玉子の輪切りを添えた。
ユダヤ人によれば、それは死の前兆を現わすたとえであった……。
マルチェロの死体を飾って晩餐会は続けられる。
二番目の死者は誰か?
すでに死神に取付かれた男たちは自らの最後の晩餐にのぞむかのように食卓につくのであった。
やがて数日後、ミシェル、ウーゴ、フィリップの最後を見とどけたのは、豊満な肉体をなおも肥やした女教師のアンドレアであった。
コメント:
イタリア・フランスの合作映画である。
監督はイタリア人のマルコ・フェレーリ。
主演はマルチェロ・マストロヤンニ、ウーゴ・トニャッツィ、ミシェル・ピッコリ、フィリップ・ノワレ。
金持ちの男たち4人が食欲と性欲の限りを尽くし、死んで行くさまを描いたブラックコメディという独特の内容になっている。
嘔吐や排泄、乱交などという、人によっては不愉快に感じる描写があり、しばしばB級映画のような扱いを受ける。
本作では主役4人の名前が演者のファーストネームと被っている。
原題の「La Grande bouffe」がこの映画のテーマを言い表している。
「bouffe」とは、フランス語で「食べる事」を意味するスラングである。
日本語でも使われる「ビュッフェ」だ。
「Grande」は、「大きい」「偉大な」「たっぷりの」といった意味。
つまり、「La Grande bouffe」とは「大食らい」なのだ。
日本語タイトルの「最後の晩餐」とは、全く異なる。
なぜ「最後の晩餐」にしてしまったのか。
キリスト教の「最後の晩餐」は、フランス語で「Dernière Cène」。英語では「Last Supper」。
この映画が、人生の最後を迎えた金持ちたちが「神の存在」など忘れて、ひたすら食欲、性欲に没頭する姿を描写していることを皮肉って「最後の晩餐」にしたのだろうか。
だとすれば、これも意味がある。
ちなみに、英語のタイトルは、「THE BIG FEAST」となっている。
「FEAST」とは、「宴会」だ。
つまり、「大宴会」という意味で、原題とぴったりだ。
テレビの大食い番組を見るたびに思い出す作品だ。
特に、食に意欲的に向かう女性の出演者は、まさにこの作品と同じ匂いがしてくる。
金持ちたちがとある屋敷に集まり、死ぬまでずっと食べ続ける、というだけの物語。
どうしてこんなことになるのか、と呆れて見ているうちに、「この終末感、退廃感が面白い!」と感じてくる不思議な映画だ。
どんなものでも美味しいと思い、食べ続ける男たちの姿は今も忘れられないシーンだ。
そんな中で太めの女性が、男たちが腹を破裂させ、食べ残した料理を食べ続ける異常性。
女性の食への意欲が、実は男よりも強く、動物的ですら見えてくる。
それは、あの大食い番組の出演者以上に印象的だ。
退廃へと向かう、死へと向かう人間たちは恐れもない、ただ好きなことさえできていればいい、という観念性や世界観は、まじめに羨ましく思えてくるほどだ。
ただ、そこまで食に意欲があれば、なかなか死ねない、死のうとは思わないものなのだが...。
ここまでアホな映画を作れる国がフランスであり、イタリアなのかも知れない。
日本では絶対に制作されないだろう。
「食欲」「性欲」という人間本来の本能に従順なのは、やはりヨーロッパの人々なのだろう。
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