「地獄に堕ちた勇者ども」
(原題:The Damned)
1969年10月14日公開。
アメリカ資本によるイタリア・西ドイツ・スイス合作の映画。
ナチスが台頭した1930年代前半のドイツの鉄鋼一族の凋落を描く。
名匠・ルキノ・ヴィスコンティの「ドイツ三部作」第1作。
脚本:ルキノ・ヴィスコンティ、ニコラ・バダルッコ、エンリコ・メディオーリ
監督:ルキノ・ヴィスコンティ
キャスト;
ダーク・ボガード: フリードリッヒ イングリッド・チューリン:ソフィ ヘルムート・バーガー:マーチン ウンベルト・オルシーニ: ヘルベルト シャーロット・ランプリング: エリザベート ヘルムート・グリーム: ルノー・ヴェルレー: フロリンダ・ボルカン: |
アルブレヒト・ショーンハルス:ヨアヒム・フォン・エッセンベック
あらすじ:
一九三三年、ナチス台頭の時代。ルール地方に巨大な権勢を誇る、製鉄王ヨアヒム・フォン・エッセンベック男爵(A・ショーンハルス)一族の上にも、その暗雲が忍び寄ってきていた。総支配人フリードリッヒ(D・ボガード)は、男爵の子息の未亡人ソフィ(I・チューリン)と愛人関係にあり、性格異常のその息子マーチン(H・バーガー)をおとりに男爵の地位を狙っていた。この一族には他に、姪の娘エリザベート(C・ランブリング)と自由主義者の夫ヘルベルト(U・オルシーニ)、虎視耽々と社主を狙う甥のコンスタンチン男爵(R・コルデホフ)とその息子ギュンター(R・ベルレー)などがいた。コンスタンチンはナチ突撃隊の幹部でもあった。だが一族の陰には、エッセンベック男爵の従兄であり、ナチ親衛隊の幹部アシェンバッハ(H・グリーム)が暗躍していた。ナチスの国会焼打ちの日。フリードリッヒは、アッシェンバッハの命令で計画を実行した。老ヨアヒム男爵は血に染まって倒れ罪は国外へ逃亡したヘルベルトに被せられた。やがて遺言によりマーチンが相続人となったが、実権はフリードリッヒとソフィにあった。これに激怒したコンスタンチンは、ソフィとマーチンを脅迫したが、歴史に名高い〈血の粛清〉の日、突撃隊員は親衛隊によって急襲され、全員射殺されてしまった。その中には、コンスタンチンの無残な死体と、それを冷やかに見下すアッシェンバッハの姿があった。アッシェンバッハの魔手は最後にフリードリッヒとソフィに向けられた。まず母への異常な愛憎に苦しむマーチンを巧みに利用、コンスタンチンの息子ギュンターの純粋な心に家族の醜くい野望の毒をそそぎ込みナチ党員に引き入れてしまった。そんな時に、逃亡していたヘルベルトが戻り、妻と娘を強制収容所に渡したフリードリッヒとソフィを激しく非難した。これも、アッシェンバツハの指金であった。権力をうばわれたフリードリッヒと、息子の肉欲に蹂りんされたソフィはいまや廃人のようになっていた。そんな二人に、親衛隊の黒制服を身につけたマーチンは、結婚式をあげてやった。だが、これは娼婦などを狩り集めた狂宴であった。最後に渡された毒入りカプセルを、残された望みであるかのように、フリードリッヒとソフィは口にするのだった。……新しい時代が来た。ナチス・ドイツの恐怖の軍靴は、もはやドイツ中に響き渡っていた。
コメント:
名匠・ルキノ・ヴィスコンティ監督の力作。
『ベニスに死す』『ルートヴィヒ』へと続く「ドイツ三部作」の第1作で、ナチスが台頭した1930年代前半のドイツにおける鉄鋼一族の凋落をデカダンス調に描いている。
原題は「Damned」。
「くそ野郎」を意味する英語のスラングだ。
まさにこのタイトルは、この映画全体をひとくちで表現している。
原案・脚本はヴィスコンティらのオリジナルだが、シェイクスピアの『マクベス』、トーマス・マンの『ブッデンブローク家の人々』からモチーフを得た。
マルティンの少女強姦のシーンはフョードル・ドストエフスキーの『悪霊』における「スタヴローギンの告白」からの引用である。
また、実在のクルップ製鉄財閥のナチスへの協力と相続人(Arndt von Bohlen und Halbach)の醜聞をモチーフにしている。
ドイツにおける第三帝国の黎明期に、その陰謀と野心の犠牲となって崩壊して行く鉄鋼王国一家の悲劇的葛藤を描いた野心作である。
主要登場人物はそれぞれ、出自からなるゆがんだキヤラクターの持ち主だ。
特に一族の唯一の直系である20歳の若男爵マルチンの複雑なキャラクターが実に魅力的なのだ。
娼婦に貢ぎ、幼女に手を出し、麻薬に身を染め、はては実の母との近親相姦と背徳のかぎりをつくす。
演じるヘルムート・バーガーの悪魔的美しさ!
その美貌はヴィスコンティをして「これほど美しい青年を見たことがない」といわしめたほどだ。
冒頭のパーティーで、マレーネ・ディートリッヒばりの女装で登場し(これがまた妖しい魅力)ざれ歌を歌う彼は、ただのお金持ちのバカ坊ちゃんにしか見えない。
しかし物語が進むにつれ、様々な性癖が表れてくる。
しかしその中に常に母の愛を渇望している孤独な影が見え隠れする。
愛人と手を組んで権力を狙う母のいいなりだった彼が、ドイツ親衛隊のアッシェンバッハからそそのかされ、微笑みさえうかべて復讐を誓うシーンの悪魔のような美しさには鳥肌がたつ。
この作品を語るにおいて、一般にシェイクスピアの『マクベス』を比較対象としてあげられているが、さらに『ハムレット』も含めるという見方もあるようだ。
魔女の予言に踊らされ、器量もないのに、権力に目がくらみ国王を暗殺するが、結局は滅ぼされるマクベスがマルチンの母ソフィーの愛人であるフリードリッヒなら、父を殺され母を奪われ、狂人を装いながらも復讐をとげるハムレットはマルチンではないか?
本物のハムレットは、復讐はとげるが、自分も結局は策略にはまって死んでしまうが、こちらのハムレットは、みごと復讐をやりとげ、権力を手にいれるのである。
しかしその背後にはナチの力が大きくのしかかり、いずれは彼も捨て駒として滅びる運命ではないかと思わせる。
では、マクベスでありハムレットの復讐の対象であるクローディアスであるフリードリッヒはどんな人物であろう?
ダーク・ボガード演じるフリードリッヒはまさにマクベスそのものだ。
コンプレックスのかたまりの彼は、マクベス夫人であるところのソフィー(演じるのは、ベルイマン作品でおなじみスウェーデン女優、イングリット・チューリン)のいいなりである。
予言をしてマクベスをその気にさせる魔女の役割を果たしているアッシェンバッハにそそのかされ、男爵を暗殺するも権力者としての器はまったくなく、ヒステリックに怒鳴り散らすだけ。
ソフィーがいなくなると何もできなくなってしまう。彼女に「捨てないでくれ~」と泣いてすがるシーンは滑稽かつ哀れだ。
マクベス不滅の3つの予言のひとつに「マクベスは女から生まれた者には滅ぼされない」というのがある。
マクベスは結果的に帝王切開で取り出されたので、女から生まれたことにはならないのだ。
マクダフに滅ぼされるのだが、この予言に本作品のストーリーを当てはめてみることも可能。
フリードリッヒはマルチンによって滅ぼされるが、マルチンは実母ソフィーと交わった。
つまり生まれた所に戻ったことにはならないか?
マルチンは1度は女から生まれているが、その体内に戻ることによって、マクベス=フリードリッヒを滅ぼす力を得たと…。
実際この行為によって、ソフィーの精神が錯乱する。
息子に抱かれて初めて母性に目覚めたソフィー。
幼い頃の息子の髪が自分の髪とうりふたつであることに気づくシーンは身につまされる。
どんな悪女でも母親なのだ…。
ソフィーの力を失ったフリードリッヒは、あっさりマルチンの手にかかってしまうのである。
ここの辺りをじっくりと考察しながら、この映画を鑑賞するというのもありかも知れない。
この頃になると、イタリアの監督たちが、海外の作品や事件を自分で選択して自分の論理で新たな映像を創出しようという動きが盛んになってくる。
ヴィスコンティという異色の監督もその典型だ。
ヘルムート・バーガーを愛し、育てたヴィスコンティの話も映画界ならではの面白さがある。
ヘルムート・バーガーは、オーストリア出身の俳優である。
彼は、大学在学中の1964年、クラウディア・カルディナーレ主演の『熊座の淡き星影』で、たまたまトスカーナ地方のロケに来ていたヴィスコンティらの撮影現場に居合わせた。
監督はギャラリー(見物客)の1人に過ぎなかったヘルムートに目が止まり、寒い時期の撮影だったため、助監督にマフラーを持っていかせたが、これが運命的出会いであった。
会食がきっかけで数カ月後に彼はヴィスコンティの邸宅に呼ばれ、66年には『華やかな魔女たち』で本格的なスクリーン・デビューを果たすこととなる。
無名のヘルムートはホテルの従業員という役を与えられ、その後彼は徐々に仕事を増やし、67年に『ヤング・タイガー』では初主演を果たす。
ただし、この映画は若手の新人を集めただけの単純な青春コメディーであり、ヘルムートにとって最初で最後の青春系アイドル映画の出演だった。
その後数本の映画やテレビ映画に出演したのち、バーガーは再びヴィスコンティと組んだ耽美派的映画である本作『地獄に堕ちた勇者ども』でスター街道を歩むことになる。
『地獄に…』の撮影時は完璧主義者で有名なヴィスコンティはヘルムートに何度もNGを出したという。
特にあの女装シーンでの歌と踊りでマレーネ・ディートリヒを完璧にコピーできるように要求した。
そんな苦労が実ったのかディートリヒ本人から直々の手紙を貰ったと自叙伝の『Ich』に記されている。
ヘルムート曰く、今でもその大女優からの手紙はとってあるという。
この映画を見たビリー・ワイルダーは「全世界の中でヘルムート・バーガー以外の女には興味がない」と評した。
バイセクシュアルのヘルムートと、同じくバイのヴィスコンティの仲は公然のものとなった。
ヘルムート曰く、ヴィスコンティを誰よりも師として尊敬し、時に父親以上に父親的な存在であり、そして「恋人」でもあったという。
ヴィスコンティはヘルムートに様々な文化的素養を身につけさせ、レナード・バーンスタイン、マリア・カラス、ルドルフ・ヌレエフなど多くの文化人に会わせた。
一方でヘルムートを理解しようとビートルズを自宅に招いたこともあった。
ヴィスコンティは嫉妬深く、ヘルムートの夜遊びを規制した。あまりの関係の深さに、ヘルムートが姉として慕っていたロミー・シュナイダーからは“バーガー嬢”、あるいは“バーガー夫人”とからかわれたほどであったという。
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