イタリア映画 「豚小屋」 パゾリーニによる人肉食や獣姦をテーマにした異色作! | 人生・嵐も晴れもあり!

人生・嵐も晴れもあり!

人生はドラマ!
映画、音楽、文学、歴史、毎日の暮らしなどさまざまな分野についての情報やコメントをアップしています。

「豚小屋」

(原題:Porcile

 

Pigsty (1969) - IMDb

 

「豚小屋」全編

 

 

1969年8月31日公開。

パゾリーニ監督のとんでもない作品。

人肉を食らう若者や、ブタと性交し食われてしまった男の話を伝える変な映画。

 

監督・脚本:ピエル・パオロ・パゾリーニ

 

キャスト:

若者:ピエール・クレマンティ

中年男:F・チッティ

ユリアン:ジャン=ピエール・レオー

大実業家クロツ:A・リオネッロ

ハンス:M・フェレーリ

ヘルディツェ:U・トニヤッツィ

 

Italian writer and director Pier Paolo Pasolini beside the camera on...  News Photo - Getty Images

 

あらすじ:

以下の2編が代わる代わる現れる作品:

中世編:

いつの時代のことかわからない。

荒涼とした火山灰地の高地に、ひとりの若者(P・クレマンティ)がいた。

飢え、やせこけたその若者は、蝶や蛇にむしゃぶりついていた。

火縄銃と兜をひろい、歩きつづけていた若者は、やがて兵士の一団と出会った。

その軍勢が通りすぎて行った時、どこからか口笛がきこえてきた。

若者はその口笛を吹く若い兵士の前に立ちはだかった。

兵士は恐怖におののき、逃げ出した。

若者はその後を追い、二人は銃をうち、剣を抜いた。

だが突然、兵士は剣を捨て、うずくまってしまった。

若者は当然のように、その兵士を殺した。

しばらく後、若者の周辺には、原型をとどめない肉片がちらばり、若者は無表情のまま口を動かしていた。

いつの間にか、この若者のそばに、人肉を喰う一人の中年男(F・チッティ)がいるようになった。

ある日、この二人のそばを囚人をのせた荷馬車が通りかかった。

二人は警護の兵士を殺し、囚人女たちを仲間に引き入れ、人肉を喰う集団をつくっていった。

数日後、一人の女がこの人肉集団の餌食となったが、その下男の通報で討伐隊が組織され、彼等は捕えられた。

処刑の日、泣き叫ぶ仲間たちが次々と狼の餌食にされるため、杭にしばりつけられていくのをみながら、若者は十字架に接吻するのを拒否し、こうつぶやいた。

「おれは、父を殺し、人肉を喰った。歓びにふるえた。」

現代編:

西ドイツのボン。

ユリアン(J・P・レオー)は、大実業家クロツ(A・リオネッロ)の一人息子であり、イーダ(A・ピアゼムスキー)という美人の婚約者をもちながら、何故かあらゆる興味を失い、自分の秘密の城にとじこもっていた。

ある日、久しぶりにイーダが、クロツ家の大邸宅を訪ねたが、ユリアンは結婚の話をわざとさけた。

またある日、クロツを、腹心のハンス(M・フェレーリ)が訪れ、意外な情報をもってきた。

それはエッセンなどでクロツと同窓だったヒルトが、現在クロツの政敵であり、事業のライバルであるヘルディツェ(U・トニヤッツィ)と同一人物である、ということだった。

彼は整形手術をしたのだった。

そこへ、折しも当のヘルディツェがやって来た。

再会を祝した二人だが、ヘルディツェは意外な事実をクロツに告げた。

「君の息子は、豚とセックスをしているんだ!」。

数日後、イーダが別れを告げに来たが、ユリアンは平然としていた。

しばらく後、クロツ家の大広間で、クロツとヘルディツェの企業合弁の祝賀パーティが開かれたが、ユリアンはそこから抜け出し、豚小屋へ向かった。

パーティが最高潮に達した時、農夫たちが面会を求めて来た。

ヘルディツェが彼らと会った。

農夫たちは、ユリアンが豚に喰われてしまった、と話した。

そこで、現場に何も残っていないことを確かめたヘルディツェは、唇に指をあてて言った。

「よし! では、誰にも何にもしゃべるんじゃないぞ!」

 

Next Projection | Pier Paolo Pasolini: The Poet of Contamination: Porcile  Review - NP Approved - Next Projection

 

コメント:

 

「テオレマ」で世界を震撼させた異色監督・パゾリーニによる最悪の作品。

 

原題の「Porcile」は、日本語タイトル通りの「豚小屋」を意味する。

 

Pigsty - Wikidata

 

ピエル・パオロ・パゾリーニが、フランス俳優のピエール・クレマンティと当時フランスの大人気俳優だったジャン=ピエール・レオーを迎えW主演させた映画。

 

相変わらず、気が狂ったままの変人監督・パゾリーニが、再び見るに絶えない愚かな作品を制作した。

人肉を食べて生きる若者を描く中世編と、大実業家の息子が婚約者の女性を無視して豚小屋でブタと性交し続け、最後にブタに食われて死んでしまったという現代編。

この2編が交互に現れるという異色の作品だ。

 

 

人肉食と獣姦が全面に打ち出された映画などと聞くと、怖いもの見たさで、期待せざるを得ない人もいるだろう。

 

しかし、いざ観てみるとそのどちらもがまともに写されていない。

特に。豚と戯れるシーンや豚に食い殺されるシーンなどは存在せず、人々の話の中だけにしか出てこないのだ。

人肉食は食べられた後の死体の手などがチラリと登場するが。

獣姦に関しては映像として何も出てこない。

単語として飛び交うのみだ。

 

求めていたのはそういうことではない。

代わりに本作で重きを置かれていたのは資本家達に対する皮肉だ。

ユリアンのパートでは政治用語が飛び交い、小難しい話がひたすら続く。

 

おおらく、パゾリーニの異常性が世間に知れ渡ったので、それに便乗したのかも知れないが、観る者にとっては「だまされた」と感じる。

 

この作品は、不毛の荒野での原始的な生命力と、原題のブルジョワ社会での頽廃との対比を通して、暗に現代社会を風刺した作品だと、専門家は評価しているようだが、全く理解できない。

 

この映画は、YouTubeで全編無料視聴可能。

だが、英語字幕なし。