イタリア映画 「ミラノの銀行強盗」 実際の強盗事件をヒントにした異色映画! | 人生・嵐も晴れもあり!

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「ミラノの銀行強盗」

(原題:Banditi a Milano)

 

15当時物【1968年ミラノの銀行強盗】映画ポスター/スチール写真 ジャン・マリア・ボロンテ/マーガレット・リー 映画館広告(映画)|売買されたオークション情報、Yahoo!オークション(旧ヤフオク!)  の商品情報をアーカイブ公開 - オークファン(aucfan.com)

 

「ミラノの銀行強盗」 全編

 

「ミラノの銀行強盗」英語吹き替え版 全編

 

1968年3月30日公開。

ミラノで実際に起こった銀行強盗事件をヒントに映画化。

 

受賞歴:

ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞監督賞

ナストロ・ダルジェント賞脚本賞

 

脚本:マッシモ・デ・リタ、アルデュイノ・マイウリ、カルロ・リッツァーニ

監督:カルロ・リッツァーニ

 

キャスト:

ピエロ・キャバレロ:ジャン・マリア・ヴォロンテ 

サンドロ・ノタミコラ:ドン・バッキー 

ロボレット:エツィオ・サンクロッティ

ロペス:レイ・ラブロック

バセヴィ委員:トーマス・ミリアン

 

Banditi a Milano - Wikipedia

 

あらすじ:

ここ数年、イタリアのミラノでは悪質でしかも兇悪な犯罪が続発するようになっていた。

美しい田舎娘を娼婦にし、あげくのはてには、ガソリンをかけて焼き殺すといった事件さえ起こっていた。

そして夜の商売には、用心棒と称する暴力団員がにらみをきかしていた。

そして銀行強盗も盛んであった。

三人組の強盗団が、ミラノやナポリの銀行を次々と荒していったが、彼らには前科がないので警察もなかなか捕えることが出来ない。

首領格はキャバレロ(ジャン・マリア・ヴォロンテ)。

ほかにはノタミコラ(ドン・バッキー)、ロボレット(エツィオ・サンクロッティ)らである。

彼らはみな一見静かな男たちだった。

ある日のこと。

銀行襲撃の用意をしていると、十七歳のロペス(レイ・ラブロック)に見られてしまい、一味に加えることにした。

彼は母と二人の貧しい暮し。

すすんで一味に加わった。

そして四人組の仕事がスタートし、ミラノの銀行に押し入った。

すべて順調に行ったが、カバンに札を詰めこむ時少々時間がかかり、これがすべてを狂わせてしまった。

パトカーが追い、一味は街中をフルスピードで突っ走る。

何人かの市民が射殺され、市街戦の様を呈してきた。

そして一味の車は電柱に衝突し、四人はそれぞれ逃げ出したが、ロボレットだけが捕ってしまった。

彼の告白で全員逮捕されたのであった。

 

1968 - Banditi a Milano - regia Carlo Lizzani (la banda Cavallero) - YouTube

 

コメント:

 

1967年にミラノで実際に起こった銀行強盗事件をドキュメンタリータッチで描いた映画である。

 

手錠をかけられた主犯のキャバレロが、新聞記者に囲まれて得意そうな様子を見せているラストシーンが笑える。

 

Banditi a Milano (1968) | MUBI

 

本作の監督と脚本をつとめたカルロ・リッツァーニは、ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞の監督賞とナストロ・ダルジェント賞の脚本賞を受賞している。

ローマに生まれたリッツァーニは、まず脚本家として働きはじめ、いずれも1948年の映画であるロベルト・ロッセリーニ監督の『ドイツ零年』やアルベルト・ラットゥアーダ監督の『ポー河の水車小屋』、また、ジュゼッペ・デ・サンティス監督の1949年の映画『にがい米』脚本に参加し、『にがい米』は第23回アカデミー賞で原案賞にノミネートされた。

 

複数のドキュメンタリー作品の監督を務めた後、リッツァーニは、1951年の映画で第二次世界大戦を舞台にしたドラマ『Achtung! Banditi!』によりフィーチャー映画の監督としてデビューした。

監督デビュー後も『オリーヴの下に平和はない (Non c'è pace tra gli ulivi) の脚本の共作に参加するなど、脚本家としても活動した。

第7回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門に出品された1954年の映画『Cronache di poveri amanti』により尊敬を集めた彼は、本作『ミラノの銀行強盗』(1968年)や『マンハッタン皆殺し作戦』(1974年)、犯罪コメディ『Roma bene』(1971年)で、ジャンル映画、特にクライム映画(犯罪映画)に長けた監督としての定評を得た。

L'oro di Roma』(1961年)では、ローマのユダヤ人たちの最後の国外退去と1943年10月のローマ・ゲットーへの大襲撃 (grande razzia)と称されるユダヤ人狩りをめぐる出来事を描いた。

1980年代には、イタリアのテレビで頻繁に活動し、1979年から1982年までの4回にわたってヴェネツィア国際映画祭の監督を務めた。1994年には、第44回ベルリン国際映画祭で審査会の一員を務めた。

1996年の映画『Celluloide』は、『無防備都市』の製作過程を追ったもので、この作品で彼はダヴィッド・ディ・ドナテッロ脚本賞を受賞した。

 

あるネット記事によると、ミラノはイタリア第1の犯罪都市らしい。

 

2015年のイタリアの危険な町 ワースト10
このデータは盗難、スリ、強盗、誘拐、偽装の事件数を総合したデータ。

1位 ミラノ
2位 リミニ
3位 ボローニャ
4位 トリノ
5位 ローマ
6位 ラヴェンナ
7位 ジェノヴァ
8位 フィレンツェ
9位 サボーナ
10位 プラート

 

ミラノはイタリアの中でもビジネスの中心地であり、人口も多く(イタリアではローマに続いて2位の人口)、金持ちも多く、犯罪も比例して増加しているようだ。
 

特にお客様の中でも、ミラノの地下鉄内で盗難に遭ったり、ミラノ中央駅から、ユーロスターに乗る時に、車内ですれ違ったときにスリに遭ったりと、色々な話があるという。

 

実は、このような観光客を狙ったスリや、盗難をしているのはイタリア人ではなく、「ROMと言われるジプシー」や「イタリア人以外の外国人」が多いのだというが。

 

 

この映画は、YouTubeで全編無料視聴可能。