今東光の映画 「春泥尼」尼寺で修行する若き尼を描く異色作! 肉体派女優・筑波久子主演! | 人生・嵐も晴れもあり!

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「春泥尼」

 

日活 映画ポスター 春泥尼 1958年公開 左幸子 筑波久子の入札履歴 - 入札者の順位

 

 

原作:今東光「春泥尼抄」

脚色:松浦健郎 

監督: 阿部豊 

 

キャスト:

 

春泥尼:筑波久子

春鏡尼:左幸子

平沼賢吉:岡田眞澄 

泉田先生:二谷英明 

浅井藤太郎:沢本忠雄 

おとく:小泉郁之助 

おかん:田中筆子 

天徳寺住職:小杉勇 

門跡尼公:山本かほる

妙宣尼:南寿美子

 

春泥尼 | 映画 | 日活

 

あらすじ:

春枝(筑波久子)は河内の貧農の娘だった。

自分の家に下宿している若い教師泉田(二谷英明)に、すでに唇を許していた。

闘鶏狂いの父のために日日の糧にも苦しむ一家を見て、天徳寺の住職(小杉勇)は口べらしに春枝を尼にすることをすすめた。

河内生駒山の門跡寺院で、春枝は尼僧見習としての修業を始めた。

門主の御附弟さん春鏡(左幸子)は、春枝と同年で、彼女をいじめる光映尼から何かとかばってくれた。

春枝は断髪して春泥となり、春鏡と共に、京都の尼衆学林に入学した。

そこの同僚・妙宣尼(南寿美子)の恋愛事件は、彼女たちにはショックだった。

女の喜びを知った妙宣は恋人のあとを追って自殺したのだ。

春泥たちは平沼賢吉(平沼賢吉)という建設会社の若い副社長と知り合い、茶屋で遊んだりした。

彼の後輩の浅井藤太郎(沢本忠雄)は、門跡寺の檀家である父を持っていた。

掟で托鉢に歩いた春鏡たちは賢吉に出会い、春鏡は春泥を先に帰らせて、彼とドライヴした--。

春鏡が夜更けて帰ってきたとき、春泥は女の本能で彼と彼女の間に何が起きたかを悟った。

春が来て、彼女らは門跡寺へ帰った。

近江屋の法事に、春鏡の名代として行った春泥は藤太郎から親切にされたが、それを賢吉が光る目で見ていた。

その帰り、春泥は賢吉の車に強引に乗せられ、彼の愛の告白を受けた。

それから二人の逢瀬は続き、春泥は彼の子をみごもる。

春泥は苦悩の末、還俗して女の喜びに生きようとした。

だが、賢吉は腹の子を堕ろせと札束を渡した。

春泥はそのまま、ふらふらと我が家までさまよい歩き、それがもとで流産した。

春泥が元気になったとき、天徳寺の住職は自力で生きよと励まし、彼女はまた寺へ復帰しようと思った。

門跡寺では尼公が死に、春鏡が門跡を継いだ。

彼女が喜んで春泥を迎えた翌朝、春泥は思い立って仏道行脚へ出発した。

春鏡は彼女が必ず帰ってくることを知っていた。

 

春泥尼 | 国立映画アーカイブ

 

コメント:

 

週刊サンケイに連載した今東光の長編小説「春泥尼抄」が原作である。

 

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この小説のストーリーは以下の通り:

河内の貧乏農家の少女が口べらしのため尼寺に入れられる。

春泥という名を授かり、同い年で寺の御附弟(ごふてい、後継者)春鏡の付き人になる。

春鏡は華族の出。

共に京都の寄宿学校・尼衆学林で学ぶことができた。

若く美しいふたりの尼僧は恋愛と仏教の戒律の狭間で悩み苦しむ。

お嬢様育ちの春鏡はひとりの男性との恋に動揺する。

春泥は憧れの男性・小学校時代の先生への思いを秘め、仏門に抵抗し、男に溺れず、逆に彼らを翻弄する。

先生に再会すし、寺を出る決意を固めるが……。
 

美しい尼との恋というとアダルト小説かと思えるのだが、今東光は女性の強さを描いている。

これが戦後の新しい女性像なのだ。

春泥は仏に仕え学び、教養と作法を身に付け、友を気遣い、因習に立ち向かう。

フランス文学を愛読し、ランボオの詩を口ずさむ。

恋に悩む尼に現実の厳しさを諭し、男性の誘惑に対しても毅然として臨む。

瀬戸内寂聴を思わせるヒロイン像である

 

小説の一部にこんな箇所がある:

「先祖代々、河内の貧農に生れたわたくしみたいな女は、集積遺伝で、こないな考えをするんでっしゃろな。雑草のように踏みにじられた観念は、案外、土性ッ骨が据ってるんでっしゃろ。わたくしは、あなたから捨てられても泣きまへんやろ。その代り、わたくしも平気でお捨てするかもしれませんが」

 

モダンボーイといわれた今東光。

東光は32歳で比叡山延暦寺に入り文壇から離れた。法名「春聴」。

51年に河内・八尾市に赴任。ここを舞台に娯楽小説を書いた。

彼は瀬戸内寂聴の法師でもあった、

彼女が仏門に入る時、「春」の字を法名にあげるつもりだったが、彼女は「春には飽き飽きして出家するのだから」と、「聴」を望んだという。「春泥」のことも気にしたようだ。

 

映画は、尼寺でのレズを予想させるが、全くその雰囲気はない。

尼になっても俗世界からの誘惑を多く、それを乗り越えて、仏門に入る尼の姿を捉えている、けっこう真面目な作品なのだ。

 

原作の今東光の長編小説「春泥尼抄」を読んでみたが、今東光という作家が意外と真面目なのが分かり、印象が変わった。

やはり、この和尚はただ者ではなかったのだ。

悟りを開いたかどうかは不明だが。

 

主役の春泥尼を演じているのは、筑波久子(つくば ひさこ)という女優。

日活で人気女優になり、のちにハリウッドの一流プロデューサーに転身した異色の人物だ。

筑波山(つくばさん)で有名な茨城県出身であることからこの芸名になったようだ。

父は地元大手の旅館「五浦観光ホテル」と映画館を経営していた。

中学時代は生徒会長を務め、トップ成績で慶應義塾女子高等学校に進学。

慶應義塾女子高校では演劇部に所属、幼い頃に映画関係者にスカウトされたこともあり、両親に無断で日活のオーディションを受けトップ合格。娘の芸能界入りに、母親は賛成したが厳格な父親は猛反対。

「駄目なら高校もやめる」としてついに父親が根負け、日活第3期ニューフェイスとして日活に入社。

同期に二谷英明、小林旭がいる。

高校卒業後は慶應義塾大学法学部政治学科に進学するが、仕事が忙しくなり中退。

1957年(昭和32年)、『肉体の反抗』が大ヒット、新人賞を受賞し、仕事には恵まれた。

身体を張った演技が話題となり、筑波主演の「肉体シリーズ」が日活のドル箱となる。

主な作品は、『肉体の反抗』『春泥尼』『海底から来た女』『男の銘柄』『きさらぎ無双剣』。

 

筑波久子〜日活の肉体派女優から渡米してハリウッドでプロデューサーとして大成功! - YouTube

 

その後、体調を崩し、虫垂炎で緊急入院したことを契機に、渡米を決意。

1963年(昭和38年)、人気絶頂の中、24歳で突如芸能界を引退、渡米してコロンビア大学に語学入学。

27歳の時に、遠距離恋愛を経て3歳年下のマシュー・ヴァン・リューエンと結婚。

カリフォルニアに新居を構えるが、映画への思いは捨てられず、カリフォルニア大学の脚本コースに進む。

1967年(昭和42年)、長男キースを出産。

当時米国は泥沼化するベトナム戦争のさなかにあり、知人にも戦死者がいた。

筑波は退廃的な生活を送る若者たちを題材にしたドキュメンタリー映画『若いアメリカ人たち』を撮る。

1973年(昭和48年)、第2作目作品『Tender Loving Care』が大物プロデューサー・ロジャー・コーマンに認められ、「チャコ・ヴァン・リューウェン」名義で全米配給。

「彼女の作品を試写室で見てショックを受けた。キャリアの浅いチャコが作ったのが信じられなかった、それくらいクオリティの高い作品に仕上がっていた」(コーマン談)

1978年(昭和53年)、ジョー・ダンテを監督に抜擢して、1億円の低予算で製作したパニック映画『ピラニア』が、興収40億円の大ヒット。ハリウッドの大物プロデューサーとなった。

 

 

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