「ボッカチオ’70」
(原題:Boccaccio '70)
1962年2月23日公開。
イタリア・フランス合作のオムニバス映画。
デ・シーカ監督の『自転車泥棒』で知られる大脚本家・チェーザレ・ザヴァッティーニの発案による艶笑コメディ、いわゆる「イタリア式コメディ」である。
4篇からなるこのアンソロジーは、それぞれを1人の映画監督が演出し、どの作品もが現代のモラルと愛の異なる側面についてを扱い、『デカメロン』で知られる14世紀の詩人ボッカチオのスタイルをとった。
4篇の内容は以下の通り:
- 『ボッカチオ‘70』(1962年、イタリア・フランス共同製作)は、全四話──映画の中では第一幕~第四幕という表記になっている──からなるオムニバス映画である。
4人のイタリア人監督が一話ずつ演出し、イタリア式艶笑譚の形式で現代の愛とモラルの側面を描いている。
タイトルは、「デカメロン」を書いたボッカチオにちなんでいる。「'70」は映画製作当時から見た近未来という意味らしい。
第一話《くじ引き》
◇ヴィットリオ・デ・シーカ監督
◆キャスト:ソフィア・ローレン、ルイジ・ジュリアーニ、アルフィオ・ヴィータ
北イタリアの移動見世物の一団に属する射的屋で働くゾーエ(ソフィア・ローレン)は土曜日の夜の秘密のくじ引きの“景品娘”として人気を集めていた。
ところが村の若者と恋に落ち、景品娘であることを初めて悔やんだ。
そのくじ引きの日、当たりくじを引き当てたのは堅物で通っている教会の墓堀人夫だった。血気盛んな村の男たちは「あんな男にゾーエを抱かせるわけにいかない」と当たりくじの買取りを申し出るが、墓堀人夫は頑として拒否して敢然とゾーエの部屋へいく。するとゾーエは有り金を全部出して当たりくじを買い取り、墓堀人夫を追い返して外で頭を抱えていた若者の胸に飛び込んでいく……という艶笑譚。
内容の深みとか芸術的達成度などを度外視すれば、やはりヴィットリオ・デ・シーカの「くじ引き」がこの種のオムニバス映画の趣旨に最もよく適合し、艶笑譚としても面白いと思った。
ビットリオ・デ・シーカは、『昨日・今日・明日』(1963年)を観れば判るように艶笑譚の名手なのである。
第二話《アントニオ博士の誘惑》
◇フェデリコ・フェリーニ監督
◆キャスト:ペッピーノ・デ・フィリッポ、アニタ・エクバーグ
禁欲主義者のアントニオ博士(ペッピーノ・デ・フィリッポ)の住むアパルトマンの目の前の広場に或る日、巨大な立て看板(ビルボード)が立てられ、そこに身長18mもある妖艶な女性が胸元の大きく開いたロング・ドレス姿でなまめかしく横たわる写真広告が貼り付けられた。ミルク会社の宣伝用だった。
これを毎日、窓から見なければならない博士は憤慨し、教会の大司教に撤去への協力を頼みこんだが、大司教は部下に視察させただけで終わった。
この大看板を目当てに人形芝居や風船売り、写真屋などがたむろするようになり、近辺の人々がお祭り気分で集まってくるほどになった。
アントニオ博士はたまりかねて横たわる女性像に向ってインクの入った袋を投げつけ、警察沙汰となった。それでも博士の奮闘の甲斐あって女性像が白い布で覆われることになった。
ところが或る夜、博士が窓から外を見ると、看板の布が外れ、大女のポーズが変わっていて博士をからかっているような表情になっていた。博士は女と対決しようと降りて行って看板の下に立つと、大女(アニタ・エクバーグ)が看板から抜け出して地上に降り立ち、深夜の街で博士とあれこれやり取りが始まり、博士は大女に抱き上げられて彼女の胸元へ押し付けられる……。
実は、これは博士の幻覚で、翌朝、下着姿で大看板によじ登っている博士の姿が発見され、救急車が来て博士を引きずり下ろし、病院へ搬送していくという結末。
第三話《レンツォとルチアーナ》
◇マリオ・モニチェッリ監督
◆キャスト:マリサ・ソリナス、ジェルマーノ・ジリオーリ
労働者階級の若い男女、レンツォとルチアーナは肉体関係ができたため取り急ぎ結婚したが、住む家がなく、とりあえず新婚夫婦は妻ルチアーナの実家に同居したものの家族が多いのに部屋が足りず、夫婦生活も満足に営めないありさまにたまりかねて家探しに奔走するというストーリー。
ネオレアリスモ時代のヴィットリオ・デ・シーカ監督作品『屋根』(1956年)を想起させるような内容である。
ルチアーナの上司が彼女に気があって誘いをかけるエピソードはあるものの、全編がスケッチ風で話らしい話がないせいか、日本初公開時には省かれて全三話で上映された。
その後、DVDとしてリリースされた時にこれも加えられて全四話がそろった内容になった。
第四話《仕事中》
◇ルキノ・ヴィスコンティ監督
◆キャスト:ロミー・シュナイダー、トーマス・ミリアン、パオロ・ストッパ
ミラノの大邸宅に住む若いオッタヴィオ伯爵(トーマス・ミリアン)は、大富豪の娘であるプーペ(ロミー・シュナイダー)と結婚して間もないのにパリでコールガールたちと遊蕩生活を送って戻ってきた。すると弁護士たちが待ち受けていて、伯爵の放蕩生活が世間に洩れて事態収拾に動かなければならない状況であると告げる。
プーペも伯爵のパリでの醜行を知っていた。そもそも伯爵の生活費はドイツ人実業家のプーペの父親から出ていた。父親にとっては娘に伯爵夫人を名乗らせるメリットがあったからである。
父から生活を援助してもらっていることを潔く思っていなかったプーペは自活を思い立ち、夫に「コールガールを抱きたくなったら私を呼んで。その代わりコールガールに支払っていたのと同じ金額を頂戴します。前払いでね」と宣言する。プーペはパリまで行って夫が遊んだコールガールたちと会い、料金相場を調べてきたのだった。伯爵はやむなく小切手を切ってプーペの部屋へ行く。
コメント:
昔はモニチェッリ篇を欠いた3話オムニバスとして観ただけだった「ボッカチオ70」が、4話すべてを網羅した完全版が劇場公
開されたのだ。
最初のデ・シーカ篇は、田舎の農夫相手の移動カーニヴァルで射的屋をやっているソフィア・ローレンが、金のために自らの身体をくじ引きの賞品にしたため、粗野な男たちが我先にくじを買う中、ローレン自身は若い牛追いに恋してしまうという話。
主演のソフィア・ローレンや相手役の若者、さらにくじに当たる坊主を演じた男は役者然としていて面白みがないが、粗野な村男たちに扮しているのはどう観ても素人に思え、彼らが醸し出す猥雑なエネルギーがこのデ・シーカ篇の最大の魅力だ。
ここにネオレアリズモの伝統が活きていると感じる。
「ボッカチオ70」の中では、やはりフェッリーニ篇が圧巻。
画面オフから聞こえる女の子の声で、ローマという街への賛辞が語られる冒頭から、フェッリーニらしい祝祭性が画面から弾け、牛乳の宣伝用看板モデルという役柄の、アニタ・エクバーグの豊満な官能美を讃えるフェッリーニ美学が炸裂している。
マリオ・モニチェッリ篇は初めてだが、ある工場に勤務する男女がお互いに愛し合い、結婚するものの、既婚女性は辞めるという規則のため、二人は結婚を隠しているという面白い話だ。
60年代始めのローマ郊外を舞台にした、若い夫婦のつましい生活感が伝わる、
ここにもネオレアリズモの伝統を感じさせる。
ヴィスコンティ篇は、結婚13カ月だというのに、娼館通いが止まない伯爵の夫を持つロミー・シュナイダーが苦悩の末、自分も娼婦のように夫に金で身体を売ることにし、夫のほうもそんな妻の発案に昂奮を覚えて、妻を金で買おうとし、そんな事態を妻は哀しみを持って受け止めるという話。
ロミーの妖艶さ・美しさに陶然となる。
風呂上がりの彼女が、タオルを身体に巻いただけの姿から、次第にドレスアップし、濡れた髪をブラッシングして整え、唇にルージュを引くまでの一連の流れを、ジュゼッペ・ロトゥンノのキャメラで捉えてゆくヴィスコンティ演出の上品なエロティシズムに酔う。
また、話の舞台となる伯爵屋敷の室内装飾など調度品が素晴らしい。
さすがに爵位を持つヴィスコンティだけのことはある。
まあ、当時のトップクラスの4監督のオムニバスということで、世界的にも高く評価されているようだ。
この映画は、YouTubeで全編無料視聴可能。
YouTubeにアップされているバージョンでは、ソフィア・ローレンの《くじ引き》が最後になっているようだ。
この映画は、TSUTAYAでレンタル可能: