「時は止まりぬ」
(原題:IL TEMPO SI E FERMATO)
1959年イタリア公開。
日本未公開。
天才監督エルマンノ・オルミのデビュー作。
監督・脚本:エルマンノ・オルミ
キャスト:
山の番人:ナターレ・ロッシ
若い学生:ロベルト・セヴェーソ
あらすじ:
若い大学生のロベルト・セベソは、妻が出産したため家に残っていたペドランツィーニの代わりに、ブレシア県のアダメッロ山の近くにある水力発電ダムの冬季管理人としての仕事を見つけた。
山の静寂と孤独に浸った掘っ立て小屋で、若者は年配の同僚、寡黙な家族経営のナターレという男性と一緒に暮らさなければならない。
最初の相互不信は、時間の経過とともに相互共感に変わってゆくのであった。
コメント:
ネオ・レアリズモの正統な後継者として知られる、エルマンノ・オルミ監督のデビュー作である。
この映画は、エジソン=ヴォルタのためのドキュメンタリーとして構想された。
若きオルミの手の中で成長し、ネオリアリズムの規範に完全に準拠し、プロではない俳優と生音で撮影された、彼の最初の長編映画となった。
この映画は、第20回ヴェネチア国際映画祭の第10回「国際ドキュメンタリー映画および短編映画展 - 長編映画」の一環として上映されている。
アルプスの深い雪に閉ざされたダム建設現場の番小屋が舞台。
老人と若者の二人だけの生活が続く中で芽生えた男同士の友情を描いているドキュメンタリータッチの作品である。
深い山間のダム建設工事現場。
ここでは、厳しい冬の間、深い雪に閉ざされて工事を中止せざるを得ない。
工事現場からは労働者は全て姿を消し、たった二人のガードマンが残っているだけだ。
ひとりは、アルプスの山の番人(ナターレ・ロッシ)で、もうひとりは若い学生の(ロベルト・セヴェーソ)であった。
若い方は、ガードマンが家庭の事情で下山を余儀なくされたので、その間の臨時のガードマンだった。
こうして深い雪に閉ざされた厳しい自然の仲でのふたりだけの生活が始まった。
しかし、ふたりの間には何の共通の話題が無かった。
年齢は、まるでソフト孫のように離れていたし、ふたりの生活環境や習慣もまるっきり違っていた。
それでも、山奥の番小屋でふたりきりでいると、自然と少しずつお互いの事が理解できるようになっていった。
無骨な山男の老人は、まるで教育を受けていないのに、意外と思慮深く、人間的にも暖かいところがあることに気がついた。
ある時、若者が病気で倒れ込むと、老人は甲斐甲斐しく若者を介抱した。
一方、老人も若者を誤解していた。
それまでは若者は生意気な若造に見えたが、意外と素直なところがあるということが分かった。
こうして二人の間には、じきに壁がなくなり、友情さえ芽生えてきたのだった。
この作品を監督したのは、エルマンノ・オルミ。
彼こそ、イタリアの伝統映画技術・ネオ・レアリズモの正統な後継者である。
日本では未公開のこの作品は、知る人ぞ知るオルミの名を世界に示した初の長編作だ。
この人は、1931年に、イタリア北西部のロンバルディア州に生まれた。
1953年、22歳で映画監督としてデビューし、5年間でドキュメンタリーや短編を20本以上製作した。
1959年に初の長編作として発表したのが、本作「時は止まりぬ」である。
1961年には、長編2作目の『定職』が同年のヴェネツィア国際映画祭でイタリア批評家賞など3つの賞を受賞。
英国映画協会サザーランド杯も受賞し、翌1962年のダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞では監督賞を受賞した。
1963年に発表した長編3作目の『婚約者たち』は、第16回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門に出品され、国際カトリック映画事務局賞を受賞。
同作はフランスの同世代の映画監督ジャン=リュック・ゴダールが映画批評誌「カイエ・デュ・シネマ」誌上に発表した1964年のベストテンで、アルフレッド・ヒッチコックやハワード・ホークスの新作を抑えて第1位に推した。
1965年には2年前に死去したローマ教皇ヨハネ23世の自伝を映画化した『E venne un uomo』を発表した。
1976年、家族とともにミラノからアジアーゴ高原に移住する。
1978年、ベルガモ地方の農民たちの生活をドキュメンタリー風に描いた『木靴の樹』を発表。
同年の第31回カンヌ国際映画祭でパルム・ドールとエキュメニカル審査員賞を受賞し、翌1979年にもセザール賞の外国映画賞、ナストロ・ダルジェント賞の最優秀作品監督賞、原作賞、脚本賞、撮影賞の4賞を受賞した。
同作は1979年に日本でも劇場公開され、伊丹十三をはじめ多くのファンを獲得した。