「夏の嵐(1954)」
(原題:Senso)
1954年12月30日公開。
ヴェネツィアの伯爵夫人とオーストリア軍の将校との破滅的な恋を描いた歴史大作。
原作:カミロ・ボイトの短篇小説『官能』(Senso)
脚本:ルキノ・ヴィスコンティ、スーゾ・チェッキ・ダミーコ、カルロ・アリアネッロ
監督:ルキノ・ヴィスコンティ
キャスト:
フランツ・マラー:ファリー・グレンジャー
リヴィア・セルピエーリ:アリダ・ヴァリ
あらすじ:
1866年5月のある夜。
水の都ヴェニスのフェニーチェ劇場ではオペラ「吟遊詩人」が上演されていた。
その時、一階席でオーストリヤ占領軍の若い将校フランツ・マラー中尉(ファリー・グレンジャー)と反占領軍運動の指導者の一人、ロベルト・ウッソーニ侯爵の間に口論が起った。
そのあげくロベルトはフランツに決闘を挑んだ。
ちょうど、夫とともに観劇中であったリヴィア・セルピエーリ伯爵夫人(アリダ・ヴァリ)は従兄ロベルトを助けようとしてフランツに近づいて決闘を思い止まらせようとした。
しかし、その夜、ロベルトはオーストリヤ軍に逮捕され、一年の流刑に処せられてしまった。
そしてリヴィアが再びフランツに会った時には、彼女はこの青年将校の魅力の虜になってしまっていた。
リヴィアは五十男のセルピエーリ伯爵と愛情もなく結婚したのであるが、それまでは貞淑な妻であった。
だがフランツを知ってからは盲目的な激しい情熱にとらわれ遂に彼に身も心も捧げてしまった。
一方オーストリヤとの間には再び戦争が起こった。
セルピエーリ伯はヴェニスを離れてアルデーノの別荘に移ることになった。
リヴィアは偶然、越境してヴェニスの同志に軍資金を渡しに来たロベルトに会った。
ロベルトは彼女に金を渡しアルデーノの別荘で同志に渡してくれと頼んだ。
ある夜、別荘の彼女のもとにフランツが現われた。
彼女は再び男に身を投げ出した。
フランツは軍籍を抜けるのに大金がいることを話した。
戦争によって男を失うことを怖れた彼女は預った金迄も彼に渡してしまった。
クストーザ丘陵の戦いで伊軍は敗れロベルトも重傷を負った。
敗戦を聞いたリヴィアは墺軍の占領下のヴェロナにフランツを求めて馬車を走らせた。
だが一時の浮気心で彼女を相手にしたにすぎないフランツは、彼女の来訪を喜ばず数々の悔言を浴せた揚句、ロベルトを軍に逮捕させたのは自分だと叫んだ。
絶望のリヴィアは占領軍司令部に行くとフランツが自分から取り上げた金で軍医を買収し、病気と偽り除隊に成功したことを彼女に感謝した手紙を司令官に示した。
フランツは即刻逮捕され、銃殺された。
コメント:
1866年、オーストリア軍占領下のヴェネツィア。
冒頭を飾るのはオペラ観劇。
この頃からヴィスコンティ監督の耽美趣味は健在で、豪華絢爛な劇場と衣装を堪能する。
原題の 「Senso」とは 「官能」の意。
伯爵夫人リヴィアと敵国の若い将校フランツの二人の愛を描いている。
だが、単純な恋愛ではない。
許されない立場が拍車を掛けるのか、リヴィアのフランツへの入れ込みようがなかなかに凄い。
だが、敵国の宿舎にまでフランツを訪ねるリヴィアが痛々しいものの、それほど夢中になれるのは羨ましくもある。
ただ、リヴィアの疎開先にフランツが現れたまでは良いとして、金の話が出始めた時に彼の本性が見えてくる。
案の定のヴェロナでの二人の再会だが、全てを失った女性の冷酷さを侮るなかれ。
このエンディングには驚かされる。
歴史的な背景を確認すると、この映画が作られたのはイタリアが今の共和国となったのが第二次世界大戦後で、その前史においてヴェネチアがイタリアに統合されるか、オーストリア(今のドイツ)に侵略されるかという瀬戸際だったのが1866年、この映画の背景となっている。
セリフにも出てくるが「1859年の二の舞になりますよ」というのはイタリアの第二次独立戦争を示し、普墺戦争は第三次独立戦争で、ここからヴェネチアはイタリアに編入されることになる。
リヴィアの夫セルピエーリ伯爵は、イタリアの独立戦争のために戦った人で、当時の英雄ガリバルディ将軍の名前も映画の中に出てくる。
かたや最後に銃殺されるやさ男フランツは敗色濃厚なオーストリアから逃れようとする逃亡兵である。
最後に彼が”死”決していることを語るのは、オーストリアという国が滅んでゆくことを示す。
オーストリアは第一次世界大戦前までは欧州の政治的文化的中心であったにもかかわらず、第一次、第二次世界大戦を経て完全に独立を放棄したという歴史的背景がある。
安定とデカダンな社会に安寧していたが所以に自国の自立を放棄してしまったのである。
冒頭のオペラシーンからとにかくモブシーン、戦闘シーンの迫力など、細部に至るまで計算しつくされた映像美は再現不可能な迫力に満ちている。伯爵夫人という隔絶された立場をアリダ・ヴァリが見事に演じ、狂気の果てに行き着く最後の愛の形を昇華させる。
『見知らぬ乗客』の美形アメリカ人ファーリー・グレンジャーを起用したのは言うまでもなくヴィスコンティのセンス。
伯爵夫人の物語でありながら、死にゆくドイツ将校への愛情が強く表現されている。
ヴィスコンティ初期作品の傑作である。
リヴィアとフランツの苦悩は二律背反の関係にあることがわかる。
いずれも自国の未来に対し懐疑的であるという環境にあり、殊に中年の伯爵夫人リヴィアは伯爵夫人という立場にあってお飾りの状態だ。
そんな彼女が美男子の敵兵に恋い焦がれるというのは、彼女に限らず誰もが同じ欲求、不倫願望に苛まれていたことを伺い知ることができる。
あのアンナ・カレーニナも同じである。
好きになった敵兵の男を、敵兵の兵士に白い目で見られながらも見続けてゆく。
逃亡兵として命からがら逃げてきたフランクに義援金まで与えてしまうリヴィア。
そしてやっと再会できると喜び勇んで訪ねると彼は娼婦とともにいる。
この終盤のシーンはひどい。そして美しい。
黒いドレスに見をまとう伯爵夫人と白い下着姿の娼婦。
この白と黒の対比こそ人間の本質である。
純粋無垢な若い娼婦は金のために体を売る。
自国の名誉も金もかなぐり捨てて男のために貢ぐ伯爵夫人。
この二者は同一性がある。
フランツを愛するという意味において同じなのだ。
フランツはここで自暴自棄になりながら、自分の国オーストリアがなくなり新世界が生まれてゆくことで社会の全てが幻想であることをリヴィアに告白する。
全てを捧げたリヴィアはフランツを密告し、フランツが銃殺されて映画は終わる。
時代の変化を告げるシーンである。
なんという悲劇であろう。
勝者であるイタリアの伯爵夫人が、愛する敗者であるオーストリアの逃亡兵を密告して終わるという矛盾。
絵画のような映像美を背景に2人の愛が見事に表出されていてしかも悲しい。
これぞ、ルキノ・ヴィスコンティの世界である。
ヒロインを演じた女優は、アリダ・ヴァリ。
この人は、現クロアチア領、当時はイタリア王国領であったイストリア半島のポーラで1921年に生まれた。
個性的な風貌だが、出自は複雑な人種の子孫のようだ。
イストリア半島のポーラ(現クロアチア、プーラ)生まれ。
両親共に複数のルーツを持つ。
父方の祖父はトレント出身のオーストリア系イタリア人で、ジャンバプティスト・コントダルコの子孫。
父方の祖母エリーサ・トマシはトレント生まれで、ローマ上院議員エットレ・トロメイの従姉妹。
ポーラ出身の母は、ライバハ(現スロベニアのリュブリャナ)出身のドイツ系オーストリア人が父で、母がポーラ出身。
あたまがごちゃごちゃになるほどの人種のるつぼだ。
アリダ・ヴァリは、15歳からローマの映画センターで演技を学び、映画に出るようになる。
1941年の "Piccolo mondo antico" でヴェネツィア国際映画祭で賞を受けるなど高い評価を得るが、戦時中はファシスト政権を嫌って出演を断ったために逮捕されそうになったこともあったという。
代表作は、本作のほか、『第三の男』(1949年)、『パラダイン夫人の恋』(47年)、『かくも長き不在』(1961年)。
イタリアでは100本以上の映画に出演し、舞台にも出ており晩年まで活躍した名女優である。