五木寛之 「大河の一滴」 五木寛之の随筆を原作にした、大ポカの映画! | 人生・嵐も晴れもあり!

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「大河の一滴」

 

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2001年9月1日公開。

五木寛之が自身の随筆をモチーフにして原案した映画。

随筆は大ヒットしたが。

 

原作:五木寛之「大河の一滴」

原案:五木寛之

脚本:新藤兼人 

監督:神山征二郎

 

キャスト:

安田成美:小椋雪子

渡部篤郎:榎本昌治

セルゲイ・ナカリャコフ:ニコライ

三國連太郎:小椋伸一郎

倍賞美津子:小椋麻梨江

南野陽子:亜美

 

大河の一滴 | あらすじ・内容・スタッフ・キャスト・作品情報 - 映画ナタリー

 

あらすじ:

両親の反対を押し切って上京し、友人の亜美(南野陽子)と共に輸入雑貨店を経営する29歳の雪子(安田成美)は、ある日、商品の買い付けで訪れたロシアで知り合ったガイドの青年・ニコライ(セルゲイ・ナカリャコフ)と再会を果たした。

トランペット奏者の彼は、東京のオーケストラのオーディションを受ける為に来日したのだ。

だが、雪子の応援の甲斐も無くニコライは落選。

雪子も店の経営の失敗と、郵便局長を務める父・伸一郎(三國連太郎)が末期癌で倒れたのをきっかけに、郷里の金沢へ帰ることとなってしまう。

亜美の自殺、延命手術を拒否した父、雪子の周りを死の影が通り過ぎていく。

そんな金沢での生活の中、雪子は幼なじみで彼女に秘かな想いを寄せる昌治(渡部篤郎)に、こちらでトランペットのオーディションがないか相談を持ちかけた。

そして、金沢フィルのオーディションがあることを知った彼女は、急遽ニコライを金沢に呼び寄せ、昌治の家に彼を泊まらせることしにした。

それから暫くしたある日、伸一郎は雪子とニコライを伴って温泉旅行に出かけた。

その宿で、彼はニコライに先の戦争でのソ連収容所体験を語り、雪子には「信念を持って、自分の思い通りに生きなさい」と言う言葉を贈った。

オーディションの日、伸一郎がニコライの合格の報せを聞くことなく逝った。

しかも、ニコライもビザの申請切れを理由に本国送還となってしまう。

ニコライを愛し始めていた雪子は、彼を追って昌治と共にロシア行きを決意する。

だが、ニコライが恋人と生活していることを目の当たりにした彼女は、彼とは会うことなく、帰国の途に付くのだった。

 

大河の一滴:映画作品情報・あらすじ・評価|MOVIE WALKER PRESS 映画

 

コメント:

 

原作は、五木寛之の同名の随筆作品。1998年に幻冬舎より刊行された。

愛と生と死を巡る、ひとりの女性の心の旅を描いた人間ドラマ。

監督は「郡上一揆」の神山征二郎。

五木寛之による原作エッセイと原案を基に、新藤兼人が脚本を執筆。

主演は安田成美。

 

シネマ1987オンラインの評価は以下の通り厳しい内容になっている。

五木寛之のエッセイと原案から新藤兼人が脚本化し、神山征二郎が監督した。

このベテランコンビならまず死角はないと思えるのに、残念ながら映画の出来は芳しくない。

小津安二郎風のホームドラマを中心にした脚本は、人生の愛と生と死をトータルに描こうという意図があったのかもしれない。

しかし整理がついていない感がある。

前半にある主人公の友人が恋人に金をつぎ込んで、店を潰し、自殺するという描写などは何のために描いたのか。

南野陽子は好演しているのだけれど、映画の本筋に絡んでこないし、語り口が性急すぎる。

後半の物語の焦点となるガンにかかった父親の生き方と、安田成美、渡部篤郎、セルゲイ・ナカリャコフの三角関係を最初から重点的に描くべきだったのではないか。

不要と思える描写もいくつかある。

映画が不本意な出来となった根底にはエッセイを映画化することの難しさがあるようだ。

加えて主人公を演じる安田成美の演技が誤算。

この人、黙っていれば、まだ何とかなるが、セリフをしゃべり、身振り手振りが加わると、その硬さ、稚拙さにあきれるほかない。

もっと自然な演技を身につけてほしいものだ。

脇を固める三国連太郎や倍賞美津子らが自然体演技なので余計にそう感じられる。

渡部篤郎の演技は自然体とは言えないが、うまさを感じる。

 

まあ、この映画は欠点だらけということのようだ。

 

せっかく五木寛之原作なのに、主演女優がこういう難しいキャラクターを演じられないとは。

安田成美という女優は、映画でダメだっただけでなく、テレビドラマでも大穴を開けている。

安田成美は、1994年度下期から1995年度上期にかけて放送されたNHKの連続テレビ小説『春よ、来い』で、1年間ヒロインを演じる予定であったが、撮影途中の1995年2月に「肉体的精神的な疲労による体調不良」を理由に突如降板した。

この件に対し『春よ、来い』原作・脚本の橋田壽賀子が「飼い犬に手を噛まれた」と発言して波紋を呼んだ。

代役は中田喜子が務めた。

 

その5年後に制作されたのがこの映画だ。

完全にミスキャスティングだった。

こういう精神的に欠陥がある女優をこういうレベルの高い作品のヒロインに据えるというのは、人選ミスも甚だしい。

 

相手役が、これまた稚拙な演技というほかない。

恋人のロシア青年・ニコライ役を縁板セルゲイ・ナカリャコが大根役者だ。

この人は、国際的に活躍するフランス在住のトランペッターだったらしい。

 

トランペットはできなくても本職の役者を起用すべきだったのではないか。

 

渡部篤郎、三國連太郎、倍賞美津子、南野陽子といった実力派俳優が脇を固めているのだが。

いくら脇役がしっかりしていても、肝心の主役二人がこれではお話にならない。

こういうのを、役者の無駄遣いという。

 

五木寛之の作品には、本作や「さらばモスクワ愚連隊」など、ロシアが登場するものが多い。

この人は、大学でロシア語科を専攻していたのだ。

 

それにしても、この映画は、「大河の一滴」という大それたタイトルが感じられるものではない。

五木寛之の随筆を原作にした五木寛之自身の原案の作品だという。

映画のストーリーは大ベテランの脚本家・新藤兼人が創作しているのだ。

しかし、一体何を原作から想起してこの映画が出来上がったのか、全然分からない。

原作のコアの1つである「生死」にスポットを当てて物語を作ったのではないかとの意見があるようだが。

現在、この映画に関わる動画は根途上にかけらも存在していない。

 

やはり五木寛之原作の映画は、「青春の門」以外はなかなか良いものがないようだ。

 

 

この映画は、TSUTAYAでレンタル可能:

 

 

 

 

 

気分転換に、この映画と同じタイトルの歌をご紹介する:

 

五木寛之が名付け親だという五木ひろしの「大河の一滴」:

 

 

この歌はこの映画の主題歌だったようだ。

なぜ演歌に英語の部分があるのか分からないが、割と良い唄かも。

 

 

もうひとつは、桑田佳祐の同名の歌。

全然別の作品で、これもなかなか良い感じ、