日本の文芸映画 夏目漱石 「こころ」 市川崑と新藤兼人の2作品をレビュー! | 人生・嵐も晴れもあり!

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夏目漱石 「こころ」

 

こころ / 夏目 漱石【著】 - 紀伊國屋書店ウェブストア|オンライン書店|本、雑誌の通販、電子書籍ストア

 

この作品は夏目漱石の長編小説として高く評価されている名作である。

漱石が亡くなる2年前に出版された。

非常に重苦しい内容であり、人間の心の内側を描いた小説の一つである。

これを映像化するには相当な困難を伴ったのではないかと推察される。

 

まず、漱石の原作のあらすじから:

 

上 先生と私:

 

語り手は「私」。

時は明治末期。

夏休みに鎌倉の由比ヶ浜に海水浴に来ていた「私」は、同じく来ていた「先生」と出会い、交流を始め、東京に帰ったあとも先生の家に出入りするようになる。

先生は奥さんと静かに暮らしていた。

先生は毎月、雑司ヶ谷にある友達の墓に墓参りする。

先生は私に何度も謎めいた、そして教訓めいたことを言う。

私は、父の病気の経過がよくないという手紙を受け取り、冬休み前に帰省する。

正月すぎに東京に戻った私は、先生に過去を打ち明けるように迫る。

先生は来るべきときに過去を話すことを約束した。

大学を卒業した私は先生の家でご馳走になったあと、帰省する。

 

中 両親と私:

 

語り手は「私」。

腎臓病が重かった父親はますます健康を損ない、私は東京へ帰る日を延ばした。

実家に親類が集まり、父の容態がいよいよ危なくなってきたところへ、先生から分厚い手紙が届く。

手紙が先生の遺書だと気づいた私は、東京行きの汽車に飛び乗った。

 

下 先生と遺書:

 

「先生」の手紙。

「先生」は両親を亡くし、遺産相続でもめたあと故郷と決別。

東京で大学生活を送るため「奥さん」と「お嬢さん」の家に下宿する。

友人の「K」が家族との不和で悩んでいるのを知った先生は、Kを同じ下宿に誘うが、これが大きな悲劇を生む。

手紙は先生のある決意で締めくくられる。

 

 

この小説の映像化作品は、以下の通り数多く存在する。

  • 1955年(昭和30年)、「こころ」。日活により映画化。監督は市川崑、脚本は猪俣勝人。配役/野淵先生:森雅之、奥さん(お嬢さん):新珠三千代、梶(K):三橋達也、未亡人:田村秋子、日置(私):安井昌二、女中・粂:奈良岡朋子
 
  • 1959年(昭和34年)、KR(現・TBS)により「サンヨーテレビ劇場」の枠でテレビドラマ化。出演は佐分利信、高橋昌也、夏川静枝など。
 
  • 1968年(昭和43年)、毎日放送により「テレビ文学館 名作に見る日本人」の枠でテレビドラマ化。出演は芥川比呂志、八千草薫、寺田農、内田稔、加藤治子、菅井きんなど。
 
  • 1973年(昭和48年)、『心』というタイトルで近代映画協会により映画化。監督は新藤兼人。配役/K(先生):松橋登、S(K):辻萬長、I子(お嬢さん):杏梨、M夫人(未亡人):乙羽信子、Sの父:殿山泰司
 
  • 1991年(平成3年)、毎日放送により「東芝日曜劇場」の枠でテレビドラマ化。配役/先生:イッセー尾形、K:平田満、先生の妻:毬谷友子、私:別所哲也、佐々木愛など。
 
  • 1994年(平成6年)、テレビ東京によりテレビドラマ化。演出は大山勝美。配役/私:鶴見辰吾、先生:加藤剛(現在)・勝村政信(学生時代)、お嬢さん:葉月里緒菜、小宮(K):香川照之、その他:高橋恵子、岩本多代、堀勝之祐、てらそま昌紀
 
  • 2009年(平成21年)、日本テレビにより、青い文学シリーズ第7話、第8話としてアニメ化。配役/先生:堺雅人、K:小山力也、お嬢さん:桑島法子、未亡人:津田匠子。「下」を先生とKそれぞれの視点から描いた二次創作。
 
  • 2012年(平成24年)、BANANA FISHによりタイトル「蒼箏曲」として映画化。監督は天野裕充。配役/静:勝村美香(若い頃:高田里穂)、先生:尾関陸、K:夛留見啓助。独自の解釈を加えた映画。
 
  • 2014年(平成26年)9月10日、NHK BSプレミアムにより特別番組『秋の文学スペシャル 漱石「こころ」100年の秘密』が放送された。

 

 

上記の中から、1955年公開映画(監督:市川崑)と、1973年公開映画(監督:新藤兼人)の2作品をレビューする。

 

 

「こころ(1955)」

 

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「こころ(1955)」 プレビュー

 

1955年8月31日公開。

夏目漱石の「こころ」を出来る限り忠実に再現している名作。

 

原作:夏目漱石「こころ」

脚本:長谷部慶治、猪俣勝人

監督:市川崑

 

キャスト:

  • 森雅之 - 先生
  • 新珠三千代 - 奥さん
  • 三橋達也 - 梶
  • 安井昌二 - 日置
  • 田村秋子 - 未亡人
  • 鶴丸睦彦 - 日置の父
  • 北林谷栄 - 日置の母
  • 下元勉 - 日置の兄
  • 久松晃 - 旅の僧
  • 下絛正巳 - 周旋屋
  • 山田禅二 - 先生の叔父
  • 伊丹慶治 - 梶の父
  • 奈良岡朋子 - 女中・粂
  • 鴨田喜由 - 医者
  • 河上信夫 - 葬儀屋
  • 山本かほる - 下宿のおばさん

 

こころ』 : サマースノーはすごいよ!!

 

あらすじ:

日置にとって野淵先生は最も尊敬する先生であったが、何かしら不可解な心情の持主の先生でもあった。

ある夏、日置は海水浴に出かけ、ふとこの先生に出会ったが、その一瞬日置は強くこの先生にひきつけられた。

これが縁となり日置は東京へ帰ってからも繁々と本郷西片町の先生の自宅へ勉強に通った。

先生には美しい奥さんがあり、子供はなく、たった二人だけの静かな家庭であった。

しかし先生と奥さんの仲は決して悪いのではないが、かといって幸福でもなさそうであった。

日置はその生活の中に入りこんでいくにつけ先生の孤独な境涯に同情をよせるようになったが、

一方どうしてこの夫婦はこのような暗い空気におおわれているのか不審をいだくようにもなった。

そうした懐疑はやがて先生の徹底した人間嫌いの思想の根本をつきとめようとさえ感ずるようになった。

翌年日置は大学を卒業し、先生に就職口を依頼して重病の父の看病に信州の田舎に帰ったが、その間に先生は自殺してしまった。

先生は明治天皇崩御の報をきいて、明治の精神の終焉を淋しく悟りながら死んで行ったのだった。

先生は就職の約束を果そうと思い、せめて自殺の前に一目会いたいと日置に電報を打ったが、あいにく日置の父も危篤で上京出来なかった。

そこで先生は、自分の歩いて来た今日までの、荊の道を、細々と書きつらねて日置に送った。

日置は重病の父の床でこの手紙を手にした。

その文面には「この手紙の着く頃には、自分はこの世にはいないでしょう」と書いてあった。

日置はいそいで車中の人となった。

その手紙は先生の遺書であった。

先生はかつて伯父のために故郷の財産を横領され、のみならず、政略結婚をまで強要されそうになり、それが原因して人間への信頼を失うようになった。

大学に入ってから先生は哲学を専攻する学生梶と親交を結び、縁故を頼って戸田山家に下宿した。

その家は未亡人と娘の二人暮しであった。

先生と梶は娘をめぐって暗黙のうちに恋を争った。

梶は仏教を研究していたが、性格は陰気で意固地であり、一本気であった。

先生は娘が自分よりも梶に心を傾けているならば、自分の恋は告白する価値のないものだと思っていたが、未亡人が梶を嫌っているのを知り、ある時、思いきって結婚を申し込んだ。

先生の願いはきき入れられた。

梶はそれを知り憤慨した。

「お嬢さんが俺の部屋に入ってくる度に、俺の心はお前を裏切る罪の意識とお嬢さんを愛する喜びでおののいていた」とよく語った梶にとって先生の行為はまさに裏切りであった。

そして梶は落胆のあまり自殺した。

友を意識しながら愛情にひかれ、友を裏切った罪悪感に先生の厭世思想ははげしくなっていった。

やがて娘と結婚した先生は月一度梶の墓参にいったが、それにも決して妻を一緒に連れていかなかった。

それも梶のことを妻に思い出させたくない先生のエゴイズムからであった。

日置は以上のことを知り謎が解けたような気がした。

本郷西片町の先生の家は暗く沈んでいた。

奥さんは日置をみるや、玄関をかけおりて来た。

奥さんの泣きはらした頬にまた新しい涙が流れた。

 

こころ | 映画 | 日活

 

コメント:

 

市川崑監督の本作は、かなり原作に忠実な映画化だ。


市川崑が日本文学の名作と呼ばれる小説を次々と映画化するのは、60年代に入ってからの大映時代だが、この「こころ」は、そうした文芸映画路線の先駆けとも言えよう。

市川崑演出は、モダニストとしてのシャープな切れ味を見せつつも、全体としては堂々たる貫禄を示して、漱石の代表作をきちんと映像にしてみせている。

そして、小心者でもあるエゴイストをリアルに演じた森雅之も、彼の“裏切り”に遭ってしまう親友の三橋達也も、若々しい娘時代と疲れた人妻時代を鮮やかに演じ分けた新珠三千代も、それぞれいい仕事をしている。

 

この「こころ」という題材は、いかにも映画にしにくい作品だ。
そもそも夏目漱石ものは映画になりにくいといわれている。
そして夏目漱石自身の異常体質について言及できないものだから、なかなかその作品の本質に迫りにくいのである。

この映画はこれが精一杯だと思われる。

この映画を奥深く体感するためには夏目漱石そのものに近づかないとなかなか理解が及びにくいが、若き日の市川崑監督はまさにそれに挑戦したとい言えるだろう。

本来の主人公は安井昌二演じる日置である。

原作もそのような形式だ。

しかし、この映画では、森雅之扮する先生の目を通して、自分が今職にもつかずに過ごしている理由を回顧形式で映像化しようとしている。

そしてその先生のよりどころのない実態に若き日に死なせてしまった友人の存在がいることが映画の後半からどんどん描かれてゆく。

この友人と先生の関係が、先生の妻との関係に大きく寄与している、という話だ。

「性と死」という問題がその人物像の生い立ちを彷彿とさせて、格差問題などが絶妙に表現されている深い話なのだ。

cb11254『こころ』プレス 市川崑 夏目漱石 森雅之 新珠三千代 三橋達也 田村秋子 安井昌二 - getategitim.com

それにしても森雅之という人は、こういう神経質な性格の人物を演じさせると絶品だ。

新劇出身で演技派であることはだれもが認めるところだが、『白痴』とか『浮雲』とか、じめじめした演技を披露している作品については見事というほかない。

三橋達也も、彼の作品群でいえば『洲崎パラダイス 赤信号』で演じた役にも重なる悩み多き存在を見事に演じ切っている。

そうした総合的な見方も含めてこの映画の重さは現代にも通じる面があるように思える。

 

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「心(1973)」

 

映画 心 (1973)について 映画データベース - allcinema

 

「心(1973)」 全編

 

 

1973年10月27日公開。

二人の若い男と一人の娘をめぐる愛の葛藤にスポットをあて、人間の生命の根元としての裏切りと性を凝視する作品。

 

原作:夏目漱石「こころ」

監督・脚本:新藤兼人

 

キャスト:

  • 松橋登 - K 
  • 辻萬長 - S 
  •  杏梨 - I子 
  • 乙羽信子 - M夫人 
  •  殿山泰司 - Sの父 

 

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あらすじ:

光に溶けた爽かな緑の流れ。

蓼科の樹立するミズナラの林に背を向けて一人の男が立っている。

十年前の初夏、彼・Kは二十歳の学生だった。

彼は古き東京の残りをとどめる本郷縁きり坂の古い家を訪れた。

彼は和服を上手に着こなしたM夫人を前に、部屋を貸してくれるように頼んだ。

主人を戦争で失い、娘と二人で暮しているM夫人は、小遣いかせぎに部屋を貸そうとしていた。

真面目な方をという条件もさることながら、父親の遺産を受けついでいる、というKに夫人の心が動いた。

この家に下宿してからKの生活は快適だった。

美しい娘・I子の存在。

Kには夫人がI子を自分に接近させようと作為しているように思われた。

Kは中学時代からの親友のSが生活に困っているのに同情し、自分の部屋の隣りに住まわせることにした。

Sが引越してくると間もなく夏休みになった。

KはSの心をほぐすために一家で蓼科の山小屋に遊びに行くことを考えた。

丸一日山小屋にいて、夫人は先に帰っていった。

三人が白樺の林を散歩しているうちにKがとり残されてしまった。

追いつこうと足を早めたKは、茂みの中からI子とSが出て来るのを見た。

思いなしかSの表情は硬かった。翌朝、蓼科山に登れるか、というI子の問いに、気負い立ったSは登り始めた。

数時間たって、夕食の用意をしているKとI子の前に、よろめく足を引きずりながらSが帰って来た。

「蓼科で何があったんですか」人が変わったように元気になったSのことを夫人はKに聞いた。

ある日、Kを誘い出したSは、I子を愛してしまったことを告白した。

まだI子には告白していない、というSの言葉にKは内心ほっとした。

翌日、Kは夫人と二人きりになった時「お嬢さんを私にください」と切りだした。

その瞬間、わが意を得たかのように夫人の表情が変わった。

このことをSに知らせなければならない、と思いながらも、Kには決心がつかなかった。

数日が過ぎた。夫人がSにKとI子のことを話したようだった。

「彼は何といいましたか」Kは息をつめて聞いた。

「喜んで下さったようですよ」夫人は明るく言った。

真夜中、うなされ、寝汗をかいたKは、隣室の異常さに気づき、Sに声をかけた。

Sは、右手に剃刀を握ったまま血の中にうずくまって、息絶えていた。

机の上にはKにあてた遺書が残されていた。

この友人によって暗示された運命の恐ろしさに、Kはただふるえていた……。

 

1973年>映画「心」 | オイラのブログ - 楽天ブログ

 

コメント:

 

二人の若い男と一人の娘をめぐる愛の葛藤にスポットをあて、人間の生命の根元としての裏切りと性を凝視する。

 

夏目漱石の「こころ」を新藤兼人が独自解釈で映画化した作品。

 

原作は、(上)先生と私、(中)両親と私、(下)先生と遺書。

この3つに区分されているが、なんとこの映画は 「(下)先生と遺書」だけを映像化しているのだ。

原作のイメージとは相当異なる別物である。

 

映画録33》上映会で映画『心』を観て | さびたん33のブログ

 

人間のエゴ・・・心の声がナレーションとして入る・・・。主人公の行動(親友を裏切る)は往々にして理解できる状況、動物の様に本能で生きれば悩まないですむのだが、人間は厄介な生き物である・・・。

 

新藤兼人という異色の映画監督・脚本家が、自分の色で漱石の名作を作りなおしてみたといえる独自の作品である。

 

現代のシチュエーションで撮られている。

 

冒頭に先生の自殺旅行と思われるシーンが出てきて回想のようなつながりで先生の大学生時代になる。

本郷の母娘が経営する下宿に入居し困窮した親友を空いた部屋に入れる所までは原作と同じだが、夏休みに皆で蓼科に避暑に行くという設定になっている。

東京に帰ると娘をめぐってのバトルが勃発したようになる。

娘は無愛想だがセクシーで美人の設定だ。

主人公は何故か焦るが先に告白したのが親友だった。

だが気が弱いのか主人公に告白したのである。

普通の青春ドラマならここで親友の為に身を引くのが定番だがここでやや異常な展開になる。

主人公が親友と恋愛論になった時ちょっと挑発して詰るような事を言ってしまう。

そのあと親友を出し抜いて母親と談判し結婚の話をつけてしまう。

このことを知った親友は原作どおり自殺してしまった。

鬱病が悪化したのか当てつけなのかよく分からないが主人公の受けたショックも計り知れないだろう。

母親はあわてず騒がず郷里に電報を打たせて事件を処理をしてしまう。

二人は蓼科へ新婚旅行に行く。

東京に帰った主人公は自責の念から精神が荒廃してゆく。

主人公は一人で蓼科に行き自ら山に登るところで映画は終わる。

 

男と女の関係が三角関係になると難しいという話だけが頭に残る。

漱石が言わんとしたこととは別のお話になった。

 

この映画は、今ならYou Tubeで全編視聴可能。

 

総評:

 

夏目漱石の作品は、晩年になるほど難しくなり、映画化しにくいものになっていった。

 

その理由は、万人に楽しさを与えるような雄大さ、爽快さ、面白さとは真逆な内容になっていることが挙げられる。

 

夏目漱石は、少し前まで日本国の千円札に使われていたほど有名な文豪だ。

たくましい口髭と、凛々しい眼差しの写真で有名な漱石だが、実は非常に神経質で、体が弱く、病気がちだった。

昔から、神経質で癇癪持ちであった夏目漱石は、ストレスに耐性が低かったといわれている。

現代の医療技術から考えると、実はうつ病と統合失調症の気があった可能性まで浮上しているのだ。

壮年期に、国費留学生となって英国文学研究のために渡英しているが、そこで、人種差別に悩み、日本人が英文学を学ぶ意味に迷っていたという。

帰国後、当時の一高と東京帝国大学という一流の学校で教鞭を取ることになった夏目漱石は、生徒を厳しく叱責してしまう。

その後、その生徒が自殺してしまったことから、漱石はいよいよ本格的な神経症の症状を表わす。

家では家族にキレて八つ当たり、外でもレストランの客と喧嘩するなどということは日常茶飯事だった。

繊細過ぎたといえばそれまでだが、これをきっかけにさまざまな病気を呼び込んでいく。

漱石の晩年は、健康であった時期のほうが少ないほどだった。

漱石の死の原因はいったい何だったのか?

漱石は、ストレスに弱く、非常に神経過敏だった。

そのため、過食や、糖分依存などに陥り、胃腸に負担をかけすぎたともいわれている。この過食行為の結果、漱石の胃の消化機能は、低下の一途をたどった。夏目漱石の直接の死因は、腹部の膨大な内出血によるものとされているが、その遠因となったのが胃潰瘍だった。

漱石は、死ぬまでに、5回以上大きな胃潰瘍を患っている。最初はそこまで深刻ではなかったが、ストレスに弱い夏目漱石の性格と神経症とが治療の効果を妨げた。ストレスを解消するために大食いをし、甘いものを食べる夏目漱石。時には、ジャムをそのまま瓶からすくって舐めていたという。

このような食事の仕方が、胃酸の過剰な分泌と、胃壁の異常を呼び、複数回の胃潰瘍を再発。晩年は、消化機能の衰えた胃の影響で痔を患い、さらに糖尿病まで併発させてしまった。医者の助言から、漱石は、伊豆の修善時に療養に赴くが、そこで800ccにも及ぶ血を吐いてしまった。

これが俗に言う「修善時の大患」だ。漱石は一命をとりとめたものの、その後ほどなくして腹腔内の大量内出血を引き起こし永眠した。

ストレスは万病のもと。

夏目漱石は、文豪ゆえに、逃れられなかったのだろうか。

享年49歳。

 

こんな原作者が病気に苦しみながら、人間が持つエゴと善のこころを必死で文字にしたためた「こころ」。

文学者の労苦を偲びながら、その映画化作品を観たいものだ。