「霧の中の風景」
(ギリシャ語: Τοπίο στην ομίχλη;英語: Landscape in the Mist)
1988年9月10日公開。
アテネからドイツへ父親を探して旅をする幼い姉弟を描いたドラマ。
ギリシャ・フランス・イタリア合作映画
受賞歴:
第45回ヴェネツィア国際映画祭・銀獅子賞。
第2回ヨーロッパ映画賞・作品賞。
原案:テオ・アンゲロプロス
脚本:テオ・アンゲロプロス、トニーノ・グエッラ、タナシス・ヴァルニティノス
監督:テオ・アンゲロプロス
キャスト:
- ヴーラ:タニア・パライオログウ
- アレクサンドロス:ミカリス・ゼーケ
- オレステス:ストラトス・ジョルジョグロウ
- トラック運転手:ヴァシリス・コロヴォス
- 旅の一座の女優:エヴァ・コタマニドゥ
あらすじ:
12歳の少女ヴーラ(タニア・パライオログウ)と5歳の弟アレクサンドロス(ミカリス・ゼーケ)は、ドイツにいると聞かされている父に会いに行きたいがため、毎日夜のアテネ駅にやって来るが、列車に乗る勇気はなかった。
しかしある日、ついにふたりは列車に飛び乗った。
切符がないふたりはデッキで身を寄せて眠る。
夢の中でヴーラは父に向けて話しかけるのだった。
無賃乗車を車掌にみつかったふたりは途中の駅で降ろされ、行き先を尋ねる駅長(ミハリス・ヤナトゥス)に伯父さんに会うのだ、と答える。
警官がふたりを連れて伯父(ディミトリス・カンベリディス)の勤める工場を訪ねると、伯父は警官(コスタス・ツァペコス)に、ふたりは私生児で父はいないと話す。
それを立ち聞きしたヴーラはショックをうける。
警察署に連れていかれたふたりはそこを逃げ出し、旅を続ける。
山道でふたりは、旅芸人一座を乗せたバスに乗せてもらい、彼らと行動を共にする。
その夜、ふたりはバスの運転手オレステス(ストラトス・ジョルジョグロウ)と、道に落ちていたフィルムの切れはしを拾う。
そこには白い霧の中に、見えるか見えないか程度にうっすらと一本の樹が写っていた。
旅芸人たちと別れたふたりは、雨のハイウェイでヒッチハイクしたトラックに乗せてもらうが、翌朝アレクサンドロスが眠っている間にヴーラは運転手(ヴァシリス・コロヴォス)に犯される。
次に乗った列車で警官に見つかりそうになったふたりは、逃げこんだ工場でオレステスと再会する。
ふたりはオレステスのオートバイで海岸を走り、テサロニキ駅にたどりつく。
再びオレステスと別れたふたりは、ドイツを目指して歩き始める。
北方の駅で、ヴーラは人のよさそうな兵士(イェラシモス・スキアダレシス)を誘い切符代を稼ごうとするが、彼は何もせず金を投げ捨てるようにして去った。
夜行列車で国境までやってきたが、旅券がないふたりは、川べりで監視の目を盗んでボートに乗る。
彼らに向けて放たれる一発の銃声。
翌朝、
霧の中で目覚めたふたりが対岸に降り立つと、ゆっくりと霧が晴れ、緑の草原と一本の樹が現われた。
ふたりは手を取り合ってその樹に向かって駆け出すのだった。
コメント:
テオ・アンゲロプロス監督の作品の中でも世界に認められた佳作である。
ファンによると、観る度に新しい発見があるという。
想像力を掻き立てられる詩的で演劇的な、そして美しく繊細で残酷な作品である。
まだ幼いヴーラとアレクサンドロスの姉弟は、ドイツ行きの国際急行列車に乗るために駅のホームにやって来た。
しかしすんでのところで列車は発車してしまう。
どうやら姉弟はいつもホームに来ては、列車を乗り過ごしているらしい。
精神病院の金網の中にいる通称カモメさんにドイツへ行くからとお別れを告げるのもいつものこと。
二人はドイツにいるという父親に会うために列車に乗ろうとするのだが、あと一歩のところで踏ん切りがつかずにいた。
アレクサンドロスはいつも夢の中で父親に会っているらしい。
あくる日、ついに二人は意を決して列車に飛び乗る。
ヴーラは顔も知らない父親にこれから会いに行くと語りかける。
しかし無賃乗車が発覚した二人は途中の駅で降ろされてしまう。
ヴーラは工場で働く伯父に会いに行くのだと駅長に嘘をつく。
二人は警察の車で伯父の元へ連れていかれるが、そこでヴーラはドイツに父親がいるというのは母親の作り話なのだと伯父が警察に話すのを聞いてしまう。
ヴーラは父親はドイツにいるのだと泣きながら反論する。
ここのシーンほど可哀そうな場面はない。
泣ける。
二人は警察に連れていかれるが、警察も町の人々も何故か突然降りだした雪に見とれてしまい動かなくなる。
その隙に逃げ出した二人は道中で旅芸人の一座の運転手をしているオレステスに拾われる。
ベテラン役者ばかりが揃った一座だが、彼らには公演をする場所がない。
オレステスは屑籠からフィルムの切れ端を拾う。
彼は霧の向こうに一本の木が見えると二人に話すが、実際には何も写っていない。
そのフィルムをアレクサンドロスは大事にしまいこむ。
雨が降りしきる中、ヴーラはヒッチハイクをして年配の男の運転するトラックに乗せてもらう。
しかしヴーラは男にトラックの荷台に連れていかれ強姦されてしまう。
露骨な性描写はないものの、犯されたヴーラが血を流す場面はかなりショッキングだ。
日本の映画でこれだけ残酷シーンはない。
映倫が許可しないだろう。
そしてこの経験が確実にヴーラの内面を変えてしまう。
オレステスに再会したヴーラは、冬のビーチでダンスに誘う彼の手を振りほどいて駆け出してしまう。
彼女の中で失われたもの、そして新たに目覚めたもの。
ずっとニット帽を被っていたヴーラが、オレステスとの再会から髪を下ろしているのがとても印象的だ。
彼女の目付きも少女から大人の女性に変わったように感じられる。
ホテルで目覚めた彼女はアレクサンドロスが眠るベッドから抜け出して、オレステスの部屋を訪れる。
しかし部屋には誰もいなかった。
その頃、オレステスは海から上がった巨大な手の石像を眺めていた。
ヘリコプターに吊るされる巨大な手と、それを見送る三人の姿がとても印象的だった。
確実にヴーラはオレステスに恋をしていた。しかしオレステスが二人を連れて行ったのは、明らかにゲイが相手を探すために集うバーだった。
オレステスは一人の若い男と連れ立って出ていく。
夜のハイウェイをヴーラはアレクサンドロスの手を引きながら急ぎ足で歩いていく。
後ろからバイクに乗ったオレステスが、こんな形で別れたくはなかったと追いかける。
そして彼はヴーラを抱き締め、最初の時は誰でもそうなんだと呟く。二人はオレステスに別れを告げる。
ドイツまでの電車賃が足りないことに気づいたヴーラは、自分が女であることを武器にしようとする。
売春をしようかどうか迷うヴーラ。
そして声をかけられた男もおもむろに煙草に火をつけ、辺りの様子を伺う。
男は一度は誘いに乗ったものの、自分の愚かさに気づき金だけを置いて去っていく。
これは、とんでもない少女売春のシーンだ。
彼女はまだ12歳だ。
だが、客の男にはまだ良心があり、カネだけを置いて消えて行く。
観る者がほっとする場面である。
列車には乗れたもののパスポートのない二人は途中下車をし、川を渡って国境を越えようとする。
ボートに乗り込む二人だが、監視員に見つかってしまう。その直後に銃声が轟く。
二人が目を覚ますと、辺りは霧に覆われていた。
そして霧が少しずつ晴れると、目の前にはいつかオレステスがフィルムに写っていると話した一本の木が現れた。
二人は木に向かって走り出す。
とても幻想的で、そしていつまでも記憶に残る名シーンだ。
結局存在しない父親を追いかけて二人がたどり着いた場所は天国だったのだろうか。
饒舌な映画ではないので想像するしかないのだが、とても美しく悲しい結末だと感じられるシーンになっている。
二人が何故母親の側を離れて、父親に会いにいこうと思ったのかは明らかにされていない。
子供たちが寝静まっているかどうか、母親が子供部屋のドアを開けるシーンがあるが、母親の気配を感じるのはこのワンシーンだけである。
二人は寝たふりをするが、この二人の様子からどのような母親であるかを想像するしかない。
決して難解な作品ではないが、色々と意味を考えさせられるシーンは多い。
正直海に浮かぶ巨大な手の意味は分からなかった。
幼い子供たち二人が無力であることを象徴するシーンも多かった。
こんな幼い子供たちを主人公にしたこの残酷な映画は、一体何を言いたいのだろう。
おそらく、第二次大戦後の欧米の経済発展の陰で、過去の栄光だけを遺産として取り残されて行くギリシャの国情を、この幼い二人のあてもない旅になぞらえて、ギリシャ人の苦悩を象徴しているのではないだろうか。
ギリシアに深く根差したアンゲロプロス監督の作品群は、近代ギリシア史へのある程度の知識を観客に要求し、加えて徹底的に寡黙な筆致は難解な印象が強く、極めて敷居が高かったようだ。
だが本作は それら政治的メタファーを度外視しても 作品が完全屹立する圧倒的美的詩性を放っており、アンゲロプロス作品中で「見易さ」の点でも最高に挙げる事が出来るとの評価がある。
テオ・アンゲロプロスは、ギリシャを代表する映画監督である。
1935年、アテネで生まれ、子どもの頃に第二次世界大戦や1940年代後半の国内の政情不安を体験。
アテネ大学法学部を卒業後、兵役を経てフランスのソルボンヌ大学、高等映画学院に留学。
帰国後は映画雑誌で批評活動を4年間展開した後、1968年に短編ドキュメンタリー映画『放送』を自主製作して映画監督としてデビュー。
1970年に初の長編作品『再現』を監督した後、ギリシャの現代史を題材にした3部作『1936年の日々』(1972年)、『旅芸人の記録』(1975年)、『狩人』(1977年)を発表し、世界的な名声を獲得する。
1980年に『アレクサンダー大王』でヴェネツィア国際映画祭 審査員特別賞を、1988年には本作『霧の中の風景』でベネチア国際映画祭銀獅子賞を、1995年に『ユリシーズの瞳』でカンヌ国際映画祭審査員特別賞を、1998年に『永遠と一日』でカンヌ国際映画祭パルム・ドールを受賞している。
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