「雨」
(原題:Rain)
原作:ウィリアム・サマセット・モーム
脚本:ジョン・コルトン、クレメンス・ランドルフ、マクスウェル・アンダーソン
監督:ルイス・マイルストン
キャスト:
- サディ・トンプソン:ジョーン・クロフォード
- アルフレッド・デヴィッドソン:ウォルター・ヒューストン
- ティム・オハラ:ウィリアム・ガーガン
あらすじ:
またしても雨である。
降って降ってこの世の終わりまで降り続く雨の下に、南海パゴパゴ島の土はいつも濡れて土地は泥沼、人の心は重苦しく打ちひしがれている。
どうかして、その雨が降りやむ瞬間があるのだが、それは次の雨への休息の、ほんの僅かな時間に過ぎない。
サディ・トンプスン(ジョーン・クロフォード)は、とうとうこんな島まで来てしまった。
生まれたのはカンサスだった。
サンフランシスコへ行って働いていたのに、あられもない罪名を着せられて、逃げてホノルルへ行った。
やがて彼女はイヴェイリの女にまでなり下がった。
人に後指をさされる魔窟の女。
一目見て、それとわかるしがない稼業の女。
彼女は船に乗っていた、南洋アビアが彼女の落着く先だ。
けれど、伝染病の発生が、船の乗客たちを、2週間パゴパゴ島に止めることにしてしまった。
パゴパゴの雨の下、島にただ一軒のホテル、ジョー・ホーン爺さんの雑貨店が彼女たちのたまり場だった。
サデイの他に、伝道師デヴィッドスン(ウォルター・ヒューストン)夫妻や、マクファイル夫婦がいた。
今まで人の世から白い眼で睨まれて来たサデイは、こんな未開の土地へ来ても、堅気の人々の白い眼を避けることが出来ない。
頑強な信念を持つ伝道師デイヴィッドスンは、この汚れた女の性を救ってやろうと思った。
暴力に訴えても彼は女を救わなければならぬ。
アメリカへ帰って、たとえ無実にせよ、犯した罪の償いを受けるがいい、その魂を救うために。
最初、サデイは、こんなお説教を鼻であしらうことが出来た。
昨日は昨日、今日は今日、これが彼女の生き方だ。
島に駐在しているオハラ軍曹(ウィリアム・ガーガン)が、サデイに優しくしてくれた。
孤独の彼女には、それが悦びだった。
2人は恋に堕ちた。サデイの前半生がどうあろうともオハラは彼女を連れてシドニーへ逃げる、
新しい生涯が、そこで始まる。
デイヴィッドスンの目をかすめて、そんな準備がすすめられていた。
オハラが、サデイとの交際が醜聞として伝えられ、営倉へ入れられた夜のことだった。
デイヴィッドスンは、この倫落の女の前に立ちはだかった。
その眼には信仰の火が燃え、その言葉は、神の使いのように敬虔だった。
女の魂は打ち負かされたのである。
オハラが脱走した夜、サデイはまるで別人だった。
彼女は殉教者としての生活に入った。
肉の悦びを棄て、サンフランシスコへ帰り、刑に服する償いの日をひたすら待つ。
一緒に逃げようというオハラの言葉さえ、彼女には悪魔の囁きの如く聞こえるのだ。
彼女を愛すればこそ、オハラは去って行った。
サデイの魂を神よ清め給え。
その夜、相変わらずの雨だ。
デイヴィッドスンは、彼女の部屋の窓下にいた。
原住民の打つ太鼓の音、執拗な雨の音。
寝つかれぬ彼は、窓辺を歩いた。
かつて救った女の安らかな寝息が聴えて来る。
雨、雨。
神の使徒は、1人の人間になった、野獣になった。
夜が明けると、女の部屋からセントルイス・ブルースの音色が捨て鉢な調子で流れて来たのだ。
たまたま訪れたオハラも、ホーン親爺が目をみはったのはいうまでもない。
部屋が開いて、昔のままの姿でサデイが立っていた。
イヴェイリの女としての姿だ。
そして、その瞳は裏切られた憤怒に燃えている。
男なんか、どいつもこいつも豚同然だ!
今、しかし彼女の顔から怒りが消えた。
島の人々は、伝道師の死骸が昨夜の波に打ち上げられたことを伝える。
デイヴィッドスンは罪のつぐないをしたのである。
朝の空は珍しく晴れていた。
サディは、いつも親切だったオハラを見た。
若し、彼が今でも自分を愛してくれるなら。
オハラは、変らぬ愛情の手で彼女の肩を抱いた。
2人は甦えった心で、シドニーでの新しい生活を明るく心に描いている。
コメント:
原作は、『月と6ペンス』で有名な小説家・サマセット・モームによる小説『ミス・トンプソン(雨)』。
1922年ニューヨークで初演されたジョン・コルトンとクレメンス・ランドルフ作の戯曲『雨』の映画化。
ルイス・マイルストンが監督・製作。
ジョーン・クロフォードとウォルター・ヒューストンが主演した。
MGM専属時代のクロフォードにとっては数少ない他社出演でもあった。
この映画は、「宗教と人間」というテーマを、宣教師と娼婦という2人を対峙させることで、文明社会における宗教の傲慢さを辛辣なまでに描いた作品である。
ヒロインの娼婦・サディという女性は、宣教師夫妻の価値観からみると堕落しきった人間なのだ。
だが、なぜか自分の感情を素直に出す彼女が、作中では一番真っ当な人間にも思ええるほど人間らしさが感じられ、大いに興味惹かれる存在。
そんなサディをジョーン・クロフォードは実に魅力的に演じている。
「セントルイス・ブルース」の曲がサディの蓄音機から流れだし、その曲にのってマニキュアをどぎつく塗った爪をした手が入り口をしっかとつかむ。
その腕には幾重にもブレスレットがはめられ、さらに同じようにもう片方の手が、腕が戸口に伸びる。
そしてヒールの靴に網タイツ、その足にはアンクレット。
そして最後にアイメイクもばっちりとほどこしたサディの顔が映し出される…。
サディの登場はドラマティックだ。
冒頭、砂浜や草花などに雨滴が落ち始め、やがて大雨となる中、島に駐在する海兵隊員の行進を描いてゆく画面作りや、船客紹介後にヒロインを登場させる編集に、サイレントからトーキーに移行したばかりの頃のリズムを堪能した。
自分を善導しようとする敬虔なクリスチャン男に、一度は感化されたかに見せながら、結局男を自殺に追い込むという、ヴァンプの代名詞とも言われるサディ・トンプソンというあばずれ女。
これぞジョーン・クロフォードの当たり役だと納得する作品になっている。
やはり、ジョーン・クロフォードという女優が、米国のトップ女優だということを見せつけている。
これは、サマセット・モームの代表作であり、ジョーン・クロフォードの存在感が最も輝いている作品なのだ。
サマセット・モームは多くの文学作品を残しているが、そこに描かれているのは、さまざまな男と女の間の愛と憎しみと諍いだ。
映画化されたものも以下の通り数多くある。
- スエズの東 (1925)
- 港の女 (1928)
- 雨 (1932)
- 凡その人生 (1933)
- 痴人の愛 (1934)
- 彩られし女性 (1934)
- 間諜最後の日 (1936)
- 月光の女 (1940)
- 月と六ペンス (1942)
- クリスマスの休暇 (1944)
- 剃刀の刃 (1946)
- 四重奏 (1949)
- 雨に濡れた欲情 (1953)
- 私の夫(ハズ)は二人いる (1954)
- 島のならず者 (1954)
- 人間の絆 (1964)
- 剃刀の刃 (1984:2度目の映画化)
- 真夜中の銃声 (2000)
- 華麗なる恋の舞台で (2004)
- ペインテッド・ヴェール ある貴婦人の過ち (2006)
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