「太陽を盗んだ男」
1979年10月6日公開。
キネマ旬報の1970年代日本映画ベスト・テン第1位。
ジュリーの出演映画中最高の評価。
受賞歴:
1979年 第4回 報知映画賞 主演男優賞 1979年 第4回 報知映画賞 作品賞 1980年 第3回 日本アカデミー賞 助演男優賞 |
脚本:長谷川和彦、レナード・シュレイダー
監督:長谷川和彦
キャスト:
- 城戸誠:沢田研二
- 山下満州男警部:菅原文太
- 沢井零子(ゼロ):池上季実子
- 田中警察庁長官:北村和夫
- 仲山総理大臣秘書:神山繁
- 市川博士:佐藤慶
- バスジャック犯・山崎留吉:伊藤雄之助(特別出演)
- 水島刑事:汐路章
- 里見刑事:市川好朗
- 石川刑事:石山雄大
- 佐々木刑事:森大河
- デパートの刑事:木樽仙三
- 田所刑事:中平哲仟
- 田中長官の部下・江川:江角英明
- ラジオプロデューサー・浅井:風間杜夫
- 電電公社技師:草薙幸二郎
- サラ金の係員:小松方正
- サラ金の男:西田敏行
- 交番の警官・佐藤:水谷豊
あらすじ:
東海村の原子力発電所が一人の賊に襲われた。
警察庁長官の「盗難の事実は一切ない」という公式発表に山下警部(菅原文太)は疑問を抱いていた。
その頃、中学の物理の教師、城戸誠(沢田研二)は、自分の部屋で、宇宙服スタイルで原爆を作っていた。
城戸は完成した原爆の強大な力で、警察に「テレビのナイターを最後まで放映しろ」と要求、連絡相手を山下警部に指名した。
何故なら、東海村襲撃の下見をかねて生徒たちと原発を見学した帰り、機関銃と手榴弾で武装した老人にバスジャックされたとき、生徒を救出し、弾を受けながら犯人を逮捕した男が山下で、教師に飽きた自分と比べ、仕事に命を張った山下に魅力を感じたのだ。
その日のナイターは最後まで放映された。
犯人の第二の要求は麻薬で入国許可の下りないローリングストーンズ日本公演だった。
次に城戸は原爆を作るのにサラ金から借りた五十万円を返すために五億円を要求した。
金の受け渡しに犯人と接触出来ると、山下は張り切った。
金を受けとったとき、警察に包囲された城戸は、札束をデパートの屋上からばらまいた。
路上はパニックと化し、そのドサクサに城戸は何とか逃げ出す。
やがて、城戸は武道館の屋上で山下と再会、二人はとっくみ合ううち、路上に転落、山下は即死するが、城戸は原爆を抱いたまま木の枝にひっかかって命びろい。
タイムスイッチのセットされた原爆を抱いて街を歩く城戸。
そして城戸の腕の中で、強烈な光が……。
コメント:
何度観ても凄くて面白い長谷川和彦監督の大傑作!
全編にわたって盛り上がりまくる映画だが、特に、ラストのインパクトは超重量級。
「原爆を作って政府を脅迫する」という内容の日本映画。
大掛かりなカーアクション、国会議事堂や皇居前をはじめとしたゲリラ的なロケーションが話題になった。
シリアスで重い内容と、エネルギッシュな活劇要素が渾然となった作品である。
原子爆弾製造や皇居前バスジャックなど、当時としてもかなりきわどい内容となっている。
公開時、数々の映画賞に輝いたが、本作は長らくカルト映画の位置付けで、発売されていたビデオも廃盤になるとレンタルビデオ店でも見つからず、視聴が困難な時期があった。
しかし、年々一般的な評価を高め、『キネマ旬報』1999年「映画人が選んだオールタイムベスト100」日本映画篇では13位、2009年「オールタイム・ベスト映画遺産200(日本映画編)」〈日本映画史上ベストテン〉では歴代第7位に選ばれた。
1970年代以降の作品としては、『仁義なき戦い』の第5位に次ぐものである。
『キネマ旬報』2018年8月上旬号「1970年代日本映画ベスト・テン」では『仁義なき戦い』を逆転し、第1位に選ばれている。
学校で科学を教えている教師(沢田研二)が、自分の得意分野の化学技術を駆使して、交番の警官から拳銃を奪い、「原爆は誰にでも作れる、プルトニウム239さえあれば…」と授業で教えながら実際に東海村からプルトニウムを盗む。このプルトニウム盗むシーンではストップモーションが効果的。
そして、自宅アパートで原子爆弾を作るシーンがリアリティあり。
(妊婦姿に)女装して、国会に原爆見本を置いてくる場面は、沢田研二だから女装も似合う。知的な教師、女装する男、アクションシーン……この映画が持つ要素にマッチするのは沢田研二ぐらいしか居ないのではなかろうか。ハマリ役だと思う。
そして、原爆が完成すると、政府に対して「第一の要求:巨人戦を最後までテレビ中継させろ」、「第二の要求:ローリング・ストーンズの武道館公演を開催させろ」などと要求していく原爆男=“9番”の男。その後、丸の内警察の刑事(菅原文太)とのカーチェイス&バトルも見もの。
トコトン面白い!!
DJ役の池上季実子もなかなかイイ味だしていて、DJでかけていた曲がカルメン・マキ&OZの「♪私は風」…これ名曲!
スタジオバージョンも良いが、ライブバージョンの方が更に良い。
新宿歌舞伎町の映画館で上映されている映画が『スーパーマン』で「あなたも空を飛べる」という宣伝文句も懐かしい。
この映画の後日談が面白い:
城戸が妊婦に化けて国会議事堂に潜入するシーンは、美形の沢田だから監督の長谷川が思いついたアイデアだ。
内容から撮影許可は降りないので、逮捕覚悟の隠し撮りである。
沢田は
「守衛さんは1人だったんだけど、最初『あれっ、あれっ』で顔をしていたんだけど、止めに入らないんで『オレいいのかな』と思いながら歩きました。
撮り終わった瞬間、『それっ』ってスタッフたちが僕を連れ出して、逃げ帰ったんです(笑)」
などと話している。
撮影当日は、長谷川が助監督全員に背広ネクタイ着用を指示したが、背広姿の長谷川はヤクザ風、助監督だった相米はクアラルンプールの赤軍の犯人みたいな風貌になり、かえって怪しまれたという。
沢田には「5分間頑張れ」と指示し、警官との押し問答を隠し撮りした。
冨田均は
「映画も信じがたい話だが、このロングショットには、東京映画もここまで来たか、と感動した。
『太陽を盗んだ男』は指折りの東京映画」と評している。
沢田は吹き替えを使えるシーンでも出来るだけ自分で演じたがり、また長谷川がOKを出しても、自身で上手くいかなかったと思ったら撮り直しを要求するため、その分時間もかかった。
しかしスーパースター・沢田の熱意が現場のテンションを高めた。
長谷川は初めてがっつり沢田と仕事をして、ナルシスティックで華美なヤツかと思っていたら、凄い硬派で、長谷川は沢田を「沢田」と、スタッフは「沢田さん」と呼び、沢田もそう呼ばないと返事をしなかったという。
製作発表会見で、沢田は
「映画らしい映画は今回が初めてです。
ドデカイ話だけに、全力で限界に挑戦します。
20代のつもりで、最後の青春映画のつもりでやります」
と決意を述べた。
沢田は振り返って、1982年のインタビューでは
「『太陽を盗んだ男』はやっぱり入れ込んでたし、監督とウマが合ったっていうか..あのしつこさっていうか..もうゴリゴリ押してくるって感じの人だから、それに負けまいっていう感じが凄くよかったし、ほとんど出ずっぱりだったし、『やってるんだ!』という実感が強かったです。
それで映画の面白味が分かってきたというか、映画もちゃんと演りたいと思ったのは『太陽を盗んだ男』からです」。
1991年のインタビューでは
「タイガースの映画は学芸会でしたね。
当時は現場そのものが怖かったですよ。
大人の世界に入っていく感じでしょ。
一本目の和田嘉訓監督ね、いま思えば可哀そうだと思うよ。
タイガースの映画撮らされて、自分が思っていた映画ではないと思うんですよね。
あの人監督辞めちゃったでしょ。
たぶんタイガースに責任があると思いますよ(笑)、
それをやらせた東宝とね。
タイガースの映画はもう一度見たいとは思わないですね。
でも『太陽を盗んだ男』は公開当時よりも、今見た方が面白く楽しめると思いますね。
当時、荒唐無稽と盛んに言われたけど、今なら割とリアルに見れると思います」
などと話し、
2002年のインタビューでは
「僕にとって映画というものが自分のエネルギーを注ぐ価値のあるもので、『ああ映画ってこれだな』と思わせてくれたのは『太陽を盗んだ男』が初めてでした。
それまではタイガースとして映画に出演したりしてましたけど、やっぱりアイドル扱いだったんです。
でもゴジさんに『そういう扱い方はしないぞ』って言われました。
『太陽を盗んだ男』は自信を持って観て欲しいと言える映画です」などと述べている。
長谷川は
「俺は沢田に新人のつもりで使うぞと頭から言った。
沢田があそこまで自分を曝け出して頑張るとは思わなかった。
俺の組であれだけやれば精神も肉体もボロボロだよ。
4分の長撮りで17回のNG。
時間と金が落ちるように使われた。
NGの理由は自分の演技だけとなれば、それは耐えられないよ。
あれ、最後は前後半に分割するかと提案したんだけど沢田が『もう1回だけ』と手をついたんだ。
逆に俺が励まされたよ。
沢田がNGを連発したのは警察に電話をかける長ぜりふのシーンだが、沢田自身はNGは50回以上だったと話している。
菅原文太は静の芝居が苦手な人で、長回しで時間が経つと肩やら足やら貧乏揺すりを始める。
長谷川が「文太さん、それじゃあねえヤクザになるから。文太さんは警視庁の鬼警部なんだから、不動明王のようにボッーと立ってて下さい」と頼んでも、やっぱり貧乏揺すりをやるので、その都度「カーット!」をかける。
菅原は「分かってる、分かってるんだけど」などと言い訳をする。
何度やっても貧乏揺すりをやるので長谷川が遂にキレ「文太サー、また肩!」と言ってしまい、現場が凍り付いた。
長谷川は「文太さん」と言ったつもりだったが、ベテランスタッフに呼び出され、「ゴジ、いくら何でも『文太サー』はさすがに態度デカいだろ」と怒られた。
カメラの鈴木達夫は「菅原文太さんは非常に役者を可愛がる東映という独特の俳優システムで育って来た人ですから。
そういう人がいきなり町場の映画に出てきて、本来なら一回演技すれば『ハーイ、オッケーでーす」みたいな世界でやってきて、それがいきなりテイク10とか行くわけですから。文太さん相当大変だったと思います。
本当に文太さんはよく耐えてましたね」
などと話している。
長谷川は
「文太さんにも無理を言った。
ヤクザ映画の癖はいりません。凄むのも要らない。文太さんに文太さんらしさを出すなと言ったんだから、新人以下の扱いよ。
あれほどのスターさんが『今の動きはヤーさん見たいになりましたね』とチンピラ監督に注意されるんだから、普通は帰ってしまうよ。
文太さん『こんなキツイのは5年に1本でいいな』って言ってたから」などと話している。
菅原文太が、この映画で初めて共演した沢田研二について語るシーンが見られる:
この映画は、TSUTAYAでレンタルも購入も可能: