松坂慶子の映画 「夜の診察室」 松坂慶子の映画初主演作品! 9年後にリバイバル上映で大人気に! | 人生・嵐も晴れもあり!

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「夜の診察室」

 

 

「夜の診察室」

 

1971年9月4日公開。

松坂慶子の初主演作品。

 

脚本:長谷川公之

監督:帯盛迪彦

出演者:

松坂慶子 、 峰岸隆之介 、 高橋昌也 、 長谷川待子 、 真山知子 、早川雄三 、後藤ルミ 、富川澈夫 、藤村有弘

 

 

あらすじ:

 

商品化されたセックスが氾濫する今日、人々は楽しみよりも苦しみを、喜びよりも悩みをもたらされる。
この様な人々のために、あるマンションの一室に医学博士・麻生周造(高橋昌也)が経営する性相談室がある。
梢(松坂慶子)は大学で心理学を専攻している一方、その父の手伝いをしている女の子である。
今日もまた、そんな患者の一人・柳田民代(真山知子)が訪ねてきた。
父が留守なため、梢は民代の話を聞いた。
民代は夫の浩司(早川雄三)が性不能者であることをぶちまける。
彼女によれば、以前は住んでいた狭い家に妹と同居していたが、新しい広い家に移ったという。
二人だけでは刺激が無さすぎるのがその原因だと考え、浩司の従弟である自称ポルノ作家・榊に代役を頼んだり、いろいろ手段を用いるが矢張り駄目であったことなどを語った。
翌日、麻生は気落ちした民代を慰めながら話を聞いていたが、新しい家が原因ではないかと思い至り、今の寝室を元通りにするように薦めた。
その結果、その夜以降は、柳田夫婦にとって素晴らしい夜になった。
民代の電話を受けている間、中沢ルミコ(後藤ルミ)という女性が入ってきた。
ルミコの夫・和彦(富川澈夫)は非常に嫉妬深く、眠る前には夫婦を手錠でつなぎ、昼間は二時間おきに電話するという非常識極まる男であった。
和彦の上司である殿村(藤村有弘)は、梢から中沢夫婦の問題を知らされ、和彦を麻生の所へ連れてきた。
和彦は麻生に短小の悩みを話すが、それは和彦の思い違いであることがわかる。
かくして、中沢夫婦にも素晴らしい二度目の新婚一夜がやってきた。
数日後、梢は民代を観察している時知り合った榊(峰岸隆之介)と会い、性相談をしにくるいろいろな患者のことを自分自身のことの様に話したが、未経険者の耳学問とからかわれ、腹を立てた。
そして榊を心理試験にかけるが、意外にも彼が選んだ写真は清潔なものばかりだった。
梢は、真の愛情に飢えている榊の心を知った。
翌日、榊は、麻生が梢の父親だとも知らずに診察室にやってきて、死んだ妹を愛し、理想化していたため他の女性を愛せなかったが、初めて妹に似た人を愛したと告白し、それについてアドバイスを受けて帰っていった。
その話を父から聞いた梢は、榊の後を追い、彼の胸に飛び込んで行く。
 
 
コメント:
 
なぜかこのタイトルの映画が松坂慶子の映画初主演作だという。
制作会社は大映。
ポルノ女優ではないのに不思議なスタートとなった。
DVDジャケット写真を見ても、診察室という名のエッチそうな場所に松坂慶子が居ており、これは何だと思わせる。
だが、本人は特に気にしている様子は無い。
 
 
相談室に来る相談者の性の悩みと、ヒロイン梢の恋の行方を描いている作品で、内容は意外と真面目なストーリーであり、観ていて面白い内容だ。
性の相談というのが真面目だけれど可笑しくもあり、笑える。
松坂慶子、当時19歳の可愛らしいミニスカート姿と、峰岸の妄想で出てくるSMのコスプレシーンもたまらない。

オープニングは、たくさんのヌード写真の映像で松坂慶子の「セックス、セックス・・」という言葉で始まるが、映画の中ではどなたのヌードシーンもないのであしからず。
 
内容はともかく、松坂慶子ファンなら、この初主演作は必見だろう。
いかに19才当時の彼女が可愛らしく、美しかったかを知っておくべきだ。
 
 
共演しているイケメン俳優・峰岸隆之介。

1962年に峰健二<の芸名で東宝映画『高校生と女教師・非情の青春』でデビュー。

当時、六本木野獣会に属し、日本橋浜町の自宅には頻繁にメンバーの面々が集うほど慕われた存在であった。

その風貌から、かつて「和製ジェームス・ディーン」と呼ばれた「赤木圭一郎の生き写し」と言われた。

しかし、端正な二枚目ぶりが目立つあまり、若手の頃は演技力についての評価は思ったほどなく、本人も悩んでいた。

俳優座養成所第16期生、文学座研究生を経て、1968年に田宮二郎に続く看板スターを探していた大映と契約 し、芸名を峰岸隆之介と改めた。

同年、製作者協会新人賞を受賞。

1975年より、芸名を峰岸徹に再変更している。

 

夜の診察室 予告篇 - YouTube

 

本作は、1971年に公開後にも、リバイバル上映で一気に人気が上がった貴重な作品である。

大映の倒産で松竹に移籍した松坂慶子の人気が上がるにつれ、若者の間でアングラ的人気が高まり、1979年の秋には早大や明大などから大学祭で上映したいからフィルムを貸して欲しいと大映配給に問い合わせがあった。

この若者人気に目を付けた東映が大映配給からフィルムを借りて1980年4月5日公開の『甦れ魔女』と併映でリバイバル公開を予定し上映予告までした。

だが、松坂慶子が当時松下電器提供のTBSの看板番組『江戸を斬る』でヒロインを務めていたため、『江戸を斬る』を下請け製作していた東映京都撮影所に「松坂のイメージダウンにつながるような行為をするなら『江戸を斬る』の発注を引き上げる」と広告代理店らがクレームを付けたため、急遽上映が中止、併映は山城新伍主演・監督の『ミスターどん兵衛』に差し替えられた。

さらに、松竹が松坂の出演リストから大映時代の作品を削り取って発表したことが発火点となり、隠すからにはそれなりの理由があると噂がパッと広がり、スポーツ新聞が「『夜の診察室』は松坂慶子のポルノ映画」などと書いたため騒ぎが大きくなった。

実際は『夜の診察室』は成人映画ではなく一般映画であり、内容も、「日本でもフランス小噺のような映画を作りたい」という意図で撮られた作品であったのにである。

この噂を大映が活用し、「マスコミ騒然!松坂慶子と関根恵子の衝撃作。いま巷でモノ凄い噂のこの二大話題作を上映してみませんか」とスポーツ紙にデカデカと「『夜の診察室』と『おさな妻』(『遊び』ではない)の上映劇場募集」という前代未聞の広告を打った。

配給網を持たない大映配給の苦肉のこの策がゲリラ奇襲作戦として見事に的中し、全国から続々上映申し込みが殺到した。

東京では1980年4月12日から新宿座で17日間上映され、延べ1万5千人を動員して松竹のドル箱「寅さんシリーズ」並みの興行成績を上げた。

この後も全国50館以上で上映され、通常こうした併映作品クラスの再上映は、劇場に1本7万円から10万円で売るところであるが、歩合制を採用したおかげで大映配給は1億円以上の収入を上げた。

1980年6月28日からは池袋の日勝文化劇場で『夜の診察室』と関根恵子の全裸シーンがある『新・高校生ブルース』の組み合わせで上映が行われた。

 

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