「夜の診察室」
1971年9月4日公開。
松坂慶子の初主演作品。
脚本:長谷川公之
監督:帯盛迪彦
出演者:
松坂慶子 、 峰岸隆之介 、 高橋昌也 、 長谷川待子 、 真山知子 、早川雄三 、後藤ルミ 、富川澈夫 、藤村有弘 |
性の相談というのが真面目だけれど可笑しくもあり、笑える。
松坂慶子、当時19歳の可愛らしいミニスカート姿と、峰岸の妄想で出てくるSMのコスプレシーンもたまらない。
オープニングは、たくさんのヌード写真の映像で松坂慶子の「セックス、セックス・・」という言葉で始まるが、映画の中ではどなたのヌードシーンもないのであしからず。
1962年に峰健二<の芸名で東宝映画『高校生と女教師・非情の青春』でデビュー。
当時、六本木野獣会に属し、日本橋浜町の自宅には頻繁にメンバーの面々が集うほど慕われた存在であった。
その風貌から、かつて「和製ジェームス・ディーン」と呼ばれた「赤木圭一郎の生き写し」と言われた。
しかし、端正な二枚目ぶりが目立つあまり、若手の頃は演技力についての評価は思ったほどなく、本人も悩んでいた。
俳優座養成所第16期生、文学座研究生を経て、1968年に田宮二郎に続く看板スターを探していた大映と契約 し、芸名を峰岸隆之介と改めた。
同年、製作者協会新人賞を受賞。
1975年より、芸名を峰岸徹に再変更している。
本作は、1971年に公開後にも、リバイバル上映で一気に人気が上がった貴重な作品である。
大映の倒産で松竹に移籍した松坂慶子の人気が上がるにつれ、若者の間でアングラ的人気が高まり、1979年の秋には早大や明大などから大学祭で上映したいからフィルムを貸して欲しいと大映配給に問い合わせがあった。
この若者人気に目を付けた東映が大映配給からフィルムを借りて1980年4月5日公開の『甦れ魔女』と併映でリバイバル公開を予定し上映予告までした。
だが、松坂慶子が当時松下電器提供のTBSの看板番組『江戸を斬る』でヒロインを務めていたため、『江戸を斬る』を下請け製作していた東映京都撮影所に「松坂のイメージダウンにつながるような行為をするなら『江戸を斬る』の発注を引き上げる」と広告代理店らがクレームを付けたため、急遽上映が中止、併映は山城新伍主演・監督の『ミスターどん兵衛』に差し替えられた。
さらに、松竹が松坂の出演リストから大映時代の作品を削り取って発表したことが発火点となり、隠すからにはそれなりの理由があると噂がパッと広がり、スポーツ新聞が「『夜の診察室』は松坂慶子のポルノ映画」などと書いたため騒ぎが大きくなった。
実際は『夜の診察室』は成人映画ではなく一般映画であり、内容も、「日本でもフランス小噺のような映画を作りたい」という意図で撮られた作品であったのにである。
この噂を大映が活用し、「マスコミ騒然!松坂慶子と関根恵子の衝撃作。いま巷でモノ凄い噂のこの二大話題作を上映してみませんか」とスポーツ紙にデカデカと「『夜の診察室』と『おさな妻』(『遊び』ではない)の上映劇場募集」という前代未聞の広告を打った。
配給網を持たない大映配給の苦肉のこの策がゲリラ奇襲作戦として見事に的中し、全国から続々上映申し込みが殺到した。
東京では1980年4月12日から新宿座で17日間上映され、延べ1万5千人を動員して松竹のドル箱「寅さんシリーズ」並みの興行成績を上げた。
この後も全国50館以上で上映され、通常こうした併映作品クラスの再上映は、劇場に1本7万円から10万円で売るところであるが、歩合制を採用したおかげで大映配給は1億円以上の収入を上げた。
1980年6月28日からは池袋の日勝文化劇場で『夜の診察室』と関根恵子の全裸シーンがある『新・高校生ブルース』の組み合わせで上映が行われた。
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