「豚と軍艦」
1961年1月21日公開。
脚本:山内久
監督:今村昌平
出演者:
長門裕之、吉村実子、三島雅夫、丹波哲郎、大坂志郎、加藤武、小沢昭一、南田洋子、佐藤英夫、東野英治郎、山内明、中原早苗、菅井きん、西村晃、殿山泰司
あらすじ:
戦後の横須賀にある米海軍基地。
港に軍艦が入ると、水兵相手のキャバレーが立ちならぶ町の中心地ドブ板通りは俄然活気づいてくる。
ところが、そんな鼻息をよそに青息吐息の一群があった。
当局の取締りで根こそぎやられてしまったモグリ売春ハウスの連中、日森一家だ。
いきづまった日森一家は、豚肉の払底から大量の豚の飼育を考えついた。
ハワイからきた崎山(山内明)が基地の残飯を提供するという耳よりな話もある。
ゆすり、たかり、押し売りからスト破りまでやってのけて金をつくり、彼らの“日米畜産協会”もメドがつき始めた。
そんな時流れやくざの春駒がタカリに来た。
応待に出た幹部格で胃病もちの鉄次(丹波哲郎)の目が光る。
たたき起されたチンピラの欣太(長門裕之)は春駒の死体を沖合まで捨てにいった。
「欣太、万一の場合には代人に立つんだ。くせえ飯を食ってくりゃすぐ兄貴分だ」という星野(大坂志郎)の言葉に、単純な欣太はすぐその気になった。
彼は恋人の春子(吉村実子)と暮したい気持でいっぱいなのだ。
春子の家は、姉の弘美(中原早苗)のオンリー生活で左うちわだったが、彼女はこの町の醜さを憎悪し、欣太に地道に生きようと言ってはケンカになった。
ある夜、吐血して病院に担ぎこまれた鉄次がそのまま入院することになり、日森一家の屋台骨はグラグラになった。
会計係の星野が有り金をさらってドロンし、崎山も残飯代を前金でしぼり取るとハワイに逃げてしまった。
酷い胃癌で余命三日という診断結果を受けた鉄次は、自殺する勇気もなく、殺し屋のワンに自分を殺してくれとすがりつく。
だがこれは間違いで、鉄次は単なる胃潰瘍だったのだ。
鉄次は、間違いを喜ぶよりもワンに殺される恐怖に再び血を吐く。
欣太とはげしく口喧嘩をした春子は町にとび出し、酔った水兵になぶりものにされた。
日森一家は組長の日森(三島雅夫)と、軍治(小沢昭一)・大八(加藤武)とに分裂してしまった。
両者とも勝手に豚を売りとばそうと企み、軍治たちは夜にまぎれての運搬を欣太に命じた。
欣太は豚を積み込む寸前に先回りした日森らにつかまってしまった。
豚をのせ走り出す日森のトラック群。
それを追う軍治らのトラック。
六分四分で手を打とうという日森だったが、欣太はもうだまされないと小型機関銃をぶっ放した。
ドブ板通りには何百頭という豚の大群があれ狂った。
誰もかも、豚の暴走にまきこまれ、踏みつぶされた。
狂騒の中、警官に撃たれた欣太は路地裏でひっそり命を落とす。
数日後、一人になった春子は未来を見据えて堂々と家を出て行くのだった。
基地の町では、相変らず水兵と女と客引きがごったがえしていた。
コメント:
戦後、横須賀、トラック、豚、マシンガン、やくざ、娼婦、死体、米兵。
これらのキーワードを並べるだけで、いきいきと映像が浮かび上がってくる。
今村昌平のエネルギッシュな演出が全編にわたって、貫かれている。
長門裕之がマシンガンをぶっ放すシーンでは、映画自体が弾けているように感じられる。
若き吉村実子のリアルな表情が実にかっこよく、色あせていない。
歓楽街の暗闇から漂う鬱屈した余情の中に、登場人物たちが発する猥雑なバイタリティがモノクロ映像でシャープに感じられる。
欲にまみれたチンピラヤクザのアナーキーな青春を、澱んだ世相風俗とともに、時に禍々しく、時にユーモラスに、紡ぎ出している。
今村昌平のエネルギッシュな語り口が堪能できる異色にして出色の人間ドラマ。
この映画は、高い評価を得る一方、予算オーバーした挙句、興行成績も振るわず、しばらく日活から干されることになった作品である。
また、本作の脚本を執筆中に名監督・小津安二郎から「何を好んでウジ虫ばかり書く?(まともな人間を書け)」と言われて、「このくそじじい!」と毒づき、これを契機に「俺は一生死ぬまでウジ虫ばかり描いてやる!」と固く決意したという記念すべき作品。