今村昌平監督映画 「にあんちゃん」 在日コリアンの女子小学生のベストセラー日記を映画化した名作! | 人生・嵐も晴れもあり!

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「にあんちゃん」

 

 

 

にあんちゃん プレビュー

 

 

 

 

1959年10月28日公開。

在日コリアンの女性が10歳の頃(小学校3年生~小学校5年生)書いた日記を映画化。

 

 

脚本::今村昌平・池田一朗

監督::今村昌平

出演者:

長門裕之、吉行和子、二谷英明、沖村武、前田暁子、松尾嘉代、北林谷栄、芦田伸介、西村晃、小沢昭一、殿山泰司、山内明

 

 

あらすじ:

昭和二十八年の春。

佐賀県にある鶴ノ鼻炭鉱では、ストライキが行われていた。

そのさなかに、安本一家の大黒柱である炭鉱夫の父親が死んだ。

残された喜一、良子、高一、末子の四人の子供たち。

喜一は二十歳になったばかりだ。

安本一家が住んでいる山の中腹の長屋の人たちも、皆その日暮しの苦しい生活をしていた。

長屋の子供たちは学校へ弁当も満足には持っていけない。

喜一が失業した。

一家共倒れを防ぐため、高一と末子を辺見家にあずけ、喜一は良子と長崎に働きに出かけた。

しかし、辺見家でも生活は苦しく末子は栄養失調になった。

赤痢が発生した。

末子も罹病した。

保健婦のかな子と、末子の担任教師桐野が働いた。

やがて、決定的な時が来た。

会社が炭鉱を廃坑すると宣言したのである。

人々はやむなく家をたたみ、山を下りていった。

高一と末子も、帰って来た喜一に連れられて、閔さんの家に引きとられた。

しかし、汚ない堀立小屋で異臭がひどく、夜逃げして炭鉱に戻った。

桐野はかな子をハイキングに誘った。

が、かな子の答えは冷たかった。

許婚者がいたのだ。

高一も働きに出かけた。

漁港の荷運びだ。

喜一は佐賀のパチンコ屋に就職した。

かな子は東京に転勤になった許婚者を追って鉱山から去った。

高一は東京へ行った。

しかし、東京へ着くとすぐ警察に保護された。

中学生が、それも一人で九州から職を探しに来たという話に、不審に思った自転車屋の主人が警察に連絡したのである。

送り返されて高一は炭鉱村に帰った。

嬉し泣く末子の肩を抱きながら、やはり兄妹一緒に生きていこうと思った。

 

 

コメント:

 

タイトルにある「にあんちゃん」というのは、次男坊のこと。

不慮の事故で両親に先立たれた子供たちの貧苦を超えた兄妹愛を描きながら、当時の社会情勢や、在日問題を掬い取った今村昌平の射程の深い語り口に引き込まれまる。

 

原作は、当時63万部のベストセラーとなった同名の書籍。

昭和28年(1953年)、佐賀県の炭鉱地帯。

3歳の時に母を亡くし9歳で父をも失った末子は、炭鉱の臨時雇いの長兄のわずかな稼ぎで兄弟姉妹四人、毎日の糧にもことかく極貧の生活を送っていた。

しかしその長兄も会社の首切りに会い失業し、炭住を追い出され、一家離散。

末子と次兄はつてを頼って他家に居候同然に転がり込むが貧乏はどこも同じであちこちを転々。

そんな究極の困難にもめげず、素直なこころと暖かい思いやりを忘れずに熱心に勉強にはげむ末子の日記に、1957年仕事の過労から病床に臥せっていた長兄が読んで感動。

末子の強い反対を押し切って日記帳、全17冊を光文社に送り、神吉出版局長がカッパブックスの一冊として書籍化した。

 

1950年代後半以降、日本のあちこちで同様の石炭産業の大幅縮小が行われた。

石炭鉱山や金属鉱山は, 政府の経済政策の結果,休廃止される鉱山が多数発生することとなった。

その背景には、石油へのエネルギー源の依存割合の転換と海外からの安い石炭の輸 入増により、石炭産業は日本経済にとっても有益な産業ではなくなったことが挙げられる。

そのあとには十分な手当てのなされていない廃坑が残されたままとなった。

悲しい過去の遺産である。

 

20歳の長兄を筆頭に4人きょうだいは過酷な境遇に置かれその描写、特に貧困の状態は胸が痛い。

同じ頃の小津の映画などで描かれる丸の内勤務のエリート会社員たちの優雅な生活と対極にあり、格差社会は決して現代の問題ではないことを痛感させられる。