ボリビア  * アルティプラーノ 追加*  | 私の回想録 

私の回想録 

レミニセンス - 回想録。
過去の記憶を呼び返しながら、
備忘録として残したい。
記事が長いが何とぞご容赦ください。

アルティプラーノ  Altiplano  ボリビアの大自然

南アメリカの西部、南北に長いアンデス山脈の中央部、ペルー南部、ボリビア、チリ北部の標高4千メーター辺りに広大で平坦な高原が広がっている。

アルティプラーノとよばれている。 

英語では Plateau、いわゆる高地、高原。


ボリビアの実質首都であるラパスは、このアルティプラーノの窪地に広がった都市である。

太古の昔、アンデス山脈が隆起した時、海水がそのまま山の上に残され、干上がったため、世界に類を見ない広大な塩原が形成された。
アルティプラーノの北部にはペルーとボリビアにまたがる大きな淡水湖のチチカカ湖、中央部にはポオポ湖があり川でつながっている。

 

アルティプラーノの南部には、ウユニ塩原、ラグナコロラダといった広大な塩の平原が雨期になると、とてつもなく広いが、水深の浅い湖となり、ウユニは天上の鏡、ラグナコロラダは赤の湖となる。



アルティプラーノはNHKスペシャル Hot Spots 最後の楽園で取り上げられ、2020年2月22日に放送された。記事の写真はそのテレビ画面から撮ったものである。


ウユニ塩原 (ウユニ塩湖)

北半球の夏の間は乾季で、延々と白い塩源が広がっている。その広さは南北100キロメートル、東西250キロメートルもある。雨期になると平らで広大な塩原に水が張り、ウユニ塩湖となる。水深が50センチメートルと浅く、山脈と山脈に囲まれた盆地で、風もないことから湖面は波立たず、標高3千7百メーターの天空に広がる巨大な鏡となる。

 


真っ白な塩原の中央には島があり、大型のサボテン、エキノプシス・アタカマエンシスが群生する奇景が存在する。その花の蜜はハチドリの餌となる。このオオハチドリはここしか生息しないアンデス固有種である。

 


またこの塩原はリチウムの埋蔵量が全世界の半分と試算されている。

ラグナ・コロラダ湖とフラミンゴ

ボリビア南部、チリとの国境近くに赤い湖がある。塩分濃度は海水の5倍、赤い植物プランクトン(藻類)により、赤い湖水が広がる。

 

 

そしてそこにはアフリカに生息するフラミンゴより小型のコバシフラミンゴが繁殖地として群生している。ピンクと深紅の美しい色をしたフラミンゴは湖面浅瀬に巣を作り、1羽が1個の卵を抱え、孵化させる。

 

 

 

その何万という数のフラミンゴは湖の赤い植物プランクトンを食べて生きている。そしてヒナには口伝えで赤い液体を餌として与える。高地のため天敵が少なく、種が保存できたのであろう。

ラグナ・コロラダには日本の援助による地熱発電所の建設が計画されている。


ラグナ・ベルデ

ラグナコロラダからさらに南に車で2時間、ラグナ・ベルデは青緑色が美しい塩湖。リカンカブール山との景色が素晴らしい。近くに温泉もある。

 

 


 

 

 

オキナワ移住地 Colonia Okinawa

 

ボリビア最大の都市、サンタクルスの北東約100 km、車で約1時間半。日系ボリビア人コミュニティーであるオキナワ移住地と呼ばれる村がある。戦後に過剰人口となった沖縄から新天地としてボリビアに移住した人々が創り上げた村。開拓は過酷を極め風土病や天災に悩まされながら、70年にわたり密林を切り開いた。

入植から30年は、米や綿花も作ってみたがうまく行かず、ブラジル・サンパウロや、サンタクルス市、あるいは日本へ再転出した移住者もいた。

 

 

 

日本から一番遠いニッポン。棄てられた民とも表現された。

しかし移住者たちは、絶望、貧困、屈辱を乗り越え、現在では広大な土地で農作物を育て、「ボリビアの小麦の首都」と呼ばれるまでになった。大豆の生産も盛んで、コロニアオキナワ農牧協同組合はボリビア政府から最優秀大豆輸出業者として表彰されている。

 

オキナワ村は、沖縄人系がすべてというわけではなく、2001年、ボリビア統計局調査で、行政区分のオキナワ村の人口は11,661人となっている。2004年の日系コミュニティーの調査では、第1移住地、第2移住地、第3移住地の合計の人口は約6000人、そのうち日系人は878人であった。人口統計の上で、日系人はマイノリティーとなる。

その人たちは沖縄の文化を強く、濃く継承していて、日本語、沖縄語を流暢に話し、三線(さんしん)を弾き、エイサーを踊る。

 

*2019年7月19日、秋篠宮眞子内親王がオキナワを訪問され、集まった日系人に心からの敬意の言葉を送った。

その時の映像はこちらhttps://www.youtube.com/watch?v=hSnbEc4H_kc

 

現在、この地域への幹線道路の改良整備計画が計画されている。日本政府開発援助であり、来年初めには工事が着工される。

 

* 垣根涼介の「ワイルド・ソウル」というハードボイルドに類する小説がある。1950年代から60年代の同時期にブラジルアマゾンへの移住した主人公たちの壮絶な苦労と悲劇を背景にした復讐劇である。
上下巻の長編であるが、一気読みできるたいへん面白い内容の本と思う。大仰であるが史実に近いと思われ、当時の南米移住者の凄まじいまでの生き様と運命があったことが伝わってくる。

 

 

ボリビア訪問記 2017年8月  オリジナルの記事

 

ここは標高4,061メートル、南米ボリビアの首都ラパス近郊にあるエルアルト国際空港。世界最高標高にある国際空港だ。時刻は朝の5時前。辺りは未だ真っ暗だ。気温は氷点下2-3度といったところか。南半球、今は冬である。


       
  
昼間のエルアルト国際空港

 

日本から飛行機を3本乗り継いでようやく到着した。成田空港を飛び立ち、すでに32時間以上経っている。
成田からまずアメリカテキサス州ダラスまで12時間のフライト。そしてフロリダ州マイアミへ3時間のフライト。そして乗り継ぎに7時間半待ち、23:37マイアミ発のラパス行の夜行便で6時間半のフライトでの到着である。 
** 現在、マイアミ~ラパスの直行便はない。サンタクルス - ビルビル空港経由か、ペルーのリマ経由となり、乗継を含め10時間近くかかる。

 

到着直前には高山病予防薬を服用しておいた。乗り継ぎが多いことを考えて、荷物はチェックインせず、コンパクトにまとめて機内に持ち込み、持ち歩いてきた。イミグレーション、荷物チェックもしっかり行われたが、スムーズに通り抜けた。

空港には現地責任者のタイロンが早朝にもかかわらず迎えに来てくれていた。
「おはようございます。お疲れさまでした。」
タイロンは流暢な日本語を話す。挨拶だけでない、普通に日本語で会話ができる。
荷物を用意された車に積んで、ラパスへ急こう配を下る。
ラパスは空港のあるエルアルト市(かつてはラパスの1地区)が最も標高が高く、宿泊するホテルのあるカラコト地区はそこから標高800mくらい下に位置する。

エルアルト市は平らな高原で、古めかしい、薄っぺらい石造りの家や商店が、その市街地に並ぶ。この時間、さすがに人通りはほとんどない。西に向かえば、ペルーとの国境を挟むチチカカ湖がある。

ラパス市街への下り坂にかかると、道は曲がりくねり、目の前に夜景が広がる。山肌にそって多くの家の明かりが、広い盆地にうねる波のように広がっている。
あたりは少しずつ明るくなってきた。

2017年8月、社用でボリビアに出張する機会を得た。8日間の旅程となった。
その間、ボリビア国内移動も含め、9回も飛行機に搭乗するという過酷なスケジュールをこなした。

ボリビアは南アメリカの共和制国家で、ボリビア多民族国が正式名称。日本の3.3倍の面積がある。人口は約1千万人。日系人はサンタクルスを中心に1,400人ほど生活している。
憲法上の首都はスクレであるが、ラパスはボリビアの実質的な首都。議会、政府主要機関はラパスにある。世界最高高度にある首都である。アンデス山脈の高地に位置し、気候は高原気候である。

一方、最大の人口を持つサンタクルス県の標高は約400メートルと低く、アマゾン源流の平原地帯にあり、気候はサバンナ気候。気温は高めで、絶えず強めの風が吹いている。高地をはじめボリビア各地から人が移り住み、人口はさらに増加傾向にあるということだ。

ラパス La Paz

車は空港から、政府機関、街のシンボルのサンフランシスコ教会のあるラパスの中心街を通り、更に下って、ホテルのあるカラコト地区に入る。もう辺りはすっかり明るくなっている。今回の宿、Suites Camino Realに到着、すぐにチェックインできるということだ。朝食まで少し休ませてもらおう。
レセプションは小さいスペースであったが、部屋に入るとラスベガスのデラックスルームよりも大きいかと思えるような広い部屋に驚かされた。窓からの岩山の景色も美しい。特別料金で用意してくれたタイロンに感謝する。


朝食は種類も多く、質も高くたいへん満足のいくものだった。エッグ調理専門がいるというのも久しぶりだった。これが滞在中の毎朝ありつけるというのはうれしい限りである。
ラパス滞在中は、国際協力機構(JICA)事務所、弁護士事務所訪問、日本国大使館では在ボリビア大使を表敬訪問、現地事務所にて会議などの予定をこなした。高地であるので、移動の時は負担のないように、非常にゆっくり歩く。

 

ミ・テレフェリコ  

ラパスの注目すべき交通システムで、その景観が特徴的なミ・テレフェリコ(
Mi Teleférico)は、ボリビアのラパスおよびその近郊を結ぶ、ロープウェイである。いわゆるスキー場に装備されているような10人乗りの高速ゴンドラである。交通渋滞解消を目的とした都市交通として、2014年に開業し、市民の貴重な、利便性の高い交通手段として利用されている。料金は1回の利用につき、3ボリビアーノ、日本円で約50円。
   
2014年開業当時、Linea roja(レッドライン)、Linea amarilla(イエローライン)、Linea verde(グリーンライン)の3路線、合計約10kmからなっていた。Linea rojaは2014年5月にラパス中心部とエル・アルトの間の2.4kmが開通した。途中駅1つが設けられ、所要時間は10分。従来は自動車で30分以上かかっており、大幅な移動時間短縮が実現した。続いて同年7月にLinea amarilla 3.9km(中間駅:2つ、所要時間:13.5分)、11月にLinea verde 3.7km(中間駅:2つ、所要時間:16.6分)が開通した。ゴンドラの最大定員は10人で、1時間当たり各路線3,000人の輸送能力がある。標高4,000m近くというロープウェイとしては世界一高いところを走る路線であり、総延長は都市交通としてのロープウェイの中では世界最長である。

そしてその後、2017年3月ブルーライン、ホワイトライン、2017年9月オレンジライン、2018年7月にスカイブルーラインが開通。今後さらに5路線(パープル、ブラウン、シルバー、ゴールド)が建設、拡張される予定である。
オーストリアのドッペルマイヤー社が建設を行って、ボリビア国営企業が運営している。
  
縦横無尽に伸びるゴンドラからの景観は素晴らしく、山裾や山肌に広がる市街地、標高6,438mのイリマニ山の雄大な景色。夜にはこれまた素晴らしい夜景が広がる。一方庶民の生活が上から丸見えであるので、観察すると面白い。 
動画参照 
これは立派な観光資源である。ボリビア政府、ラパス市はもっと積極的に観光PRしていくべきである。
ボリビアのモラレス大統領はサンタクルス県では支持率が非常に低いが、ラパスではミ・テレフェリコの設置、拡張の実績によりすこぶる支持率が高いと聞いている。 

*2019年11月、ボリビアで政変発生。軍、警察、左派勢力のクーデターによりモラレス大統領失脚。メキシコへ亡命。

 

ミ・テレフェリコのさらに詳しい情報はこちらを参照。  


チチカカ湖のニジマスの養殖と日本食レストラン

チチカカ湖は、ペルー(60%)とボリビア(40%)にまたがり琵琶湖の12倍もある大きな湖である。ボリビア側にあるティキーナという湖畔には、日本の援助で作られたニジマスの養殖場がある。そのため、ラパスの日本食レストランではニジマスの刺身、寿司が手に入る。そしてこのニジマスはとても旨い。
内陸国のボリビアで、それも山岳地域のラパスで刺身というのは想像できないことであるが、日本食レストランで食べた刺身、寿司は安全で、とても美味であった。
最初に行った、ホテルから歩いて5分ほどのところにある "Furusato"レストランで、私はうどんを食べたのだが、横にいた金持ちそうな親子はマスの握り寿司を注文し、男の子がその寿司を Sabroso! Sabroso! (おいしい!)とバクバク食べていた。握られたマスの寿司は色も形も美しく、見るからにおいしそうだった。
そして翌日のディナーでは当社関係者が集まり、もう1軒の日本食レストラン New Tokyo で、マスを中心とした日本食を楽しんだ。確かに日本で食べるサーモン寿司や刺身となんら遜色がない味であった。
   

サンタクルス  Santa Cruz

8月23日、早朝出発、エルアルト空港から日帰りフライトでサンタクルスの関係先を一気に往訪した。サンタクルスの正式名はサンタ・クルス・デ・ラ・シエラ。
前述のようにサンタクルスとラパスは、人も景色も気候も異なる全く別の国。感じとしてはメキシコの地方商業都市のように思えた。
  



再びラパス

タイロンは日本語が上手だが、その妹マルセラも日本語を巧みに操り、日本人相手の観光ガイドをしている。ちなみに姉は日本語の教師である。
8月23日はチチカカ湖のマス養殖場、その手前のインカ文明より古いティワナク宮殿の遺跡の見学と、ラパス市内見学、土産の購入を、彼女の案内のもと、ワゴン車で回った。
まず当日の道路規制により、マスの養殖場に行くことができないことが判明した。それでもまず、カラコト郊外にValle de la luna - 月の谷というB級スポットがあり、そこを通って山道をエルアルト方面に登って行った。チチカカ湖方面へは、エルアルトに登り、その高原を抜けていく。
途中、マルセラがパン屋に立ち寄り、くずパンを大袋いっぱい買い込んだ。何をするんだと思ったが、途中道路わきに多くの野良犬がいて、その餌として配るためだった。高地の野良犬は動きものろく、人に危害を与えることはないのであろう。よろよろしてなんとも哀れに見えた。チチカカ湖手前のティワナク遺跡に向かう。

チチカカ湖 

ティワナク遺跡

ティワナクといえば、あの有名なゲーム、トゥームレイダーシリーズの Tomb Raider Legend で最初と最後のステージ、ボリビアで舞台になった古代遺跡である。私は特にゲーム好きという訳ではないが、Tomb Raider シリーズはララ・クラフトを操作して、Tomb Raider II から、Underworld までほとんどのタイトルを制覇した。しかし何故かLegend だけ飛ばしてしまった。Legendは日本を舞台にしたステージもある。ボリビア~ペルー~日本~ガーナ~カザフスタン~イギリス~ネパール~ボリビアというステージ展開である。
これを飛ばしたのはやはり惜しいということで、最近Amazonで中古品を買い、PS2にHDMI変換アダプターを付けて、現在プレー進行中である。歳をとるとゲームまでへたくそになって、さらに根気もなくなっていることにショックを受けている。
ティワナク遺跡は、ゲームの風景と実際の遺跡は全く似ていない。

  

 




マルセラは、さすがプロのガイドであるのでティワナクの歴史から遺跡の説明、特徴など非常に詳しく日本語で解説してくれた。
ティワナクは、インカ帝国以前の遺跡で、紀元前200年頃から、紀元後1000年頃の全盛期まで文化が展開された。2000年に世界遺産に認定されている。
しかし遺跡は破壊、風化が激しく、感動する構造物が少ないのは残念であった。
  
 

 

 

 

 

コカ茶とコカの葉

ランチは遺跡に隣接された趣のあるレストラン、TAYPI UTA Tiyahaky にて、マスのフライ料理が用意された。ボリビアのビール、PACEÑA
は少し酸味が強い。ボリビア名産のキヌアも取り分けられ、満足いくランチであった。
ラパスではコカ茶とコカの葉が嗜好品である。コカ茶ティーバックはホテルでもレストランでも置かれ、コカの葉は砂糖のように普通に提供され、コカ茶の中に入れる。これを飲めば高山病に効くということだ。
Addictive (中毒性)なのかはわからないが、普通にというか結構おいしい。精製されたコカインではないので麻薬ではない。でも土産として持ち帰ることはやめておいた。それは正解で、日本ではコカ茶は輸入禁止品である。
 

エルアルトを抜け、ラパス中心市街へ

エルアルトではバザーのようなものが開かれ、にぎわっていた。

動画参照 


イエローラインに乗り、エルアルトからラパス市街地へ降りる

 

ラパス中心地

サンフランシスコ教会とその広場 水曜なのに結構な賑わい

 

その裏手の商店街 土産に織物、アルパカセーター

 

ムリリョ広場
国会議事堂

 

大統領府   モラレス大統領が出てくるのを待つ


軽食にサルテーニャ   
ミートパイのような 美味しい!
   
 

余談 ウユニ塩湖

今回の出張ではウユニ塩湖まで回ることはできなかった。
今は時期も8月乾季であり湖は乾いている。次回、日本の冬に出張の機会があれば、リチウムの掘削を視察する目的で、天空の鏡を訪れてみたい。
マルセラはウユニ湖ツアーでも、ペルーのマチュピチュであっても日本語ガイドの対応ができる。

 乾季のウユニ湖         天空の鏡 雨季のウユニ湖

さらばボリビア

これからは行きよりも長い日本への帰国の途に入る。
早朝3時半にホテルをチェックアウト。
6時19分、エルアルト空港発、機体はサンタクルスのビルビル空港に立ち寄り、サンタクルス行きの乗客を降ろす。我々も降りて、マイアミ向けの同機体への整備を待つ。再び乗り込み、マイアミに向かう。マイアミ着16:30。19時25分発のダラス行に乗り換え、ダラス着21:30。もう勘弁ということで、ダラス空港の中のホテルに1泊する。翌日のダラスー成田のフライトは11:55発。それから成田まで13時間15分の長い飛行時間となる。

ご同行いただいたKさん、長旅、本当にお疲れさまでした。 

 

「ボリビアは理解するのは困難だが、忘れ去ることは不可能な国」

「ボリビアには泣きながら来て泣きながら帰る」

 

これは2012年10月から2015年12月まで3年2ヶ月にわたり、在ボリビア大使を勤められた椿秀洋氏の講演にて、ボリビアに関して印象深く表現された一節である。

 

 

 

(補足) 米国の入国手続き最新事情 APC 2017年8月当時

 

今回はアメリカ経由で南米に向かったため、最初のアメリカ到着空港で入国審査(イミグレーション)を受けなければならなかった。

現在、カナダを含むほとんどの空港でAPC(自動パスポートコントロール)のキオスク機械が導入されており、まずこの列に並び、機械を自分で操作、情報入力しなくてはならない。

日本語の画面が選べるので操作自体は難しくない。順番はよく覚えていないが、以下の操作を行った。

 パスポートのスキャン * 正しい向きで、情報がスキャンできるようしっかり支える事 * 

 税関申告項目のYES/NO チェック   このため税関申告用紙の記入不要になった模様

 今回の旅の目的   観光 ビジネスなどにチェック

 滞在期間、その他の質問

 指紋のスキャン 親指をのぞく4本の指   * スムーズに読み取れないことが多いようだ *

 顔写真の撮影  眼鏡は外すこと

 

完了すると、長い紙(レシート)が出てくる。

ここで、この紙にバッテンがされていると、従来通りの税関オフィサーによる入国審査を受けなければならない。

バッテンがなければ、そのまま進んで、バッケージクレームで預け荷物を受け取り、そのまま税関検査出口から出ることができる。その際、長い紙は税関職員に回収される。

バッテンが付くと、入国審査の長い列に並び、オフィサーの審査を受けることになるので、非常に時間がかかる。

事実今回のダラス・フォートワース空港では、1時間ほど差が付いた。

 

問題は家族やグループの中でバッテンの人が出てしまった場合、そこで離ればなれになってしまうことだ。

さらに国内線への乗り継ぎがある場合、乗り継ぎ時間が短いと乗り遅れる可能性がでてくる。

空港にもよるが、3時間くらいの乗り継ぎの余裕が必要と思われる。

 

バッテンが付く理由としては以下が考えられるが、明確ではない。

  2008年以降、初めてのアメリカ入国

  パスポートや指紋のスキャンが不完全だった

  眼鏡をしたまま写真を撮った

  コンピューターがランダムに選択した (これが主要な理由と思われる)

 

改善されたのか、何なのか?実にアメリカらしい身勝手なシステムといえる。

 

その後、アメリカに行ってないので、変更、改善があったかどうかは不明。

以上